DETECTIVE STORY

 

 

第1部 『 風が伝えた愛の唄 』 (1)

 

 

渋谷にある三原警察署・捜査一課の若手刑事達は、毎週地下の射撃場で射撃訓練をするのが常になっていた。
無数の銃声が、防音設備の整った場内を木霊する。
銃身の長い拳銃を持った美男子がずば抜けた射撃を見せる。 彼は警視庁で1、2を争う射撃の名手としてその名を馳せていた。
風見祐介、26歳。 警視庁射撃大会昨年度優勝者。 それ処か彼は3年連続優勝と言う輝かしい記録を持っている。
初めて挑戦した年に、大方が優勝候補と見ていた狙撃班のベテランを軽く破って以来、彼は一度だって負けた事がなかった。
そして今年も、署内の予選をいとも簡単にクリアして、4年連続に挑む。
祐介はイヤープロテクターを外し、首に引っ掛けたまま、マグナムのリボルバーをくるりと回すと、肩から下げたホルスターに収めた。
185cmの長身の割にはスリムで、肩に付きそうな長めの少し茶色掛かった髪、そして何よりも甘いマスクが署の内外を問わず、女の子に人気を博している。
刑事としての実力も、その若さの割にはベテランの域に達しており、彼のように非の打ち所のない男も珍しい。
こう言う人間は却って疎ましがられる事が多いのだが、彼は持ち前の気取りの無さで同性をも魅了していた。
容姿だけでなく、性格ハンサムと言ったところだ。
彼に従って他の3人、原優(すぐる)、戸田一郎、早瀬務刑事も射撃を止めた。
「相変わらずさすがだな、風見。 この調子じゃ、今年も優勝はお前さんで決まりだ。ちょっぴり悔しいが……」
祐介と警察学校で同期の原が、ど真ん中に風穴の開いた標的を横目で見ながら長嘆息した。
「俺達は何年掛かっても見込みがないからよ。その分お前に頑張って貰わないとな」
戸田は首の後ろで指を組み、半ば自棄気味な声を出した。
この男は、身長が165cm程の為、余り祐介とはコンビを組みたがらない。
服装はいつも殆どスーツで決めている祐介や原と違って、カジュアルで汚れても良いような軽装だ。
「今日は随分と僻みっぽいじゃないですか」
早瀬が戸田に突っかかるのは、珍しい事だ。 彼は刑事になり立てで、まだ若い。
戸田は早瀬を睨み付けて見せたが、祐介も原も笑ってばかりだ。
「飯、喰いに行こうぜ。自棄食いしてやる」
戸田が誘うと、 他の3人も同意した。
「デカ長にひと声掛けてから行く。先に行っててくれ。どこにする?」
祐介が笑いを残しながら訊ねた。
「たまにはおばさんの所はどうだ?少し遠いがあそこが一番うまい物を食わせてくれる。お前車出せよ。駐車場 で待ってる」 
戸田は1人で勝手に決め、さっさと1階への階段を昇って行く。
原が祐介に苦笑して見せてから、署の玄関を出た。
祐介は更に階段を昇り、2階へと歩を運んだ。
その間、彼と擦れ違う婦警達は、皆、頬を染めて会釈して行く。
祐介は首を傾げながら課室に入った。
「こんにちは」
