DETECTIVE STORY

 

 

第1部 『 風が伝えた愛の唄 』 (2)

 

 

「デカ長!…遅くなりました」
4人は口々に挨拶して、現場に入って行く。
ピリピリとした現場の空気に身も引き締まる。
祐介はスーツの内ポケットから取り出した白い手袋をはめ、被害者の身体を調べた。
見るも無惨な、体格の良い男の死体は、その表情のみならず、全身で苦悶を表現していた。
祐介は死体に被せてあった毛布を元に戻した。
「轢死ですね。それも死後硬直の状態から見て、故意に狙われた物と判断できます」
相変わらずの鋭さを発揮する祐介に、沢木部長刑事も同意の頷きを見せ、
「犯人はスタントマンまがいの運転をしたらしい」
と、其処此処のブレーキ後を指差した。
そこでは鑑識課員がフラッシュを焚いている。
「なるほど、運転技術の面から容疑者を絞れるかも知れませんね?」
祐介が頷いた。
この2人はお互いに厚い信頼感で結ばれている。
沢木は、祐介が自分の片腕として、期待以上の活躍をしてくれる事を信じ、また、祐介も、沢木を捜査の指揮者として、そして人間として全幅の信頼を寄せ、沢木の期待に120%答えられるよう、歩くコンピューターと化す。
そこに彼の人間性が加わり、祐介の捜査活動は完璧になる。
「風見はガイシャの身元割り出しを急げ。戸田はこのタイヤ痕から車種を弾き出す。原は、早瀬を連れて周辺の聞き込みを開始しろ」
沢木の指示が飛び、刑事達はそれぞれの方向に散って行く。
祐介は沢木から被害者の所持品を借り、一通り調べてから動き出した。
それを見送って、沢木は改めて被害者を覆う毛布を剥いだ。
入念に調べたが、所持品は先程見付けてあった財布、煙草とライターのみで、財布にも身元を示すような物は何一つ無かった。
沢木はそれらの遺品をビニール袋に入れ、鑑識課員に手渡した。
救急隊員が遺体を収容しても良いか、と訊ねて来たので、沢木は鑑識が作業を終えた事を確認し、それを了承した。
すぐに担架が運ばれて来て、遺体が乗せられた。沢木は片手で軽く拝んでから、改めて、恐る恐る覗き見しているような第一発見者に事情を聞き始めた。

 

 

祐介はまず、野次馬達に死体の男に心当たりがあるかどうかを確認した。
この辺りで働いている肉体労働者が殆どであると踏んだからだ。
それによると、この辺では見掛けない顔だと言う事だったが、近くでアルバイト中の青年は、
「最近買った写真週刊誌で似たような男の人を見掛けたような気がします。ここの倉庫街が載っていたので覚えています」
と答えた。
ただ、あの苦悶の表情では生前の顔は掴みにくい。青年は済まなそうにその事を付け加えた。
青年にその誌名と購入日を聞き、祐介は出版社へと車を走らせた。
祐介は先程見た被害者の所持品の中のライターに注目していた。
何か持った時に違和感を覚えたのだ。少し重かった。
鑑識の結果が出れば解る事だが、何か細工がされていたのではないか……?
と、なれば、写真週刊誌で見たと言う証言は彼の推測を実体化させてくれるかもしれない。
これは大変な事件になるかも知れない、と彼は感じ始めていた。
こう言う彼の勘はほぼ当たって来た。
今回もそれが的中しそうな気配である。
今、三原署捜査一課は人手が不足している。
つい最近、ベテランの年配刑事が定年退職し、そのまま追加要員が来ていなかった。
その分、沢木や祐介の負担は大きくなっている。
実際、今、別の事件でも発生したらお手上げだ。
隣の二課も大きな事件を抱えていて、人員を借りて来る事も出来ない。
沢木は過労により祐介の勘が鈍る事をひそかに危惧しているようだが、幸い今のところは、その心配は無用なようである。

 

 

同じ頃、原は早瀬を連れて、忍耐の聞き込みを続けていた。
原の根気良さには定評がある。祐介でさえも頭の下がる思いをした事があった。
祐介と原のコンビは最高の組み合わせだと隣の二課の連中までが認めている。
それ位に息の合った2人だが、祐介が沢木に早瀬の面倒を見るように頼まれた1年前からは余りコンビを組めない。
原にとってはそれが少し寂しくもある。
彼は弱き者、女性と子供に滅法優しい。
彼の名前は『優しい』と書いて『すぐる』と読ませる。名は体を表すと言う言葉のまま生きている。
女性や子供の絡む事件になると、彼の本領発揮だ。
ある事件で、巻き込まれた少年が心を閉ざしてしまった事があった。
その時、心を打ち砕いて少年に接し、やがては彼の心を開かせたのが原だった。
それ以来、その手の事件は何となく彼の担当のようになってしまっている。
聞き込みでは、思うような手掛かりが得られないまま歯噛みをするような思いで歩き続けた原であったが、『捜査会議を開く。至急戻れ』
との藤谷課長命令に、後ろ髪を引かれつつ署に引き返した。

 

 

