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DETECTIVE STORY

 

 

第2部 『 出航(さすらい) 』 (8)

 

 

祐介の快復は、決して目覚ましい物ではなかった。
その後、次に意識を取り戻した時に、祐介は宮本から全てを聞いた。
祐介の不退転の意志に、宮本が抗し切れなくなったのだ。
祐介は「その」覚悟はしていたようだ。
こうして生きている事が奇跡だと言う事も彼は悟っていた。
だから、宮本の予想ほどの驚きは見せなかった。
「そう、ですか………あと、半年………でも、それ、は…ここ、にいれ、ば…の、はな…し、ですよ、ね?」
「…………………………」
宮本は祐介の鋭さに閉口する。
「我儘、なのは……承、知し、て…います………俺の、意志、を通す、事で……仲、間達、や……先生や、ここ、 の人達、に………迷、惑を、掛けてしま、う、事も………」
彼が必死にその頭を擡げようとしているので、宮本は可動ベッドの脇にあるスイッチを押して、ベッドごと起こしてやった。
祐介が宮本の眼を正面から、意志の強い真摯な視線で見詰めた。
「お…願いで…す………身体、が動…くよう、になった…ら、どう…か、復職…させ、て、下…さい………」
「解っているよ。もう俺は沢木と2人で君の片棒を担いでいるんだ。この日が来ない事を望みもしたが………覚悟はしていたよ。この前、沢木が約束したろう?心配するな………とにかく、今は身体を快復させる事だけを考えろ」
「すみ…ません、悪、い患者、で………」
「解っているなら、なるべく無理はするなよ。どうだ、胸は苦しくないか?とにかく、喀血が収まる事だ。それから、リハビリを始めよう。君の肺が日常生活に支障ない程度に快復しなければ、話は始まらない」
「解…り、ました………きっと、快復、して、見せます……ところ、で、先生………もう1つ…お願い、が……あ、りま、す………」
「何だ?こんなに重大な頼み事をしておいて、まだ俺に重荷を背負わせるのか?」
宮本は祐介をからかうような口調で問い返した。
「すみま、せん………おね、がい、と言うのは………俺、の、身体の…事を、仲間、達に、は……知られ、たく…ない、んです………それ、と………瞳、ちゃん、には……知ら、せな…いで…下さ、い」
祐介の呼吸が苦しくなり始めている。
宮本は優しく頷いて、
「約束しよう。この事を知っているのは、君の治療に関わった人間と、デカ長の沢木だけだ……その件について は、安心したまえ。だから、少し眠れ。これ以上は身体に障るぞ」
宮本が言い終わった時、勤務を終えた瞳が監視室を経由して集中治療室に入って来た。
この頃の彼女に取っては、暇を見付けてはここに顔を出す事が日課となっている。
祐介が意識を取り戻している事に気が付くと、彼女は見る見る内に眼を輝かせた。
それに今回は今の処、喀血した様子もない。
祐介は宮本医師に『さっきの事、くれぐれもお願いしますよ』と視線で強く訴え掛けてから、瞳に向かって微笑んだ。
この男は、つい先程死の宣告を受けたばかりとは思えない落ち着き振りだ。
瞳は既に眼に一杯の涙を溜めている。
必死にそれが零れ出さないようにと堪えている。
宮本は瞳に「彼は疲れているから、無理をさせないように気を付けて…」と小声で耳打ちをすると、そっと席を外し、監視室にいる医師や看護婦達にも一時外に出るようにと促した。
「風見さんっ!………良かった………」
瞳は祐介のベッドに駆け寄ると、とうとうハラハラとその涙を零した。
至福の時が来たかのように瞳の表情は満たされていた。
「あり…がと、う………」
祐介は、瞳の眼を優しく静かに見詰め、呟いた。
「えっ?」
「君が……俺を、呼び戻し、て、くれた、んだ……」
祐介は愛しい者を愛でる視線で瞳を包んだ。
「俺は…長い間、大き、な川を…渡、ろうと、してい、た……あと僅、かで、向こ、う、岸、に着く、頃、そこに…両、 親が、立って、いた…」
苦しげに言葉を繋いで行く祐介をどこで止めようかと瞳はハラハラしていた。
「……写真、の中で…しか、記憶の…ない、お袋が、泣いて、いた………貴方は、まだ…ここ…に来ては、行け …ない、と………写真の…中、と全く、変わら、ない、姿、で……俺、より…年下の、お袋、が…俺が……あっち に、行くのを、拒んで…いた………」
祐介は疲労を隠す為に、ゆっくりと呼吸を整えた。
ここで瞳は彼を止めるべきだったのだが、彼女にはそれが出来なかった。
祐介は今、自分の思いの内を吐露しようとしているのだ。
最後まで言わせてあげるべきだと言う妙な使命感が瞳にはあった。
「父が……お前、が来…るのは、まだ…早過ぎ、る…と、叫、んだ……その時、宮本…先生、と、デカ、長、が俺を、呼ぶ…声が……。そし、て……君の、悲痛な……声が、耳を…掠め、て……」
祐介は軽く咳き込む。