背中まである美しい巻き毛の女性が愛らしく祐介に挨拶した。
「あれっ?今日は、病院の方は?」
祐介らの上司、沢木邦彦部長刑事のデスクの前に立っていた彼女は微笑んで答える。
「今日はこれから出勤なんです。兄さんが、折角私が作ったお弁当を忘れて行ったものだから、ついでに……」
彼女は沢木の年の離れた妹で、瞳と言う。
沢木とは腹違いだが、兄弟仲は良く、昨年の春、事故で両親を同時に失ってからは、彼女が何かと兄の世話を焼いている。
今年、医大を卒業し、三原署近くの警察病院の研修医となった。
彼女の専門は小児科で、子供好きな瞳には打ってつけだと祐介は思っている。
祐介はここに来て4年になる。
だから、瞳との出逢いもほぼ同時期で、その頃彼女は医大の1年生で18歳、祐介は22歳だった。
祐介にはその時既に家族は亡く、瞳を実の妹のように可愛がった。
瞳は彼が自分を『妹』のようにしか思ってくれない事が不満だった。
ひとりの女性として、自分を見て欲しかった。
彼女は祐介が自分の恋心に気付いていないのだと思っていた。
しかし、本当は祐介が1人前の女性として瞳を愛している事を沢木邦彦は知っていた。
「弁当を作って、届けてあげる相手が違ってはいないかな?」
沢木は妹の顔をからかうように覗き見た。
「あ、デカ長。新宿の例の店に食事に出ます」
「解った。4人一緒だな?」
「はい」
「行って来い」
刑事はいつでもその居場所を明らかにしておかねばならない。それは例え休日の事であっても、である。
「兄さん、私もそろそろ仕事に行くわ」
祐介と瞳は肩を並べて廊下を歩いた。
瞳は、ごく標準的な背格好だから、祐介と並ぶと子供みたいに小さく見えた。
祐介の眼は、そんな彼女をとても可愛く優しい女性に捉えた。
瞳はコロコロとした可愛いソプラノで唄を口ずさんだ。
聞き覚えがあるが、何の曲か思い出せない。そのメロディーが祐介の心に沁みた。
「それ………」
「え?」
「その曲は……何と言う曲?」
「思い出せないの。何かとても懐かしい匂いがするんだけど、思い出せない………ただ、妙に心に残っていて」
「俺もだ。もしかしたら、幼い頃、お袋が歌っていたのかもしれない」
いい雰囲気で話しながら歩くふたりに、婦警達の羨望とも嫉妬とも付かぬ視線が集まっている。
幸せな時間は僅か数分間で過ぎ去った。
署の玄関に着くと、戸田が待ちくたびれて立っていた。
「おい、遅いぜ!」
「すまない。待たせたな」
素直に謝る祐介の後ろに、瞳を見出した戸田はニヤニヤ笑って、
「何だ、そう言う訳か。それならそうと、早く言えばいいのに」
「何の事だ?」
祐介はさらりとかわして、愛車の運転席に座った。
「早く乗れよ。置いて行くぞ」
戸田を急かして後部座席に乗せると、祐介はエンジンを吹かせ、瞳に手を振った。
「じゃあ、仕事、頑張って」
バックミラーに映る瞳の姿が見る見るうちに小さくなり、やがて消えた。
「お前よ、さっさと落ち着く所に落ち着いちまえよ」
戸田が突然ボソリと呟いた。

