DETECTIVE STORY

 

 

第1部 『 風が伝えた愛の唄 』 (5)

 

 

翌日………祐介は指定された高級レストランで相手を待った。
窓際のひたすら明るい席が牧田により『風間祐司』の名で予約されていた。
丁度、仕切りのように室内花壇が横1列に並ぶその陰から、早瀬が様子を伺っている。
祐介のいるテーブルからは殆ど死角になる位置だ。
自分の方から時間を指定しておきながら、牧田はなかなか現われない。
(罠か………………)
祐介は冷や汗が背中を流れ落ちたように感じた。
(奴は自分の名を使わずに席を予約した。それも窓際のこんなに明るい席だ………まさか、狙撃!?)
祐介はさり気なくゆっくりと周辺のビルの屋上に眼を配った。
特に人影は見当たらないのだが………
と、その時、
「いやあ、お待たせして申し訳ありませんな」
と嗄れ声がして振り向くと、そこに例の写真で眼に焼き付いている牧田の姿があった。
「優に30分は遅刻しているぞ」
レイバンのサングラス越しに睨み付ける。
「本当に申し訳ない。お詫びに今日は私がご馳走しましょう。好きな物を注文して下さい」
「いや、結構だ。すぐ本題に入りたい………いつまでもここにいると、長生きが出来なくなりそうだ」
「おや、これはまたせっかちなお方で……」
牧田が苦笑する。
祐介は厳しい表情を崩さずに、冷めたコーヒーを口にし、それからカップを皿に戻した。
牧田の顔をキッと見据える。
「話は……聴いていたと思うが……桐生の遺した写真を買って欲しい。断ればどうなるか解っている筈だ。俺は桐生みたいな死に方はしたくないんでね。早いとこ手を打った方がお互いの為だって訳だ」
「なるほど……早速だがその写真を見せて貰おうじゃないか」
祐介は不敵に頷き、5枚の写真をテーブルに並べた。
それは牧田がちょっと手を伸ばせば取れる位置にあるのだが、祐介の鋭い目線が無言の内にそれを阻んでいる。
「どうだ………凄い写真だろう?これが世に出たら、お宅はどうなる?」
「…………………………」
「1億、でどうだ?」
「な、何っ?1億だと!?」
その時、タキシード風のユニフォームを身に着けた従業員の男性が、物腰柔らかに控えめな声で『お客様で牧田様、おいでになりますでしょうか?』と言いながら店内を回って来た。
牧田は小さく手を上げ、
「ああ、私だ」
と答え、立ち上がった。
「お電話が入っておりますので、恐れ入りますがカウンターまでお越し下さいませ」
従業員が牧田の椅子を引いた。
「ちょっと失礼」
牧田は祐介に断って、カウンターの方へと急いだ。
祐介はサングラスを外し、早瀬に眼で合図を送った。
牧田は携帯電話を持っていた。それなのに、店に電話とは……
牧田を引き離しておいて、祐介を狙撃する計画なのか。
祐介は警戒した。
早瀬は頷くと、カウンター隣に設置してある公衆電話にさり気なく立って、出鱈目な番号をプッシュしながら、聞き耳を立てた。
「おう、私だ……」
牧田が電話に応答した次の瞬間、彼の耳に切羽詰った声が飛び込んだ。
『社長!奴はデカですっ!!』
牧田はやはり、祐介が思った様に、向かいのビルに部下を配し、彼を狙撃させる企みだった。
これは、その狙撃者からの電話である。
牧田は場所柄、平静を装う。
「間違いないのかね?」
『はい、サングラスはしていますが、あれは間違いなく三原署の風見って言うデカです!!』
「そうか………」
『予定通り殺りますか?』
「まあ待て。予定は変更だ。10分後に此処を出るから車を回してくれ」
『解りました』
牧田は受話器を置くと、カウンターの従業員に礼を述べて、何喰わぬ様子で席に戻った。
近くで聴いていた早瀬には、10分後に此処を出る事と、何か予定を変更したと言う事しか解らない。
早瀬は祐介達の姿を眼の端に入れながら、署に電話を入れた。
『早瀬か?沢木だ!何とか風見と接触してくれっ!』
「えっ?!」
『新栄物産には、仁科卓郎と言う常雇いの殺し屋がいる。そいつは風見にパクられた事がある。風見は奴の存在を知らんのだ!』
「何ですって?!」
早瀬はそこで、席に着いた牧田を伺い見た。
「………何の電話だ?」
祐介は牧田が戻ると、即座に訊いた。
「得意先からですよ。どこにいても追い掛けられてね。困ったものだ」
「…………………………」
「1億で……話を付けましょう」
「なに?本当か?!」
「私の車で来て下さい。金を取りに行きましょう」
「……解った」
祐介は今度こそ、多少の身の危険を覚悟して、立ち上がった。
彼はわざと、受話器を持ったまま冷や汗を垂らしている早瀬の傍を通ったが、牧田は祐介にぴったり着いていたので、2人の接触は空振りに終わった。
「デカ長、駄目です!牧田がぴったり着いていて、接触出来ません……今、2人はここを出ました。尾行します!」
早瀬は電話を切り、カウンターの者に
「会計はテーブルの上に置いてありますから」
と早口で言って、駆け出した。

 

 

