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雨の風景

 

レストランのモノトーンの照明の中、彼が吐き出した煙草の煙が、静かに揺れる。
窓の外は土砂降りの雨。
「今日も雨か………1年前と同じだな」
的場俊は、煙の行方を眼で追いながら、ひとり呟いた。
(あの日も、こんな雨の風景の中に俺達はいた………)
1年前の今日、彼には辛い別離があった。
それを此処に書き記すには、的場俊の幼少期に発生した事件の事を、お伝えして置かなければならない。

 

 

それは、35年前に遡る………
俊は僅か2歳。腕白な盛りの男の子だった。
彼には一卵性双生児の弟・俊彦がいた。
当然ながら、2人は瓜二つであり、2人の区別を付けるには、右顎に黒子が有るか無いかで見分けるしか無かった。
黒子があるのが、弟の俊彦。無いのが、兄の俊であった。
彼らの家は割と裕福な暮らしをしていた。
父が小さな開業医を営んでいた。
ある日、俊と一緒に砂場で遊んでいた筈の俊彦が、母親が近所の主婦との井戸端会議に夢中になっている間に、消えてしまったのだ。
母親は近所の奥さんに俊を預けて、必死に俊彦を探し歩いた。
夫に連絡をし、警察にも捜索願を出した。
眼を血走らせて、可愛い息子を探し回った。
小一時間もした時、『的場医院』の看護婦が、彼女にすぐ戻るようにと言いに来た。
自宅に戻ると、医院は臨時休診しており、応接間に数人の刑事が居た。
迎えに来た看護婦とは別の、年配の看護婦が意味も解らずにただ人が沢山いる事にはしゃいでいる俊を抱っこしながら、困惑した表情で彼女を見た。
「なぜ、子供達から眼を離したっ?!」
白衣を着たままの夫は逆上して彼女を怒鳴り付けた。
「まあまあ……奥さんを責めている場合じゃないでしょう、先生………」
年配の刑事は、彼を宥めてから母親に向き直った。
「奥さん……落ち着いて聞いて下さい。俊彦ちゃんは誘拐されました」
若い母親はナイフで胸を引き裂かれるかのような衝撃に打ちのめされた。
………警察も必死の捜査を繰り広げた。
が、身代金をまんまと奪われた挙句、俊彦は戻らなかった。
唯一、犯人を見ているのは俊だが、僅か2歳の彼に、何も解る訳が無かった。

 

 

俊には俊彦の記憶がまるで無かった。
ただ両親の話や、幼い頃の写真のみで弟の存在を意識しただけである。
俊彦は絶望的、と報道協定解除後の新聞各紙は書き立てた。
でも、俊彦らしい死体はその当時には見付かっていない。
俊彦はどこかで生きている。
それを信じているのは、もはや両親だけであった。
やがて『的場俊彦』と言う人間は、戸籍に残るのみの実態の無い人物として、世間から忘れ去られた。

 

 