「つまりだ。お前に虫が着けば、署の女の子達も少しは俺達の方に振り向いてくれるって事よ。率直に言ってな」
祐介は苦笑いを返す他なかった。
「みんなお前の親衛隊だからな」
「まだ馬鹿言ってる」
道路が渋滞して来たので裏道へ入りながら、祐介は呆れて呟いた。
「そうですよ。戸田さんがいくら風見先輩と張り合っても勝てっこないんですから」
早瀬が笑って言うと、戸田は目を剥いてわめき散らした。
「うるさいっ!妻帯者に俺の気持ちが解ってたまるかっ!!」
「お前ら、いい加減にしろよっ!いい年なんだから」
終始無言でいた原が一喝した。
「おい、風見。明日からはこいつらと飯食うのよそうぜ。消化に悪いよ」
「全くだ」
祐介は屈託なく笑った。目指す小料理屋はもう20m程先に見えている。

 

 

「いらっしゃい!あらー久し振りねぇ〜」
威勢の良い、ここの女将の声を聞くと、彼らはフッと安堵感を覚える。
この店は、祐介や原と同期の、新宿・伏見警察署の松田梨樹刑事も贔屓にしていて、何よりも女将の明るさが刑事達にすこぶる評判が良い。
彼女は未亡人で、夫は敏腕なるベテラン刑事だった。その殉職した夫の関係で、昔から警察関係の者が良く屯していたものだ。
段々と現役を退いて行く年配の刑事から若手の刑事へと……なぜかこの店の客はそうしてバトンタッチして行くのが習わしみたいになっていた。
これはとても不思議な事だが、古くからの馴染みの客を除いては、 誰も彼女の名前も年齢も知らなかった。
皆、彼女を『おばさん』と呼び、名前を知らないなどと言う事は大した問題にならない程、それを超越した親近感を抱いていた。
仕事が思うように進まない時、おばさんの顔を見ると、それだけで妙に癒される……刑事達のこころの安らぎの場を提供してくれるのが、彼女なのだ。
4人はそれぞれに注文を済ませた。
「あいよ!」といつもの元気良い返事が戻って来た。
「最近、松田は来てるの?」
原が訊いた。熱いお茶が出される。
「ああ、梨樹かい?ここ数日忙しいらしくて顔を見せないわね」
「そうか、伏見署は今女子大生殺しのヤマを抱えているからな…」
早瀬がネクタイを緩めながら言った。
「ところで祐さんよ。今度の射撃大会、梨樹も出場するらしいから気を付けなさいよ。今までうまい事、予選に出るのを避けてたらしいんだけど、今年はさすがにそうも行かなかったようよ」
「心配ないって!ウチの風見は3年連続優勝を誇ってるんだぜ」
米粒を飛ばしながら言った少し下品な戸田には少々変わった経歴がある。
彼は、祐介や原と年齢は同じだが、警察学校では一期下に当たる。
高校時代、数学の教師の陰険な性格を嫌った戸田は、その授業だけ1年間に渡ってボイコットを敢行した。
その結果、高校3年を2回繰り返す羽目になったのだ。
留年しているので、駄目で元々…と挑戦した警察官採用試験の面接の時、彼は腐って正直な理由を全てぶちまけた処、何を間違ったのか採用されてしまった、と彼は謙遜を含めて言う。
そんな事から、『首になっても構うものか』と嘯いては、たまに周囲を驚かせるような事をしでかすが、本人には悪気は全くない。
ただ、祐介達とは違って、早々と出世コースからは外されたようである。
……おばさんは戸田の言葉に首を振って言った。
「あら、そうでもないわよ。今まで出場しなかったから余り知られてないけど、祐さんに負けず劣らずの腕を持ってるわ。銃も祐さんと同じ、S&W(スミス&ウェッソン)モデル29 8 3/8インチ………あのマグナム44(フォーティーフォー)よ」
「本当に彼が出るとなると、差し詰め今大会の台風の目ってとこだな。俺、敗れるかもね」
祐介は、おばさんを見てあっさりと言い、微笑んだ。
おばさんは、彼のこの微笑がいい、と良く口にする。
「そんなに凄いんですか?」
早瀬が眼を丸くする。
まだそんな表情に少年っぽさが垣間見える彼は、三原署捜査一課では一番の若手で、昨年秋の人事異動の時に刑事に抜擢されたから、やっと1年経った処だろうか。
場数を踏んでいない為、まだまだドジは数多い。
だが、それを他の刑事達がカバーしながら、デカ魂を叩き込んでいる。
彼は祐介より2歳下で3期後輩である。
これは祐介が早生まれだからで、戸田のような理由ではない。
彼は今、祐介に着いて、その捜査術と刑事魂を盗むべく日夜奮闘中だ。
早瀬は、先程戸田に言われていた通り、巡査時代に可愛いお嫁さんを貰っている。
今、彼女のお腹に赤ちゃんがいて、最近ではその惚気話ばかりで、先輩刑事達にはからかわれっぱなしである。
……戸田は驚いた様子で、早瀬に続いた。
「風見より凄い奴なんて居るのかよ?」
「面白い勝負だぜ。射撃のライバル、重い腰を上げてご登場って訳だ。楽しみだな」
原は警察学校時代の事を知っているので、さも当然と言うかのように呟いた。
おばさんも我が意を得たり、とばかりに頷いている。
「ところで早瀬君。奥さんは元気?」
おばさんは話題を変えた。
「ええ、お陰様で……」
早瀬は少し恥ずかしげに俯いて答えた。
「今が一番大切な時だからね。大事にして上げなくちゃ駄目よ。余り心配を掛けないようにね」
その時、突然祐介が身に付けていた無線が鳴り出した。
「おやおや仕事が手招きしてるみたいね」
おばさんが呟いて、壁に掛けてある彼らの上着を取りに行った。
祐介はすぐに応答する。
捜査一課課長の藤谷徹警部からだった。
『渋谷区三原7−5−14の倉庫街で男の他殺体が発見された。沢木は既に向かっている』
太い声が用件だけを的確に伝えた。
「了解、現場に急行します」
無線を切ると、祐介は他の3人を眼で促し、立ち上がった。
「コロシだ。現場は7丁目の倉庫街」
と小さく仲間に囁いてから、おばさんから上着を受け取り、
「おばさん、すみません。ツケといて下さい!」
もう半分身体が店の扉から外に出ている。
「あいよっ!頑張って来なさい!!」
おばさんの威勢良い声が追い掛けて来た。
元気な彼女に送り出されて、祐介はアクセルを思い切り踏み込んだ。

  

 

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