DETECTIVE STORY

 

 

第1部 『 風が伝えた愛の唄 』 (3)

 

 

20分後、祐介と戸田は、桐生のマンションに到着した。
祐介はエレベーターを呼び、6階のボタンを押す。
「ガイシャに身寄りはないのか?」
戸田が訊いた。
「………ない。ガイシャは幼い時、両親を事故で亡くし、妹と2人、公立の養護院で育ったんだ。その妹が不治の病に罹ってな……彼は必死になって働いて、入院費を稼いだんだが……」
エレベーターの扉が開き、2人は歩き出した。
「……その甲斐もなく、一昨年の暮れに妹さんは亡くなった。それ以来、彼は危険を顧みず、潜入捜査を繰り返し、評判を得たって訳だ」
「何でだよ?」
「だから…『失うべき物がない』からだよ」
祐介は静かに言った。
「なるほど、ね…」
と答えた戸田を、突然祐介が脇の通路に押し込み、上着の下のホルスターから、サッとマグナムを抜いた。
2人組の男が、ある部屋から出て来たのだ。
それも、妙に周囲に気を配っている。
「……あの部屋か?」
囁き掛ける戸田に、祐介は頷く。
「パクるか?」 
※ パクる…『逮捕する』の警察用語
「いや、泳がせよう。今の時点で逮捕は出来ない」
祐介は即座に戸田の無謀な意見を否定した。
「奴らはほんの下っ端だ。黒幕と必ず接触する。道案内を務めて貰おう」
2人組の男は、黒塗りの車で西に向かった。
2人の刑事もすぐに覆面パトカーで尾行を開始した。
祐介は何かあったらすぐに飛び出せるように助手席で体制を整えている。
窓は開けてあるし、ドアもロックしていない。
マグナムは右手に握られている。
彼は無線を取り、沢木に車のナンバーを告げた。
『了解、すぐに手配する』
沢木の声が明瞭に響いた。
短気な戸田は余り尾行が得意ではなかった。
「気づかれたぞっ!」
祐介は眉を寄せて言った。
黒塗りの車は突如スピードを上げ、赤信号だと言うのに強引に右折した。
交差点は混乱した。夜で交通が少ないのが幸いだった。
「……仕方ないっ!」
祐介は赤色灯を回転させ、屋根に貼り付けた。
戸田が必死にハンドルを握り、祐介はドアをロックして、上半身を窓から乗り出した。
そのままの位置で無線を握り締め、サイレンの中、
「デカ長!尾行に勘付かれました!取り敢えず道路交通法違反で連行します!」
と叫んだ。
『解った。仕方あるまい。充分注意しろ』
沢木は既に祐介達の応援に出たらしく、藤谷課長が無線に答えた。
尾行を撒こうと滅茶苦茶な暴走を始めた車は、暗闇の中、傍若無人に走り回り、通行人を危険に曝し始めた。
祐介はひとまず中に引っ込み、
「戸田!何とかこの先の交通量の少ない道路へ追い込んでくれ!奴を止める!」
「追い込めったって!俺はカーチェイスは苦手なんだよ!」
「俺はお前に生命預けてるんだ。頼むぜ!」
戸田は祐介にそう言われて、一か八かやってみるしかないと度胸を据えた。祐介が運転を代われば、発砲をせずに、そのドライビングテクニックだけで相手の車を止める事が出来るのだが……交代をしている余裕は全く無い。
やがて、戸田は何とか目的通りに事を運ぶ事が出来た。
祐介は再び窓から上半身を乗り出し、かなり揺れの激しい中、1度だけマグナムの引き鉄を絞った。
射撃大会3年連続優勝の腕を持つ祐介だからこそ出来る芸当と言えるだろう。
違う事無く左後輪に弾丸は突き刺さり、黒塗りの車は途端に方向を失い、蛇行を始めた。
祐介は車内に戻り、ロックを解除した。
ドアを少し開けて身構える。
彼は前方を見て、ハッと眼を見開く。
「しまった!踏み切りだ!間に合わん!!」
そう叫んだ瞬間、彼は戸田の横から消えていた。
「あ!」と戸田が驚いて短い声を発した。
祐介は走る覆面パトカーから飛び降りて、アスファルトの上で1回転して起き上がる。
黒塗りの車はギリギリで遮断機を潜り抜けしまった。
もはや、覆面パトカーがそこを通り抜ける余地はない。
戸田は諦めてブレーキを踏み込んだ。
祐介は遮断機の下を潜り抜けようとしたが、間に合わなかった。
彼の眼の前を嘲笑うかのように10両編成の電車が通り過ぎて行く。
祐介はアスファルトに顔を擦りつけるようにして、電車の向こう側を行く車を見送った。
それは、左方向に曲がって消えた。
彼は覆面パトカーに取って返し、遮断機が上がり切るのを待ち切れないかのように戸田はアクセルを踏み入れた。
左後輪のパンクにも拘わらず、2人組は逃げ仰してしまった。

