DETECTIVE STORY

 

 

第2部 『 出航(さすらい) 』 (2)

 

 

男は憔悴仕切っていたが、紛れもないそれは、3日前に逢ったばかりの倉本克哉その人だった。
「倉さん………」
祐介は呆然と呟いた。
原は彼の隣で懐に手を入れ、いつでも拳銃を取り出せるような体制を取っている。
「祐ちゃん……頼む。私の家には近付かんでくれ」
倉本は長い事、祐介の事を可愛がっており、彼をいつも『祐ちゃん』と呼んでいた。
祐介は「ちゃん付けは柄じゃないから止めて欲しい」と何度も申し出たのだが、それは長年の癖で直らなかった。
「……近付くなって、どう言う事です?」
祐介は冷静に訊ねた。
「妻と…娘が…………人質に取られている」
「!!………何ですって!?」
倉本は囁くように言い、祐介は慌てて覆面パトカーの中に彼を押し込んで、自らも続けて乗り込む。
原に眼で合図をすると、彼は頷いて運転席に着き、車を発進させた。
倉本は、少し安堵の表情を浮かべ、荒い息を吐いた。
「どう言う事なのか……順序立てて説明して下さい」
「…………………………」
諭すように問い掛ける祐介にも、興奮した様子で、暫く答えない。
「風見を狙撃したのはお宅だね?」
原はバックミラーで倉本の顔を覗き見て訊いた。
倉本は力なく頷き、祐介の方を見た。
「風見刑事を殺せと………さもなければ私の妻子の生命は……でも、私には君を…殺せなかった……」
「ホシは奥さんと裕美(ゆみ)ちゃんを人質に…倉さんの家に立て篭もっているんですか?」
倉本は祐介の問いに、頭を小さく縦に振った。
「昨日の午後、私は友人の結婚式があって、店を早仕舞いして外出したんだ………夜になって帰宅すると、家 の中が静まり返っている。妙だと思っていると…居間で見知らぬ男が店の売り物のライフルで妻達に照準を合わせていた。2人共後ろ手に縛られ、猿轡を噛まされて………」
「そのライフルは?」
「カラニシコフだ。ロシアの軍用ライフルだよ」
原はひたすら近くの道を出鱈目に走っている。
署に向かうでもなく、ただ、警察の車輌が家から離れる事によって、倉本が安心し、喋り易い状況を作っているだけである。
「それで………金銭の要求は?」
「一切無い。君の息の根を止めろ、と……ただ、それだけだ」
予想は出来ていたが、祐介はその表情を益々曇らせた。
倉本の両掌が膝の上で小刻みに震えている。
「私は………祐ちゃんを恨んだ!刑事である祐ちゃんと親しかったばかりに、こんな事になって………」
「倉本さんっ!それはっ!」
思わず運転席から振り返って叫んだ原を、祐介が静かに制した。
倉本は男泣きの涙に噎んで、肩を揺らしている。
暫くは車内を嗚咽の声だけが支配した。
祐介は倉本の肩に乗せた手を離さず、彼を労わりの気持ちと、どう言って詫びても足りない思いを秘めた、複雑な深い眼をして見詰めた。
事情を知らない者が見たら、どちらが年上か見誤りそうな光景であった。
やがて、倉本は涙に濡れた顔を上げ、自分のそれとは違う意味で哀しみに覆い尽くされている祐介の顔を見た。
「……済まん。私は一時の感情で犯人に言われるままに君を殺そうとした!………許してくれ……本当は君に合わせる顔なんて無いんだ!」
「倉さんっ!その言葉は、俺が貴方に言わなければならない事です……奥さんと裕美ちゃんは、俺の生命に代えてでも……絶対に助け出します!!……ホシの顔、見れば解りますね?」
倉本は真っ赤な顔で頷いた。
「少しの時間で構いません。署で協力して下さい」

 

 