レストランの外では、既に車が待機しており、なぜかゴルフバックを担いだ運転手が後部座席のドアを開けて立っていた。
祐介はその男の顔に見覚えがあった。
食い入るような眼で自分を凝視する祐介に男は嘲笑を浴びせた。
「筋書き通り行かなくて、残念だったな?風見刑事………」
「仁科がいなけりゃ、一杯喰う処だったぜ、刑事さんよ」
牧田がニヤッと不気味な笑いを見せた。
祐介は仁科が担いでいたゴルフバッグごと首筋を力一杯殴られた。
中に入っていたのは、彼の狙撃に使う筈だったライフルだ。それの銃床の部分が当たり、急激に意識が薄れて行く。
その朦朧とした意識の中でも、彼はしっかりと牧田の笑い顔を見据え続け、数秒後に崩れ落ちた。
早瀬が飛び出して来たのは、その直後で、仁科は慌てて祐介を車に押し込んだ。
牧田を助手席に乗せると、荒っぽく発進させた。
彼は車を使って殺しをやる位だから、運転技術はなかなかの物なのだ。
早瀬が急いで覆面パトカーに取って返そうとした時に、彼の眼の前に車が滑り込んだ。
「間に合わなかったか…先に行くぞっ!」
駆け付けたのは原だった。
彼は猛スピードで追跡を開始した。早瀬も車に戻って、急いで後を追う。

 

 

仁科の腕には2人とも勝てなかった。
とうとう沢木達応援部隊が到着する前に牧田達の車を見失ってしまった。
「申し訳ありません……俺がもっとテキパキと行動出来たら、こんな…」
早瀬が頭を垂れた。
「仕方ないさ。それより、もう少し早く仁科の事が解っていたら……」
早瀬を慰めてから、原も痛恨の言葉を吐いた。
仁科の事を調べ上げたのは彼だった。
「………過ぎた事を言っても始まらん。それより、牧田は証拠写真が警察の手にある事を知った訳だ。と、なると……」
藤谷課長の言葉を、沢木が引き取った。
「課長も、牧田が『新栄物産』の在庫のシャブを早急に捌いて、出来るだけ金を集め、主な連中と高飛びすると………そう、睨んでいるのですね?」
藤谷は頷き、沢木に問い返した。
「新栄物産の動きは把握出来ているのか?」
「はい……戸田をそっちにやってます」
前にも述べたが、三原署捜査一課には、先月迄もう1人ベテランの刑事がいた。
彼の定年退職で藤谷課長も含めて総勢6名となってしまい、人手不足の感は拭えない。
しかし、当分補充要員の来る予定はなく、時には二課の橋本課長の好意で、誰かを応援に借りる事もある。
従って祐介は一課の中核となってしまい、彼が抜けると何となく頼りない。
藤谷はそれを嘆かわしく思っていて、本庁から再三『風見刑事をくれ』との打診があっても、彼を手放そうとしない。
「原も応援にやろう。戸田だけでは心許ない。この前、尾行を失敗したばかりだからな」
藤谷の言葉に、沢木は別の意味での憂いを表情に表したが、その通りに原に命じた。

 

 

身を切るような冷気に眼が醒めたのは、拉致されてからどの位経った頃だろうか?
祐介は気を失っている処に、ご丁寧にクロロホルムを宛がわれ、ここに運ばれて来たのだ。
勿論、彼にその辺の記憶がある筈はなかった。
ただ、彼は随分長い事、夢を見ていた。
真っ暗闇の中、聞き覚えのあるメロディーが美しいハミングに乗って流れて来るのだ。
そう……その曲は、あの時………沢木瞳が口ずさんでいた………
祐介は夢の中でも、その曲が何の曲なのか思い出す事が出来なかった。
ハッと夢から醒めて、自分の置かれている状況を把握するまでに、数秒を要した。
「お目覚めのようだね。風見刑事………」
「……………!!」
まだ朦朧とした意識の中で、嘲笑うような表情の牧田の姿が輪郭を帯びて来る。
激しい頭痛は殴られたせいか、はたまたクロロホルムの効用のせいか…?
「久し振り…だな?」
不敵な笑みを満面に浮かべて、仁科が言った。彼の声が頭にガンガンと響く。
「驚いただろう?……おれはお前にパクられて臭い飯を喰った後、この社長に拾われてな……今じゃつまらないチンピラから殺し屋稼業に転職だ」
「貴様、だな?桐生悟を殺ったのは……」
仁科は祐介の問いには答えなかった。
代わりに牧田秀則が口を開いた。
「あんたの予想通りだよ。彼はあんたを激しく憎んでいるんでね。此処であんたを処刑させるつもりだったんだが………わざわざ手を下さんでも良さそうだ」
牧田を始め、仁科、そして最初に『新栄物産』を訪れた時に、祐介と応対した3人の男が此処に来ている。
全員、防寒服を着込んで、エスキモー人みたいな格好をしているのに対し、祐介はスーツの上着を剥ぎ取られて、ワイシャツ1枚だ。
思い出したように壁の寒暖計に眼をやると、氷点下30C゜を示している。
そう言えば、冷凍肉が無数にぶら下がっていた。
「そうか……冷凍倉庫…」
気が付くと、髪や衣服に霜が降りており、先程感じた身を切るような冷気は、これだったのだ。
寒いと言うのを超越して、激痛と言って良いだろう。
………祐介が状況を完全に飲み込んだ時、不意に灯りが消された。

 

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