秋の優しい海風が頬を撫でる

※ この小説は25000hitをGETされた夏海さまから、10000hitリクエスト小説『夏の海』の
続編を、とのリクエストを戴いて書かせて戴きました。ウチのオリジナルキャラが出ていますが
どうかお許し下さいね。(^^)

 

 

僕が夏海と再会したのは、思いも掛けぬ場所での事だった。
あれから10年以上が過ぎ、僕は憧れの人のバックでギターを弾いている。
凄い人だ。ギターのテクニックだけではなく、人間的にも僕はこの人を尊敬している。
この人の後ろで同じステージの上に立っているだけで、僕はこの上も無い幸せを感じていた。
どこからこんなフレーズが出て来るのだろう、と思わせられる事は年中だけど、最近では、間奏で僕とギターで長い掛け合いをする事がある。
そんな時は、僕をステージの前方に引っ張り出して、思い切りアドリブでやらせてくれるのだ。
それだけ、僕を信頼してくれるようになっていた。
勿論、この人−高根沢さん−のアドリブとギターテクニックにはまだまだ敵わない。
メロディーの宝庫、この人の心の中から泉のように溢れ出して来る物にはとても。
引き出しの数が違い過ぎるのだ。
まだまだ僕は修行中の身だ、と言う事を毎回改めて実感させられる。
また、秋のツアーがやって来る。
とある8月の末の日、僕はいつものように彼らのリハーサルスタジオにいた。
髪をアップにして、スーツにハイヒールと言うキャリアウーマン風の女が入って来て、高根沢さんと挨拶を交わしている。
どこかのプロダクションの人間だろうと思ったので、僕はギターのチューニングに専念していた。
チューニングが少しでも狂っていれば、耳の良いこの人にはすぐに解ってしまう。
プロとして許されない事だし、僕は神経を尖らせている。
ギターのチューニングは時間が経てば、勝手に狂って行く物なのだ。
だから、1度チューニングを終えたからと言って、安心は出来ない。
僕は夢中になって作業を続けていたが、ふと視線を感じて顔を上げた。
高根沢さんと挨拶をしていた女だ。
僕は改めて彼女を見た。
その時、一瞬2人の間で時間が止まった。
「夏海………」
僕の口から、思わず彼女の名前が零れ出た。
「どうして此処に…?」
僕はギターを置いて、前に進み出た。
「彼らのスタイリストさんからステージ衣装の依頼を受けたの。友禅染の生地を使って作りたいって。私がデザインをする事になったのよ」
夏海は懐かしげに笑った。昔と変わっていなかった。
「あなた、ついに夢を叶えたのね。私、初日のコンサートに招待されたのよ。あなたがどうやって輝いているのか、見に行くわ」
「夏海だって、こんなに有名になって。俺はまだまださ」
夏海がデザインした友禅染はその新しさが若者に受けて、首都圏のデパートにコーナーが作られる程になっている。
着物に限らず、ワンピースにしてみたり、と言う斬新さが良いらしい。
実はこっそりと見に行った事がある。
夏海はそこにいなかったが、若い女の子達がそれを試着して晴れやかな表情になっているのを見た。
彼女の夢が見事に花開いた事を、僕は肌で感じ取っていた。
「でも、見せてやるよ。当日を楽しみにしていて」
僕は、リハーサルを始めると言う高根沢さんの声を聞いて、自分の場所に戻った。
夏海はあの頃と同じように、生き生きとして輝き続けている。
綺麗だ。お世辞抜きにそう思った。
すんなりとした体型で背の高い、所謂宝塚スターのような美形の高根沢さんに夏海はどんな友禅染をデザインするのだろう?
コンサートの初日には、僕もそれを眼にする事が出来る。
そして、僕の夢の形を彼女に見せる事も出来る。
いつも以上に、コンサートの開幕が楽しみになって来た。

 

 