刑事部屋では、祐介が黒板に被害者の生前の写真を貼り付けていた。
チョークで『桐生悟 36歳 フリールポライター』と祐介の几帳面な文字が並んでいる。
死体発見及び通報が昼過ぎであったから、もう時計は夜の8時、太陽はとうの昔に地球の反対側に昇っている。
沢木に促されて、祐介から報告を始める。
「ガイシャは桐生悟、36歳。フリーのルポライターです。最近、犯罪者を海外へ密出国させる『マカオ・ルート』を写真雑誌で摘発し、話題を呼んだのは記憶に新しいと思います……」
この件は、当時彼らの間でも話題に上ったから、全員が頷いた。
被害者とその男を結び付けようなんて、祐介の報告を耳にするまでは思いもしなかっただけに、彼らは祐介の次の言葉に耳を傾けた。
「そんな訳で、彼は業界では有名で、話題になった事件はまだまだ数多くあります。ところが……彼が今、何を取材中だったのか、仲間のライター達は誰も知りません。ただ、大きな情報を掴んだ、と言うような話はしていたようですね。これは妙な事なんですが、そう言った取材関係のメモやフィルムなどが自宅にも事務所にも見当たりません。彼は銀行に貸金庫を持っている様子もありませんし、俺が思うには、ホシはガイシャに嗅ぎ回られている人物で、取材メモなどの資料を彼から奪い取り、全ての事実を知っていてそれをいずれ公表するだろう桐生氏を抹殺したのではないかと……」
祐介はそこで一旦言葉を切り、冷め切ったお茶で喉を潤した。
「それから、犯行に使われた車のブレーキ跡から判断して……殺しのホシはプロの殺し屋かと思われます。断言する事は出来ませんが、最初俺はカースタントの経験者及びレーサーを考えました。しかし、どう考えてもプロのレーサーならしないような運転の仕方をしています。それでいて、躊躇った形跡は全く無い。良く計算されて、逃げ回るガイシャを追い詰めて行ったようです。交通事故に見せ掛けて殺しをする殺し屋がいると言う噂です。今回も場所が悪かった為、殺人事件と断定された訳ですが、これがもし街中だったら……恐らく単なる轢き逃げと見られ、桐生氏の死を事故死で処理させる事は容易かった筈です。多分、頭の切れる桐生氏はそれを見抜いてあんな場所に……」
「殺されると解っていてもか?!」
戸田が悲鳴に近い声を上げた。
祐介は頷いた。
「彼には失うべきものがないから……」
祐介は心の中でそれは俺にも無いものだ、と呟いた。
彼はまだ一番大切な事に気付いていないのかも知れない。
自分が一番必要としているのが何か、と言う事に………
「車の運転技術に関する事は、A級ライセンスを持つ風見が言うのだから、今後の捜査上で考えに入れてもいいだろう。戸田の方はどうなっている?」
沢木が話を先に進めた。
「車の方ですが、現場から3km離れた地点で発見されました。ナンバーを照合した処、4日前に世田谷署に盗難届が出ていました。指紋は拭き取られ、遺留品も出て来ません。ホシは人通りの少ない場所を選んでいて、目撃者はなし。駐車違反取締り中の婦警が、バンパーが目茶目茶にひしゃげ、血糊が付着していた事から連絡をくれました」
沢木が眼で原を促し、彼が続いて聞き込みの結果を報告する。
「今日の昼前、現場近くを猛スピードで走り去る車を見た者がいます。現場は殆どトラックしか出入りしませんから、それで覚えていたそうで、その車種は戸田に見せて貰った盗難車カードの写しと一致します。中には男が1人乗っていたそうですが、何しろ一瞬の事で、顔や身なりは判別出来なかったそうです。今の処、それ以外の目撃情報はありません」
原が報告を終えた時、鑑識課員がネガと現像・引き伸ばしされた写真を持って、刑事部屋に入って来た。
一斉に刑事達の注目を浴びた格好になった彼は、緊張の面持ちを崩さないまま、沢木に報告した。
「沢木さんから預かった、ガイシャのライターには、マイクロフィルムが仕込まれていました」
刑事達の眼が険しくなった。祐介の予想は当たっていたようだ。
鑑識課員は、祐介が貼った写真の隣に5枚の写真を貼り付けた。
「撮影順に右から並べてあります」
彼はビニール袋に入ったライターを、沢木の机の上に置いた。
「それじゃ、私はこれで……」
「……ご苦労さん」
沢木は労いの言葉で答えた。
祐介を始めとして、全員が写真に見入った。

      港の写真…
      『氷川丸』と書かれた船の船首部分…
      肉がぶら下がった倉庫の内部…
      中年の人物…
      ヘロインらしき薬物の包み…

「輸入肉の冷凍倉庫か……現場の倉庫ではなさそうだな。この港は東京湾だな」
原が呟いた。
「ガイシャはヘロインの密輸ルートを追っていたのか……運輸省に問い合わせれば船の持ち主もすぐ割れる筈だ……」
そこまで言って、別の事にハッと気付いた祐介は、
「デカ長!マイクロフィルムがここにあるって事は……」
沢木は藤谷課長と頷きを交わし、
「解った。戸田と行ってくれ」
「了解」
祐介は訳を理解していない戸田を促し、桐生のマンションへと向かった。

 

− 第1部 (3) へ 続く −