嵐の予感

 

 

それは、常軌を逸した事件だった……

 

 

風見祐介は、片肺を切除する大手術を受け、年の暮れに刑事の仕事に復帰した。
そして1ヶ月が過ぎた頃である。
丁度インフルエンザが猛威を奮っており、担当医師から『風邪を引いたら即入院』と告げられていた彼は、予防の為のマスクを手放せない日々を送っていた。
元々この時期に仕事に復帰するには、無理があった。
リハビリに時間を要するからである。
しかし、彼には時間が無かった。
意志の力で、その崩れそうな身体を支えていた。
肉体を駆使する仕事は、仲間達が率先してカバーしてくれた。
今の彼は、その頭脳をフル回転させて、事件に体当たりで当たっていた。
そんな彼が、異様な緊張感に晒される事となる事件が起きた。

 

 

みのわ銀行渋谷支店では午前から昼時に掛けての忙しい時間を過ぎ、比較的客の数が引いて来ていた。
そんな時に支店長室に1本の電話が入ったのである。
『店内に5つの爆弾を仕掛けた。今、中にいる行員、客をひとりも外に出すな!すぐに全ての出入口のシャッターを閉めろ!外に飛び出す者がいたら、容赦なく射殺する!』
と言う物だった。
支店長は最初、それを突っぱねた。
『それなら行員に確認させてみろ。1つ目はATMの一番左側の機械の脇にある』
犯人は場所まで指定して来たので、支店長は自ら確認に行った。
すると言われた通りの場所に放置された茶色の手提げ袋の中にそれらしき物が入れられていた。
カチカチとタイマーの音が洩れ聞こえている。
支店長は只事ではない事を察知した。副支店長にすぐにシャッターを閉めるように指示を出す。
「お客様に申し上げます。只今、この銀行に複数の爆弾を仕掛けたと言う脅迫電話がありました。
 一旦犯人の要求に従って、シャッターを下ろさせて戴きます。事実関係が解るまで、落ち着いてご協力をお願い致します!」
支店長が行内にいる客と行員に向かって叫んだ瞬間、
『冗談じゃないぜっ!』
と閉まり掛けたシャッターを潜り抜けて、外に出た若者がいた。
その瞬間、外で銃声が響き渡った。
降りて行くシャッターに即死したらしい若者の姿が遮られた。
それは見せしめには充分過ぎた。
悲鳴が上がり、客も行員も震え上がった。
数分後、充分怖がらせておいてから、再び犯人からの電話が入った。
支店長室から転送されて来たその電話に、支店長は激しく戦慄した。カウンターの中でそれを受ける。
「……要求は何だ?」
『爆弾は全部で5つだ。もうサツには通報しているんだろう?せいぜい頑張って爆発を止めて貰いたい』
丁度、副支店長の手引きで通用口から入った三原署捜査一課の面々がカウンター内に忍んで来た。
部長刑事の沢木が支店長から電話を受け取った。
「警察だ。一体どう言うつもりだ?」
『支店長に言った通りだ。全部で5つの爆弾をチョチョイと解体してみてよ。時限爆弾だが、こっちからリモコンで爆破する事も可能だからな。誰かが逃げ出そうとしたら、すぐにドカーン!だ。さあ、時間が無いぞ。急いで探せ!すぐに見付かる筈だ。フフフフフ……』
愉快犯を思わせる笑いっぷりで、その電話は一方的に切れた。
「爆弾を探せ!全部で5個だっ!!」
沢木の指示で、刑事達が一斉に動き出した。
犯人の言う通り、爆弾は簡単に見付かった。
支店長が発見した物と同じ茶色の手提げ袋に入って、ソファーの下や案内板の下など、比較的見付かり易い場所に置かれていた。
どうやら宝探しゲームよりも、爆弾の解体をして欲しいらしい。
「爆発物処理班はまだか?」
沢木が部下の原に振り返った。
「まだです。こっちには向かっている筈ですが…」
「どうすんだよ、俺らには手に負えねぇ」
戸田が爆弾を目の前にオロオロした。
「でもこのまま手を拱いている訳には……」
早瀬も困惑する。
そんな中、祐介だけが、じっとその箱型爆弾を見詰めていた。
耳を当てて、中の動きを余さずに聴こうとしている。
「みんな、手伝ってくれ。やるしかない」
祐介はスーツの上着を脱ぎ、腕を捲くった。
「あるだけの工具を全部出して下さい。それから皆さんは出来るだけ此処から離れて!」
数人の行員が工具を集めて来た。
「みんな、落ち着いてくれ。紙袋に入れて運んで来た位だ。少しの振動で爆発するような類の物ではない」
沢木も含めて1人1つずつその爆弾を受け持った。
「まずは慎重にこの蓋のネジをドライバーで外して下さい」
祐介は率先して自分の作業を始めた。
四隅のネジを緩めて取り外すと、そっと蓋を外した。
すると中から赤いデジタル表示の時計のカウントダウンがまず眼に飛び込んで来た。
その周りを細かい部品と配線が包んでいる。
全員が祐介に倣って、蓋を取り外した。
時計は全てが同じ数値をカウントダウンしている。あと10分余りで爆発すると言う表示が出ていた。
祐介が全部の爆弾を覗き込む。
「良かった……全部、同じ作りだ。あとは任せて下さい。みんなも此処から離れて!」
「風見!」
「デカ長、大丈夫です。やらなければ此処にいる皆は吹っ飛んでしまいます。やるしかありません!」
祐介は言いながら、既に時計の下から出ている緑色のリード線をペンチで1つ1つ切り離した。
「まずはリモコンからの爆破指示を解除しました。後は時間までに止めるのみです」
爆弾を5つ、横並びに並べ、額に脂汗を浮かべながら、祐介は振り向かずに言った。
暑いのかマスクを外している。その唇にドライバーを咥え、手を休める事なく格闘している。
彼が沢木にだけ聞こえるように言った言葉がある。
「デカ長、客の中にいるゴルフバッグを持った男に注意して下さい。あのバッグの中身、もしかしたら、組み立てたライフルかもしれません」
確かに見ると、ゴルフの練習場にでも行くようなビニール製のバッグを立て掛けた男がいる。
銃に詳しい祐介の勘では、その形状がとてもゴルフのクラブが入っているようには見えなかったのだ。
外にいる主犯格の男の仲間かもしれない。
沢木は祐介に爆弾を任せ、刑事達も客や行員達の溜まりに集結した。
注意して男の挙動を観察する事にした。