 

 

翌朝。
藤谷課長のデスクを囲んで、全員が揃っていた。
皆、短い仮眠を取っただけで、祐介に至っては、一睡もしていない。
あの後、1人桐生のマンションに戻り、現場を検証して来た。部屋には案の定、物色の跡が残されていた。
彼は夢中になると、疲れを物ともしないで、突っ走ってしまう所がある。
あの小料理屋のおばさんは、彼のそう言う所を心配しているのだが……………
さて、例の写真に写っていた船『氷川丸』、そして2人組の男が乗っていた車に接点が見付かった。
どちらも『新栄物産』と言う会社が所有していたのだ。
それに、祐介が徹夜で前科者カードを繰って見付けたあの2人は、そこの社員だと言う事も解った。
全ての材料が『新栄物産』へと結び付いている。
「……牧田秀則、47歳。『新栄物産』代表取締役社長。……この写真の男だよ」
沢木は、死んだ桐生が撮影した中年男の写真を拳骨で軽く叩いて示した。
「そうか……この会社ごとシャブの密輸ルートに関係してるんですね?」
 ※ シャブ…覚醒剤の事
原が眼を輝かせた。いかにも優男と言った外見は黙っていれば、とても刑事には見えない。
沢木が渋面を作って答える。
「だが………そのルートがどうにも掴めん」
「……デカ長。俺にそいつを調べさせて貰えませんか?」
それ迄無言でいた祐介が、ポツンと呟くように言った。
「何か妙案でもあるのか?」
沢木が問い返した。
………2人は別室に移って話を続けた。
沢木は外を眺めて窓際に立ち、その背を見詰めて祐介がいる。
「……1つ間違えば、生命が危ないぞ。それでもお前は、やるのか?」
「はい」
祐介は決意の灯った眼で頷いた。
「その事は承知の上です」
沢木は対照的に眉を顰めて不安げだ。
「デカ長、俺は……桐生悟と言う人物が生命を張って取り組んだこの事件を、気の済むまで徹底的に調べ上げたいんです!」
祐介の真剣な眼差しに、沢木は負けたよ、と言うように頷いた。
「解った……お前の事だ。そこまで言うからには勝算あっての事だろう………但し、余り深追いはするな。しっかりやれ!」
沢木は最後に祐介を励ました。
「はい!………勝手なお願いをして、申し訳ありません」
「たまには珍しい事を言うもんだな?」
沢木は苦笑いを返した。
「ところで、例の2人組の男に面が割れていないだろうな?」
「大丈夫……な、筈です。暗闇でしたし、お互い走っている車の中でしたから……それにあいつら、後ろを振り向いている余裕なんてなかったと思います」
「解った……全員に計画を説明するから、課室に戻るぞ」
沢木は祐介の肩を労わるようにポンと叩いた。
 

 

− 第1部 (4) へ 続く −