そして、35年後の初夏………
的場俊は、神奈川県警捜査一課の若き警部補に成長していた。
俊彦の無事を最後まで信じていた両親は、彼が独り立ちするのを見届けてから、アフリカへ渡った。
小さな診療所を開き、その土地に骨を埋める覚悟でいる。
俊彦への償いに、他国へ渡って赤ひげ先生のような治療で、子供達を救ってやりたい………
2人の心の中では俊彦は俊と同じように青年へと成長してはいなかった。
あの当時のまま……2歳のままでいるのだ。
成長する俊を見ているのは、ある意味辛かった筈だ。
俊彦と瓜二つなのだから。
彼を見る度にあの事件の事を思い出すだろうし、自責の念に駆られるだろう。
俊は、これから親孝行を…と思っていた処だったので、両親の選択にいささか不満や不安をも感じていた。
だが、弟・俊彦の事件をいつまでも引き摺って、重荷にして生きている2人を見て、せめてやりたいようにさせてやろうと思って、黙って送り出したのであった。
……ある日、彼は暴力団幹部の変死体が横浜港に上がったと言う知らせを受け、現場に駆け付けた。
そして現場検証を終え、部下に神奈川県立医大監察医務室へと搬送される死体を追った。
解剖が済み、担当した新任の法医学講師・降矢雄一を紹介された時、俊は彼のマスクを外した顔に釘付けになってしまった。
まるで自分を見ているかのような錯覚に陥ってしまったのだ。
降矢も同じだ。
ただ、彼は此処に着任した時に自分にそっくりな刑事がいると聞いていたので、『成程…確かに』と思ったに過ぎない。
「降矢先生は、ある私立病院の胸部外科で優秀な腕を発揮しておられたのですが、1週間前にこちらの監察医務室の講師に来られました」
スタッフの1人が、俊に降矢を紹介した。
「次から次へと眼の前に座る患者を診ていると、自分が機械の一部のように思われて来ましてね。大病院の患者の多さに少し参ってしまいました。極端な事を言えば、どうでもいい患者を診察している間に、すぐにでも治療が必要な患者が苦しみながら順番を待っている………そう言うのを見ていられなくなったんです」
降矢は自嘲気味な笑いを浮かべる。
「………つまり、病院と言う戦場を抜け出した脱走兵です。余計な事を喋り過ぎましたね、刑事さん。死因ですが、単純な事故死と見ていいと思います。現場の海水を随分飲んでいますし、アルコール成分が大量に出ています。今日中に鑑定書を書いて、FAXで送りましょう」
ファイルを閉じると、降矢は俊に問い掛けた。
「あなた、的場さんって言いましたね。兄弟は?」
俊はそう問うて来た降矢雄一をじっと見詰めた。
降矢はスタッフに少し席を外すように言った。
「養父に……死に際に言われた。私には双子の兄がいると。本当の名前は、的場俊彦。私は実は養子だったんだ、と……」
「それを、いつ?」
「知ったのは、3年前だ。でも、降矢雄一とした生きて来た俺には、それを俄かには信じられなかった……。だから、養父に言われても、『兄の俊』と言う人物を探そうとは思わなかった。その後、遺品を整理している時に養父の遺書を発見したんだ。もう時効だろうから、言うよ。俺は『的場医院』の息子で、養父が誘拐して来たのだと…書かれていた」

 

 

『降矢雄一 様

 これから書く事は、お前には衝撃的な事だろうと思うが、これが全ての真実だ。お前は私の実の子ではない。 的場晋次と言う医者の息子だ。お前が2歳の時、私は経営していた工場を潰してしまい、どうしても金が必要だった。営利誘拐を計画したのだ。お前には双生児の兄で、俊と言う血を分けた兄弟がいる。私はどっちでも良 かった。たまたま誘拐した方が弟の『俊彦』だった。
お前は無邪気で可愛かったよ。身代金を手に入れた後、お前を殺すつもりだったが、余りの可愛さにそれが出来なかった。
身代金はお前の養育費にした。そして、私は真面目にサラリーマンをしながら、お前を育てた。女房はお前を産んですぐに死んだと嘘を付いたが、私は1度も妻を娶らなかった。写真も1枚も無いのだと言ったが、お前は不思議に聞かなかったな。だが、立派な医者になったお前は、もうきっと気付いているだろう。戸籍も見ただろうし、私と血液型が違う事も知っているだろう。何も言わないお前に感謝している。いい『息子』だった。私は騙し続けている事に、いつも負い目を感じていた。本当に済まなかったと思っている。私が死んだら、すぐに兄の俊君を探しなさい。君の本当の両親は、アフリカに渡っているらしい。私には其処までしか調べられなかった。俊君を探せば、両親の事も解るだろう。彼は警察官になったそうだ。私のした事は許される事じゃない。お前の両親の慟哭を思えば、本当に残酷な事をした物だ。こうして、肺癌に冒されて苦しみながら死んで行くのも、きっとその報いだろう。今は、お前の前途が洋々たる事だけを祈っている。
私のような者に育てられたのにも拘わらず、お前は立派に育ってくれた。心から感謝している。

的場俊彦 様
降矢和雄』

 

 

