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DETECTIVE STORY

 

 

第2部 『 出航(さすらい) 』 (4)

 

 

少女に向かって頭を擡げた自動小銃の銃口がキラリと閃き、その引き鉄が今まさに引かれようとした時、風見祐介は夢中で少女の前に飛び出して、その激しい弾雨に全身を晒していた。
『1人で突入はするな』と言う命令を受けてはいたが、沢木達の到着を待っている余裕などは全く無かった。
胸の辺りをサンドバッグみたいな物で強く叩き付けられたような激しい衝撃が襲った。
衝撃を感じると共に、夥しい鮮血が辺りに勢い良く飛び散った。
彼の胸部から、腹部から……そして、明らかに肺を傷付けたに違いないと素人にも解るような激しい喀血も起きていた。
まるで美しい深紅の薔薇の花びらが散って行くかのように、祐介はその網膜を通してスローモーションのように緩やかな、自分を取り巻く光景を見ていた。
一瞬の内に彼の身体は膾のようにズタズタにされていた。
何十発の銃弾を受けたのか、もう数える事すら出来ない。
その間、僅か15秒程度の事である。
自動小銃の発火に身体ごと吹き飛ばされるかのように、彼は後方の壁に叩き付けられ、そのまま意識を失った。
当然である。
弾雨の中に飛び込んだ瞬間に絶命していてもおかしくない程の深手である。
少女に銃口を向けていた工藤は、思い掛けない収穫にほくそ笑んだ。
祐介の突入は工藤にとって、飛んで火に入る夏の虫、以外の何物でもなかった。
「死んだか………フ…フフ…フフフフフ………」
緩んだ顔がなかなか元に戻らない。
少女は倒れている祐介の姿に怯えている。
彼はピクリとも動かない。
たった4歳にも満たない少女だが、彼が自分を、身を挺して助けてくれた事は理解出来ている。
少女は奇跡的に無傷でいた。
大粒の涙が頬を伝わり落ち、しゃくり上げながら、
「お兄ちゃん…」
やっとか細い声が出た。
「お兄ちゃん、死んじゃいやぁっ〜〜〜!」
まるで幽冥を異にしようとしている祐介を現世に呼び戻すかのように………小さな少女、裕美(ゆみ)は叫んだ。
少女はまだ、具体的な死と言う物を理解出来ない年頃の筈だったが、どうやら大好きなお兄ちゃんが目の前から居なくなってしまう、と言う辺りは解っているらしい。
裕美は、おもちゃが欲しくて店の前でベソを掻き、地団駄を踏む子供のように、祐介がどうやら自分の前から消え去ってしまいそうな予感に焦燥感を抱いて泣き叫ぶ。
男はたった今、祐介を『殺した』自動小銃を、改めて少女に向ける。
「待っていろ。すぐにその男と同じ所に行かせてやる!」
………その時だった。
俄かには信じられないような事が起こった。
死んだかのように見えていた祐介が、信じられないような精神力で意識を取り戻し、何事も無かったかのように立ち上がり、再び少女の前に立ちはだかったのである。
整った顔立ちは自分の吐いた血に痛々しく塗れていたが、苦しみに歪んではいなかった。
もはや痛みを感じる事は無かった。
もう既に神経が麻痺していて、今、立ち上がったのは生ける屍でしか無いのかも知れない。
彼のどこにそのような力が残されていたのか、医学的に説明する事は不可能である。
ただ、裕美を助けたい、その一心で動ける筈もない身体が機械的に動いているだけなのだろうか……?
胸の傷からはまだ血が溢れ続けていた。
噴き出すと言う言葉が一番それを言い表している。
胸から込み上げた鮮血が、唇からまるで水のように零れ落ちている。
廃工場の床は盥の水をぶちまけたような大量の血に染まっていた。
工藤は祐介の鬼神のようなその姿に怯んで、引き金を引くのを忘れて立ち竦んだ。
祐介は数歩男の方に歩みを進めた。
彼の血塗れになった右手には愛用のマグナムがしっかりと握られている。
彼の拳銃の名手振りは警察外にも洩れ聞こえている。
警視庁射撃大会3年連続優勝と言う輝かしさを伴って。
オリンピックの代表選手への推挙を辞退した事もあった。
その祐介が肩を震わせ、苦しい呼吸に大きく喘ぎ乍ら、しっかりと工藤に照準を合わせていた。
既に撃鉄は起こされ、トリガーには人差し指が掛かっている。
もう逃げられない所まで工藤は追い詰められた。
だが、祐介は引き鉄を引こうとはしなかった。恐れ戦いている男の表情を見極めると、ゆっくりと撃鉄を戻して、腰から手錠を取り出した。
工藤に残された道は、祐介が息絶えるのを待つ以外にはなかった。
何とか時間稼ぎをしたい処だ。
ジリジリと後退して行く。
しかし、祐介の執念の方が数倍も激しかった。
信じられない速さで歩み寄り、長い足で自動小銃を蹴り上げ、恐ろしい力で工藤の腕を捩じ上げると、息を衝く間もなく右手首に手錠を掛けた。
どうやってそのような力を紡ぎ出したのか、そのまま彼を壁際にひっぱり、手錠の反対側を壁を這う古いパイプに繋いだ。
祐介の気力はもはやそこまでだった。力尽き、ゆっくりと床に倒れ込んで行く。
「お兄ちゃんっ!」
少女の声が追うように聴こえて来たが、彼はもう何も解らなくなっていた。

