紫陽花の庭

 

 

その男は手負いで、息を弾ませて真夜中の庭に蹲っていた。
「と…歳三さん!?」
背後から掛けられたまだ幼い声に、土方歳三は一瞬だが、ビクッと身体を震わせ、得物を握り締めた。
まだ闘争本能が著しく過敏になったままだった。
「な…何だ、宗次郎か。何だってガキの癖にこんな時間に起きていやがる」
歳三は慌てて体勢を取り繕って、まだ数えで十になったばかりの沖田宗次郎に向き直った。
「何だかジトジトとしていて、眠れないんだもの。厠に起きた帰りなんです。歳三さんはこんな時間に近藤先生に逢いにいらしたんですか?」
そう言い掛けて、宗次郎の顔色が曇った。
「あ…歳三さん、血の臭いがする。怪我もしていますね」
「何てぇガキだ。この暗闇で夜目が利くってのか?末恐ろしいな」
歳三は1人ごちた。
『何言ってるんです?早く手当てをしないと。今、井上のおじさんを呼んで来ますから」
宗次郎は慌ただしく駆け去ろうとした。
「おいっ!構わんからほっておけ。騒がせるな!」
歳三は慌てて宗次郎を止めた。
何とも手負いで道場の裏庭に逃げ込んで来た事が気不味いのである。
「だって、大腿を切られているではありませんか?」
「構わねぇ。それ程深い傷じゃねぇんだ。少し休んだらけえるから、ガキはさっさと寝ろっ!」
歳三は宗次郎を子供扱いにする。
相変わらず口が悪い。
確かに自分の半分になるかならないかの、子供だ。
但しこの道場では、宗次郎は住み込みだが、歳三は気が向いた時に通って来るに過ぎない。
言うなれば宗次郎は『先輩』でもある。
「嫌ですよ、子供扱いして。化膿でもしたらどうするんです?近藤先生には知らせないようにしますから」
宗次郎は心得顔で行ってしまった。
「全く、ガキの癖にませてやがるぜ……」
歳三は宗次郎に聞こえないように呟いた。
実際、手当てをして貰えるのは有り難かった。
喧嘩上手な歳三が逃げ出すような羽目になったのは、刀を持っていた敵に足を切り払われてしまったのが敗因だった。
歳三の得物は木刀のみ。
木刀だって、打ち所が悪ければ相手を殺す事も出来るし、使い物にならない身体にする事も出来る。
しかし、正直な処、歳三は相手の刀に怯んだのだ。
認めたくなかった。
自らが情けなかった。
こんな処を寄りに寄って宗次郎に見付かるとは……。
だが、気が付いたら此処に逃げ込んでいたのだ。
自分でもその事に驚いていた処だった。

結局、宗次郎が呼んで来た井上源三郎が手際良く傷口を焼酎で消毒し、手当てをしてくれた。
さすがに剣術道場、手馴れた物だ。
宗次郎が何か含んでおいてくれたらしく、井上は事情も聞こうとはせず、黙々と手を動かした。
宗次郎は井上が部屋に返したようで、一緒には戻って来なかった。
「源さん、すまねぇ」
「宗次郎に、『近藤先生には言わないで上げて』と言われたよ」
井上は言葉少なに語った。
「あのガキ、妙に大人びてやがる」
「大人の中にいると、嫌でもそうなるさ。同じ年頃の子供なら、まだ親元でぬくぬくと暮らしていると言うのに、可愛そうなもんだ」
井上は手当てを終えて立ち上がった。
「あいつはいつかきっと、歴史に名を連ねる剣客になるだろうな」
その背中に歳三はこんな言葉を投げ掛けた。
宗次郎の親戚筋に当たる井上に対し、お礼の気持ちも含んでいるが、事実、掛け値無しに歳三はそう思っていた。
末恐ろしい宗次郎の才能は、この頃から既に頭角を現わしていたのである。
そして、歳三はこの日、剣術の稽古に身を入れる決意をした。
勿論、彼の場合、流派は飽くまでも『土方流』であるのだが……。

いつか宗次郎と共に、何かを成す自分を目指して。
歳三は自分の『生きる道』を探す為に、19の夜に遅いかもしれない誓いを暗い中にも色鮮やかな紫陽花に向かって立てたのである。
そして……歳三が、この道場の主となる近藤勇を男にする、自分はその為に参謀として彼の傍に在る、そんな生き方を選ぶ日は近いのであった。

 

− 終わり −

※この作品は225000hitをゲットして下さった麦乃 秋さまに捧げます。