三原署では、祐介の連絡により、既に彼が過去扱った事件の資料と、それに関連した前科者リストが揃えられていた。
4年間でこんなに………と思われる程、その量は他の若手刑事に比べて多い。
一刻を争う……倉本は出されたお茶にも口を付けず、眼を皿のようにして、次から次へと前科者の写真が映し出されるディスプレイを見詰め続けた。
どの写真もどの写真も………祐介にとっては、忘れ難い顔ばかりだ。
同情の余地もない程に凶悪な男……
心弱きが為に、犯罪を重ねてしまった男……
嫉妬心から不倫相手の妻を傷つけてしまった女……
祐介の脳裡を走馬灯のように過去の事件が駆け巡る。
それらの事件の当事者なり、関係者なリ………誰に逆恨みされても不思議はない……祐介は思う。
人間はそれぞれに…それぞれの思いを抱いて生きているのだから………
やがて倉本は1人の男を選んだ。
見るからに凶悪な、と言った顔がそこにある。
工藤修二、29歳。強盗殺人など前科三犯。
中学を卒業して、定食を持たず、その頃から刑務所を出たり入ったりしている。
「こいつが…奥さんと裕美(ゆみ)ちゃんを……?」
祐介は込み上げて来る怒りに手を震わせ、唇を切れる程に強く噛んだ。
「こいつを最後にパクったのが俺です。あと1歩で高飛びする所を、別件で押さえたんです。工藤なら……俺を恨んでこう言う行動を起こすのも考えられます………しかし、5年の実刑判決を受けて服役し、まだ刑期が残っている筈ですが……」
祐介は沢木にそう言って立ち上がり、本庁とオンラインで繋がっているコンピューターの端末を叩く為に刑事部屋の一隅へと歩いた。
慣れた手付きでキーボードを叩くと、やがて彼が呼び出したデータが画面上に現われ、祐介はそれを食い入るように見詰めた。
プリンタにそれをアウトプットしながら、祐介は沢木に眼を向けた。
「デカ長…工藤修二は1ヶ月前に仮出所していました!」
「何っ?!」
祐介は印刷された用紙を掴み取り、足早に沢木に走り寄る。
「身元引受先は『村野鉄工所』………保護観察士もやっている社長の村野良蔵さんが、彼の行状を承知の上 で引き取ったようです。多くの若者を更正させているペテランですね」
「よし、風見と原はその村野さんを当たってみろ。それから……倉本さん、そろそろ戻られないと、ホシに下手に勘繰られる事になります。戸田と早瀬は、ご自宅の近くまでお送りして、そのまま張り込め」
倉本は無言のまま深く頭を下げて、扉に向かおうとした。それを藤谷が引き止めた。
「倉本さん!」
倉本は呼び止められて、ゆっくりと顔を藤谷に向ける。
藤谷は内ポケットから万年筆を取り出し、彼に手渡した。
「これを……持っていて下さい。発信器になっています」
「………解りました」
彼は静かに受け取って踵を返し、今度こそ本当に出て行った。
戸田と早瀬が、それを追って行く。
祐介は遠ざかる倉本の背中を、刑事部屋の前の廊下で見送る。
彼には、憂いを秘めた表情も似合っていたが、やはりあの微笑みには敵わない。
表情豊かな彼は、男女を問わず人気を集めていた。
185cmの長身にも拘わらず、誰も見下ろされる不快感を感じないのは、彼の性格故にだろうか……
しかし、ひとたび事件に打ち込めば、彼はまるで別人のように厳しい表情を見せる。
………いつまでも、そうして立っている祐介の肩を、原が労わりを込めて叩いた。
「あ……ごめん。行こうか?」
祐介は我に返って廊下を歩き出した。やはりかなり堪えているようだ。
だが、階段を数段飛ばしで駆け降り、覆面パトカーに乗り込む頃には、既にいつもの祐介だ。
祐介はデータ用紙の文字にチラッと眼を走らせてから、アクセルを踏んだ。
「……裕美ちゃんって言うのは……いくつになるんだ?」
原はやはり子供の事が気になるようで、祐介に訊ねた。
「まだ4つになってない。倉さん、30代も半ば近くになって結婚したから……それに、奥さんの郁江さん、妊娠7ヶ月なんだ………」
「何だって?」
原は、彼の言葉に眉を曇らせて言った。
「7ヶ月と言えば、比較的安定期なのかな?」
「解らん……だが、ショックによる流産の危険がある」
祐介は苦悶の表情で答えた。
自分の生命などくれてやってもいい………
人質の2人、いや3人が……そして、倉本が無事であってくれれば………