 

 

沢木達は僅かその2分後に駆け付けた。
無線に反応しない祐介に、ある焦燥感を抱いていた沢木は、そして変わり果てた祐介の姿を発見する。
祐介は沢木に抱き起こされて微かに意識を取り戻した。
ハンカチで傷口を押さえてくれていたが、それだけでは全く出血が治まらない。
身体中の血液が出切ってしまうのではないか、と思われる程、鮮血が激しく零れて行く。
後5分でも彼らの到着が早かったら、こんな事態にはなっていなかったかも知れない。
だが、それは止むを得ない事だ。
祐介には彼らを待つ余裕が無かった。
実際、彼が飛び込んでいなかったら、少女は生きていなかった筈だ。
だから、祐介は自分のした事を決して後悔などしていなかった。
ただ、少女の身が気掛かりだった。
「申し…訳、あ、りま…せ…ん………め、命令…に、背い、て……しまい、まし、た………」
祐介はもう既に視力を失い始めている。
必死に霞むその眼で裕美を探したが、彼には見えない。
視界がぼやけ、狭くなっている。
「あの、子…は、無事、で…しょうか…?もしも…の事、があった、ら…俺、は、倉さん、に、何て…言ったら………………お、俺の、せい、で………あ、の子…に、怖い、思、いを…させ、てしまっ、て……」
やっとの事でそれだけ言うと、祐介は堪えていた物を吐き出した。
大量の鮮血が唇から溢れ出し、彼の端正な顔が初めて苦しげに歪んだ。
益々顔色が蒼白になって行く。
半身水から上がったかのように血塗れの祐介に、戸田や早瀬は言葉もなく立ち尽くす。
自分の身体から血が流れているかのような、心の痛みを感じていた。
「風見!しっかりしろっ!すぐに救急車が来る筈だ。頼むっ!耐えてくれっ!」
沢木は血を吐くような声で叫んだ。
呼吸が弱々し過ぎる祐介。その僅かな息が途絶えるのが、沢木達には怖かった。
スラッとした長身で、宝塚の男役のような端正過ぎる美貌と、しなやかな優れた頭脳を持ち、それでいてそんな自分の事を誇った事は一度もない彼は、周囲の誰もに愛された。
彼は刑事になるべくして生まれて来たのでは…と沢木でさえも思う程の天性の冴え。そして卓抜した推理力。
仕事人としても勿論だが、祐介の『人間』が惜しかった。
死なせたくはなかった。
自分の状況よりも少女の安否を気遣い、怖い思いをさせたのでは、と心配する。
そんな彼が惜しい……
沢木は、胸を喘がせながら夢現になり始めた祐介に、声を励まして、
「しっかりしろっ!女の子は無事だぞっ!怪我も無い。今、ここでお前の事を心配しているぞ」
「お兄ちゃん……」
裕美の声は小さかったが、それだけは確実に彼の耳に届いた。
祐介は心持ち微笑んだように見えた。
それが彼の最後の微かに残された力だったに違いない。
魂を振り絞るかのように、安堵が混じった言葉を血と共に吐いた。
「良、かっ…た………ご…めん、ね………」
消え入るような声だった。
救急車のサイレンが近付いて来るのが聴こえ始めたが、多分祐介の耳には入っていなかっただろう。
彼はとうとう、全身を弛緩させて力尽きた。

 

− 第2部 (5) へ 続く −