遺書の最初には、彼の今までの名前が、そして最後には本名が書かれていた。
養父の複雑な気持ちが表われている、と降矢雄一は思った。
「父と呼べるのは、あの人しかいない、と思っている。だから、敢えて探さなかった……。でも、こうして再会するなんて……そう言う運命だったんだな……」
再会を果たした夜、2人は酒をしんみりと酌み交わしながら、お互いの話をした。
『降矢雄一』の右顎には黒子がある。
そして、何よりも2人の同じ顔が、一卵性双生児の証拠でもある。
その晩、2人は初めて、お互いの名前を呼んだ。

 

 

俊は弟との再会を喜んでばかりもいられなかった。
仕事に追いまくられる生活なのだ。
勿論、彼はそれを望んで刑事になったのだから、仕方が無い。
弟と再会した翌日も、彼は仕事で多忙を極めていた。
その合間を縫って、アフリカにいる両親に短い手紙を認めるのがやっとだった。
俊彦が見付かったと言う事だけは知らせておかねばならない。
手紙の投函を自分でする時間も取れない彼は、事務を執る婦警にそれを依頼した。
『降矢雄一』先生が出した鑑定書……単純な事故死……警察は警察なりにこれの裏付けを取らなくては、『暴力団幹部変死事件』は解決しないのだ。
鑑定書によると、
『本屍(ほんし)は泥酔状態であったと思われる。外傷も全く無い。従って本屍は海を見に港へ入り、誤って海中 へ転落した物と考えられる』
とある。
所轄署の警官を動員して、現場付近を調べたり、港の労働者達に聞き込みを行なった。
すると、こんな話を聞けた。
死体が上がった日の朝……つまり昨日の事だ。
近くに汚物の跡があったと言うのだ。
何時の間にか洗い流されてしまって、それが死体の男が酔って戻した物かどうかはもう確認が出来ない。
事件の捜査はこのまま終わったかに見えた………

 

 

それ以後、俊と俊彦は、お互いの仕事が忙しくて、なかなか逢う事が出来なかった。そして、半月が過ぎて行ったある日………。
横浜は目まぐるしい程に、事件だらけの街だ。
刑事達は、暴力団幹部の変死事件などを記憶している暇も無かったのだが………。
県警捜査一課に届いた1通の手紙が俊の胸を貫いた。
差出人の氏名は無い。
消印を見ると、県警のすぐ近くの郵便局から集配されている事が解る。
手紙の内容は、『暴力団幹部変死事件』の解剖結果についての密告だった。
『降矢先生は単純な事故死として鑑定書を出されましたが、実は解剖の時、死体からアーモンド臭がしたと言う 噂があります。そうです。本当の死因は青酸中毒死です。胃の内容物のデータからも青酸化合物が出ている 事が明白です。なぜあの優秀な降矢先生がデータを改ざんしてまでも、事実を隠す必要があったのでしょうか?恐らく青酸中毒で死亡してから、海に投げ込まれたのだと思います。この事件は調べ直されるべきだと思います』
「どう言う事かね。解剖医が嘘の鑑定書を出すなんて……」
内容を一通り読んで、課長が呟いた。
「ハッタリですよ。その先生は相当優秀だと言う事ですよ。才能を妬んだ誰かがやったんでしょう。子供の悪戯よりも馬鹿げている」
40代半ばの刑事が胡散臭そうに答える。
「……課長。私に調べさせて下さい」
俊は課長のデスクの前に背筋を伸ばして立った。
「的場。君には一課を指揮する義務があるんだぞ」
課長は静かに彼を見た。
「解っています。勝手なお願いだと思っています。でも……私は彼を信じたい。だから、自分で納得の行くようにケリを付けてやりたいんです」
「君はその先生と知り合いなのか?」
「………35年前、生き別れた弟です」
「何!?」
課長は絶句した。俊には言っていなかったが、彼は35年前、新米刑事として、的場俊彦誘拐事件の捜査に参加していたのだ。
もう定年に近い彼の髪には霜が降りかけている。
「そうか……。解った。気の済むようにするがいい」
課長は穏やかな視線を俊に向けた。

 

 