初日の開幕まで、夏海はリハーサルスタジオには顔を出さなかった。
衣装の打ち合わせは事務所で行なっているのだろう。
ついにツアーの初日は熱狂に包まれて開演を迎えた。
夏海は開演前にメンバーの楽屋を訪ねて来たようだが、僕らの楽屋は別の部屋なので、彼女とは逢わなかった。
でも、この広いホールのどこかで、夏海は僕を見ている筈だ。
幕が開く前、いつになくドキドキした。
高根沢さんは、そんな僕に気付いた。
「どうした?どうやらあの女(ひと)の事が気になっているようだが、ライヴが始まったら、余計な事は考えるなよ!」
「はい。すみません!」
僕は棒を飲んだように、直立不動になってしまった。
この人は解っている。あの時、1度しか再会の場を持たなかった僕達の事を。
高根沢さんのバンド仲間が笑って僕の背中を叩いてステージに向かって行った。
ステージの定位置に着いたら、もうコンサートの段取りの事しか頭に無かった。
高根沢さん達の影が動いただけで、客席からは歓声が聴こえて来る。
そうだ。この観客を熱狂させる事。
今は夏海の事を考える事よりも、それが僕の仕事だ。
僕は最初の曲で使うギターをそっと抱えた。
高根沢さんが身に付けている衣装は、夏海がデザインした友禅染の生地で作られている。
長めのコートジャケットと言ったら解りやすいだろうか。
色は藍を基調としている。こんなに綺麗なグラデーションが出る物なんだ。
僕は感嘆した。
その衣装が、今切って落とされる緞帳によって、お披露目される。
客席から見たらさぞかし美しい事だろう。ステージに集まって来る照明に輝いて。
僕はちょっとだけ客席のオーディエンス達に嫉妬した。
そして、ついに初日のステージが開幕した。

 

 

コンサートは熱狂の内に終了し、翌日も同じ会場でのライヴと言う事もあり、メンバーの楽屋で簡単な反省会があった。
その席に夏海も同席していた。
客席から見てどうだったのだろう?
どうやら夏海は衣装と、ライトアップの出来には満足している様子だ。
勿論、モデルについても。
反省会がお開きになる直前、夏海は僕の耳元にこう囁いた。
「素敵だったわよ。輝いてた」
そう言って、自分の事務所の住所などが書かれた名刺を僕にそっと手渡した。
その裏には、『今度ドライブに連れてって』と書いてあった。

 

 

コンサートツアーの合間にぽっかりとライヴでも移動日でも無い日があった。
僕はその日に夏海をリザーヴした。
僕だって愛車を買える位の身分にはなっていた。
お互いに事前の相談はしていなかったが、行き先は暗黙の了解になっている。
そう、あの、夏の海………
もう季節は秋だけれど。
あの場所に近付くに連れ、少しずつ僕達は昔の自分達に戻って行く。
「たったひと夏の事だったのに、とても懐かしかった。いつも夏になるとあなたの事を思い出していた」
開け払った車の窓から心地良い潮風が侵入して来た時、夏海が口を開いた。
「僕だってそうさ。逢いたかった……。でも、ギタリストとして、波に乗るまでは逢いたくなかったんだ」
「解っているわ」
海辺に車を停めた。
2人は裸足になって、浜辺に降りた。
もうすっかり昔に戻った2人は、童心に返って浜辺を走り回った。
他愛も無い追いかけっこだ。
秋の海には誰もいなかった。
僕は逃げ回る夏海を捕まえた。
その瞬間、足場を失って、2人は折り重なって浜辺に倒れた。
夏海の水色のワンピースの裾が風に舞った。
良くあるシーンだったが、その時はそんな事は思わなかった。
「夏海………愛してる。ずっと君だけを思っていた………」
僕は彼女に重なって、そっと口付けをした。
夏海も僕を受け入れる。
「私、でいいの?2つもお姉さんよ」
「そんなの大した事は無いさ。10年以上も経っても思いは変わらなかった」
夏海のセミロングの髪が砂にまみれている。
僕はそれを掬い取った。
「ずっと一緒にいたい……。この10年分を取り返す為に」
僕は夏海の頬に触れた。
今、彼女が僕の手の中にいる。
夏海が下から僕の頬を両手で挟んで、引き寄せた。
長い長いキス。
夏海の唇は柔らかくて暖かかった。
波音だけが聴こえていた。
優しい秋の海風が心地良く僕らに吹いていた。

 

− 終わり −