「俺の…心に、直接、響いて、来た、んだ………お袋が、貴方を…必要、としている、人が…まだ、いる…じゃな…いの、と言った……俺…は、後ろを、振り…向いた………気が、付い…た、ら…その、まま、一気に、元、来 た、川、岸の…方に……引き、戻され、て、いた……あり、が…と…う。君、の…お陰、だ……瞳、ちゃ…ん………感謝、し…てい、るよ……」
語尾に力が無かった。これから、彼は辛い事を言い出そうとしていた。
瞳は祐介の顔色が異常に蒼ざめている事に気付いた。
「お願い、もう喋らないで!貴方の気持ちはよく解ったから……」
「君…の、お陰で……お、れ…は、戻って、来れ、た……だか…ら……俺、も、君の、為に、した、い…事があ…る …………………………………瞳ちゃん……お願、いだか…ら、もう…こ…ここには、来ない、で…くれ………」
瞳の眼は驚愕に見開かれた。
今、彼は何と………?
「君は…研修、医の…身だ………俺の、事、に…気を、取ら…れていて……ばかり、いて、は行け…ない。もっと …医業に、精進…しな、けれ…ば………俺、の、事を…気に、していて…は……君は、駄目に、な、る………」
これが祐介の言いたい事だったのだ。
明らかにこれから弱って行く自分。
確実にやって来る死と辛い別離。
自分の生命に限りが無ければ、祐介は迷わず瞳と共に生きる道を選んだ筈だ。
しかし………
残り僅かな期間では瞳を幸せには出来ない。
彼女を不幸に陥れるだけだ。
祐介はそれを恐れていた。
だから、心にも無い事を瞳に言って、彼女を自分から遠ざけようとしているのだ。
だが、祐介の生命が限られているなどと言う事は、当然瞳の意識の中には無かった。
彼の快復を信じているのだ。
だから、彼の真意が解らない。
瞳は錯乱した。
さっきまでとは違う涙が彼女を襲い、ベッドに突っ伏した彼女の喉から嗚咽が洩れ始めた。
祐介はそれを聞きながらとても切なかった。
本当なら傍にいて欲しいのに………
だけど………
だけど、自分はそれを望んでは行けないのだ………
そんな資格は自分には無い。
祐介は自分に無理矢理にそう言い聞かせた。
精神的に辛いその状態が彼の身体を凌駕した。
身体中が悲鳴を上げ、心がドクドクと血を流していた。
胸がカッと熱くなり、咳と共に不快な物が喉元に込み上げて来た。
彼にはそれを感じる余裕すら無かった。
それ程に予兆の無い容態の変化だった。
今までに比べると少量だが、またしても激しい喀血が起こる。
口の周りや胸元を鮮血に染めながら、祐介は瞳の姿を眼に焼き付けようかとするように、視界の狭い眼で彼女をじっと見詰めていた。
瞳は必死になって、祐介の身体の向きを変え、吐いた血で喉を詰まらせないように処置をしようとした。
祐介は体内の血液が大量に外に出る事によって、急激に意識が混濁し始めていた。
ぐったりとして、瞳の手には負えない。
宮本を呼びに行こうと立ち上がった瞳の耳に、混濁した意識の中、祐介が無意識に呟いた言葉が届いた。
………もう、それは、うわ言だった。
「許し…て、く…れ……ひと、み…ちゃ………」
祐介の真意は解らないが、彼が自分の事を誰よりも大切に思ってくれている事だけは、この無意識なうわ言により、却って露呈されたのであった。
取り敢えず口腔内に溢れ出た大量の血液を吸い出す為に、吸引器を祐介の口の中に入れてスイッチをONにした。
そして、心電図で血圧と呼吸状態をチェックする。
それから瞳は監視室に行き、内線電話で宮本を呼んだ。
宮本は慌てて飛んで来て、彼の容態を見た。
「まだ喀血がなかなか無くならないが、少しずつ快方に向かってはいる。予断は許さないが、徐々に喀血は収まって行くだろう。問題はそれからだよ………だが、彼はその意志の強さで、きっとリハビリをやってのけるだろう」
宮本は瞳にそう話した。
それが自らに言い聞かせるような口調だった事に、瞳は気付かなかった。
瞳は宮本に祐介が喀血する直前に彼女に言った事を話した。
宮本は痛ましげな表情になり、眠っている祐介の顔をチラリと見た。
彼には祐介の考えている事が痛いほど理解出来た。
「そう…だな。彼の言う通りかも知れん………快復の兆しも見えて来た処だし、少し勉強の方に身を入れて見たらどうだ?指導医の杉崎先生も心配しておられた。……そうだ。さっきの吸引の措置はなかなかだったぞ。幼児の誤飲の処置を何度もやっていた成果だな」
宮本は笑って瞳の肩を叩き、他のスタッフにまだまだ当分の間は必要な祐介の容態の監視を任せると、他の患者を診る為に、集中治療室を出て行った。
瞳はフッと自分が精神的にも肉体的にも疲れている事に気付いた。
祐介の真意を彼女が知るのは、彼の身体の秘密を知った時になるだろう。
だが、瞳はあの祐介のうわ言によって、今は満たされた気持ちで彼を見詰めていた。
心の奥に蹲っている何か引っ掛かる物に鍵を下ろし、それに蓋をしてしまったのだ。
その事を後に瞳は悔やんだ。