 

 

彼らが村野良蔵の自宅兼工場を訪れたのは、午前10時半を回った頃である。
今日は鉄工所は稼動していなかった。同じ敷地の自宅へ回る。
ごく普通の一軒家のような門があり、玄関へ敷石に導かれて歩いた。
ベルを押したが、応答は無い。カーテンも全て締め切ってある。
隣家の者に訊くと、村野一家は2日前から鉄工所の職員達と社員旅行に出掛けていると言う事だ。
しかし、村野良蔵は、保護観察を何件か引き受けている為、その責務を果たすべく、旅行には参加していない。
「……だとしたら、一体村野氏はどこに行ったんだ?」
村野家の玄関前に戻って、原は呟いた。
その時、祐介はハッと聞き耳を立てた。
「おい、今、呻き声のような物が聴こえなかったか?」
「いや…何も気が付かなかったが」
原が首を傾げている最中に、
『ガチャン!』
と凄い音がして、サンルームになっている部屋の硝子が割れた。
祐介は素早く行動を起こす。
勿論、右手には相棒のマグナムが握られている。
硝子は内側から割られていた。
破片が芝生の上に散らばっているので、間違いない。
投げられた目覚まし時計が、無惨な姿で硝子の破片の中に横たわっている。
………中に誰かがいるのかは確定的事実だ。祐介は慎重を期し乍ら、窓に近付いて行く。
原も息を合わせて彼に続いた。
祐介は、既に割れて破片が窓枠に突き刺さっている部分をマグナムの銃床で叩き、通れる位に硝子を取り除いた。
そのまま、銃を先鋒に中に飛び込む。
呻き声の主が、縛り付けられてそこにいた。
「村野良蔵さんですね」
相手が頷くと、祐介は拳銃をホルスターに収め、彼の猿轡を外してやる。
「大丈夫ですか?我々は三原署の者です。安心して下さい」
祐介が声を掛け、原と共にタオルで縛られた手足を自由にしてやる。
村野は幸いにして怪我もなく、意外に元気だった。目覚まし時計を足を使って上手く外に投げ付けたのも彼である。
誰でもいい。近くを通る人があったら、そうしようと決めていた……と、村野は語った。
「で…やはり、やったのは工藤修二なんですね?」
祐介の問いに、何で解ったのか、と言う驚きの眼をした村野は、即座に頷いた。
「なぜ、貴方をこんな目に?」
原が訊ねる。当然の疑問だ。なぜなら、村野は工藤にとっては、身元を引き受けて働き口まで与えてくれた恩人の筈である。
もっとも、彼にはそんな感情は存在しないのかも知れないが………
「工藤が社員旅行に参加しないと言い出しましてね。理由を訊ねたんですが、言おうとしない。何か計画をしていたようですが、どうも私には良からぬ計画のようだと言う勘が働いたんです。そこで、皆が社員旅行に出発した後、敷地内の社員寮にいる彼を呼び出して問い質したんですよ。それでこのザマと言う訳です………多くの若者達を更正させて来たと言う自負が、却って私を驕らせていたんですな」
村野の最後の言葉には自嘲が含まれていた。

 

 

− 第2部 (3) へ 続く −