 

 

祐介は、行内の隅で1本1本丁寧にリード線を手繰り、確認してから切って行く。
緊張が高まる。爆発物処理班は間に合うまい。
彼の手に行内の人間の生命が掛かっていた。
肺が酸素を欲しがっている。急激に彼の呼吸が早まり始めた。
沢木がカウンターの向こうから、彼の様子を心配げに見詰めている。
真冬だと言うのに、祐介のワイシャツには汗が滲み出ていた。
パチン!
1本の赤いリード線を断ち切った。1つ目の爆弾の時計が止まった。
爆発2分前。残りの爆弾も同じ所を全て切って行く。
「………終わり…ました……」
祐介が全員に聞こえるように呟いた。
周囲からホォ〜っと言う吐息が洩れ、全員が肩から力を抜いた。
祐介は壁に寄り掛かり、肩で深呼吸する。苦しい……。
全身から酸素が欠乏している。
彼が呼吸を整えている間に、沢木が例の男に声を掛けていた。
周囲の一般客や行員を上手く少し切り離し、原や戸田、早瀬と共に囲んでいた。
「そのゴルフバッグの中身、見せて貰いましょうか?」
その瞬間だった。
男はニヤリと笑い、革のジャンパーの前を開いた。
腰にぐるりとダイナマイト数十本が巻かれ、手にはリード線を持っている。
そして、バッと剥いだゴルフバッグの中からは、やはり祐介の読み通り、黒光りするライフルが顔を出した。
「お前、それに火を点けたら自分も死ぬんだぞ。解っているのか?!」
沢木が宥めたが、もう既に彼の眼は常軌を逸していた。
ヘッドホンをして何かを聴いている。
催眠術か何かを掛けられているのかもしれない。
「へへへへへへ……お前、良く1人で解体したじゃないか?驚きだぜ。あいつも今頃、悔しがってるだろうな」
男はライターでリード線に火を点けると、祐介にライフルの銃口を向けた。
「あいつって誰だ?お前を操っている奴だろう?!」
祐介はカウンター越しに男ににじり寄る。
カウンターの外にいるのは祐介だけである。
「腹いせにお前を撃ち殺せと言っている。そして此処にいるこいつら全員道連れにしてやる。助かったと思ったのに残念だったな。イヒヒヒヒ……」
祐介の眼がツッと細くなった。ライフルの動きを見極めている。
「みんな、伏せてっ!!」
叫んだや否や、彼の腰からマグナムが抜かれていた。
違う事無く、その弾丸は男のライフルの銃口に突き刺さった。
ライフルは暴発した。
両手を血まみれにして、それを取り落とした男は、次の瞬間取り押さえられ、リード線の火は踏み付られて永遠に消し去られた。

 

 

しかし……この男や、路上生活者を使って、爆弾を行内に持ち込ませた黒幕の男はついに捕まらなかった。
この恐怖の愉快犯が街中をウロウロしている以上、第二波、第三波の嵐は必ず起こる。
まだこの事件はその予感に過ぎない。
刑事達の闘いはまだ始まったばかりである。

 

− 終わり −