俊は死んだ暴力団幹部・坂田吾朗の身辺を改めて洗い始めた。
『事故死』としての処理だから、彼の事は余り深く調べられてはいなかった。
いくつかの泥酔証言を得ただけである。
調査の結果、いくつかの疑惑が浮かんだ。
坂田吾朗は、サラリーマン風の年配の男を脅迫し、金を巻き上げていた。
3年前にその男が死に、金づるが無くなってからは、特にひどく酒に溺れるようになり、暴力事件が絶えなくなった。
巻き上げた金を組長に上納していたのだ。
幹部とは言っても名ばかりの小さい組だった。
情報屋によると、3年前男が死んだ後、その息子が坂田吾朗を酒場で殴り飛ばし、坂田が入院した事かあると言う。
示談が成立し、息子から相当な金を取った。
今度はそれをネタに息子を恐喝しようとしたが、息子が警察に通報すると逆に脅して来たので、失敗に終わった。
また、死体となって発見される前日の晩、坂田が男と酒を飲んでいたと言う証言が得られた。
その相手の男の人相は不明だが、右顎に黒子があったと言うのだ。
「その男、私にそっくりではありませんでしたか?」
「は?……さあ、本当に思い出せないんですけど……」
店の者は首を傾げながら答えた。
妙な思いが俊の心を横切った。
(まさか…そんな筈は……)
思わず頭(かぶり)を振って、彼はその考えを打ち消した。

 

 

俊は不本意ながら、俊彦の『父親』降矢和雄を調べる事にした。
生前の本籍地を訪ね、35年前の彼を良く知る人物を探し当てた。
「丁度その頃、和雄さんは営んでいた工場が倒産して、大変だった筈だよ。それが女房もいないのに、突然隠し子が現われて……和雄さん、その子負ぶって、工場捨ててこの街を出て行っちまった……」
「隠し子?!……どんな子でした?」
「どんな子って……2〜3歳の男の子だったなぁ〜」
「何か特徴は?黒子とか」
「あったよ。黒子。顎にね。他は何も覚えちゃあいねぇが、それだけは覚えている」
……俊は、誘拐犯が、本人の言うように降矢和雄である事を確信した。
調べを進めて行く内に、俊は弟に対する不信感が増大して行くのに気付いた。
自己を制しようとしても……制し切れなかった。
彼が調べ上げた事は余りにも彼には残酷な事実だったのだ。
彼の理性は必死に弟を信じようとしているのだが………俊彦が鑑定書に事実と違う記述をしたのは、もはや俊の調べで間違いの無い事と解った。
さらに………

 

 

俊は翌日の夕方、俊彦をレストランに呼び出した。
外は土砂降りの雨。俊が手にする夕刊には、『梅雨入り宣言』の文字………。
俊彦は肩を濡らして入って来た。
「ひどい雨だなぁ。傘が役に立たないよ」
俊の前に座ると、彼はぼやいた。
やがて2人の前に、ビールが2つ並んだ。
「今日は俺に奢らせてくれ。好きな物を頼んでいいよ」
俊はビールに口を付けながら、俊彦にメニューを渡した。
………やがて、時間を掛けた食事が終わった。
食後のデザートが出された時、俊彦が口を開いた。
「ところで、話でもあるんじゃないのか?」
「小説を書くんだが、粗筋を聞いてくれないか?」
「ふ〜ん、そんな趣味がね………」
「話す前に条件がある。途中で感想を言わないでくれ。終わったら纏めて聞く」
「解った」
俊はビールを一口飲んだ。
そして話し出した。
「………ある双生児の兄弟がいた。医者の家に生まれて、それなりに裕福な暮らしをしていた。だが幸せな生活は突然引き裂かれた。双生児の弟の方が誘拐されたんだ。身代金を要求され、警察が張り込んでいたにも拘わらず、金だけを奪われて、その子は戻って来なかった。マスコミはその子の生命は絶望的だと報じ、それらしい死体も出なかった。そう、その子は生きていたんだ。誘拐犯がその子の余りの可愛さに、彼を殺せなくなってしまったからだ。犯人は身代金を養育費にして、その子を自分で育てる決心をした」
「モデルは俺達なのか?」
「黙って聞けよ………そしてその子は、立派に成長した。誘拐犯……仮にAとしよう。Aは孝行息子に眼を細めながらも、騙し続けて来た事に、自己嫌悪に陥っている。そのAの様子がおかしくなり、息子は不審に思った。暴力団の幹部のBが誘拐の事実を掴んで、それをネタに強請りを始めたからだと解って、彼は1度Bと話を付けなくてはと思った。ところが、突然養父のAが癌で倒れたので、彼はそれ処ではなくなった。彼は医者になっていたから、自分の勤める病院にAを入院させ、必死の看病を続けた。その甲斐も無くAは息絶えた。その死ぬ間際の言葉と遺された遺書で、全てを知った彼は、養父を心から許した。そして、彼はBに逢いに行く。彼の胸には『復讐』の二文字しかない。とは言え、その時は殺すつもりなどなかった。Bを酒場で殴ったのが裏目に出て、却って自分が脅される事になってしまったんだ。うまい事、その場は切り抜けたが、彼は今度は強くBへの殺意を覚えた。ほとぼりが冷める頃、彼は行動を開始した。私立病院の胸部外科から、法医学へ転向したのも、計算ずくだった。彼は再びBに近付いた。青酸の臭いを感じさせずに酒を飲ませる事など、彼には朝飯前だった。既に死んでいるBを、泥酔して前後不覚になったものと周囲に見せ掛けて、Bを送って行く振りをして、死体を負ぶって店を出る。そのまま横浜港へ直行し、死体を海に放り込んだんだ。潮の関係で遺体が上がるのは翌朝だと計算した。翌日は教授・助教授が学会で留守にする日で、解剖は講師である自分の執刀になる。この事も計算済みだった。そして、鑑定書には当り障りの無い事を書いて、警察に提出する。事故として処理されれば、自分の身は安全………」
「なかなか、面白いじゃないか……」
俊彦は低く笑った。俊は悲しげに彼を見詰める。
「彼の計算外だった事が1つある………匿名の内部告発。『身内』に足を引っ張られるとはね……」
俊は例の手紙を、俊彦の前に広げた。
「………………………………………」
「俺は、信じていたよ……半信半疑で調査を始めた。運命の悪戯、だな。生き別れの兄弟がやっと再会したと言うのに。僅か半月で…俺は実の弟をパクらなくてはならん……これは、何だ?何なんだ…?」
俊が苦しげにうめいた。
その時、ガタッ!と音を立てて、俊彦が立ち上がった。
そして、ポケットから探り出した紙包みの粉末をビールに溶かして、一気にそれを飲み干した。
その間、僅か数秒で、俊には止める間も無かった。
俊彦はグフッ!と喉から血を吐いて、床に崩れ落ちた。
「俊彦!!お前、何を飲んだ?!」
俊は必死に吐き出させようとしたが、既に遅かった。
アーモンド臭が漂った。俊彦は青酸を口にしていた……
「負け、たよ……的場、刑事…。こんな、風に…逢いたく、は、なか、った……許し、て、く…れ……兄、貴……」

 

 

……それっきり、俊の弟は還って来なかったのだ。今度こそ2度と。
土砂降りの中、俊は俊彦を抱き上げて、びしょ濡れになって歩いた。
パトカーが前方から近付いて来たが、彼にはぼやけて赤い色しか見えなかった。
雨だけのせいでは、無かった………。

 

 

的場俊は、レストランを出て、雨に濡れながら、1年前の回想から現実に戻った。

 

 『雨の風景』

 別離(わかれ)はいつも雨の風景…
  逢って良かったのか
   逢わずにいた方が良かったのか……
    俺には解らない……
     決して幸せな再会じゃなかった
      束の間の出逢いも闇に引き裂かれた
       逢わなければこんな別れもなかった
        こんなに心を痛める事もなかった……
         けれど…逢えないままでいるよりは、良かったのだろうか……

上の詩の『別れはいつも雨の風景』と言うフレーズだけ、
寺尾聰氏の『雨の風景』と言う曲からお借りしました。
(作詞:有川正沙子女史)

 

− 終わり −