 

 

その年の暮れ、早くも祐介は警察病院を退院した。僅か1ヶ月の入院期間だった。相当に無理な退院である事は素人にも解る。
辛いリハビリはまだまだ通院しながら続けて行く事になる。
本来、肺を切除してのリハビリには、3ヶ月〜半年を要する。
それをこのような期間の入院で済ますには、通院でリハビリをこなすより他はない。
久し振りにスーツを着た祐介は少し痩せ、顔色はまだ余り優れなかったが、病み抜けたような感じはある。
宮本の執務室で、祐介は彼の前の折り畳み椅子に座らされ、その後ろに肩の傷も癒えた原と、戸田、早瀬がいる。
沢木は少し離れたドアの近くに寄り掛かるように腕を組んで立っていた。
「みんながいる前ではっきりして置きたい事がある。これから言う事が私の退院の条件だ。それを飲まなければ退院は認めない。いいな……」
祐介を迎えに来た刑事仲間達の前で宮本が言った。
「1つ、リハビリには当分の間、週2回は通って貰う。捜査よりもそちらが優先だ。来なければ私が押し掛けてでも、君を診るから覚悟しておく事。1つ、風邪には必要以上に気を遣う事。軽い風邪だと思っていても生命取りになる。勿論、即入院して貰う。周りのみんなも風邪の予防には細心の注意を払って貰いたい。万が一、風邪を引いたら、彼に移さないように、気を遣って欲しい。これは大変重要な事だ。1つ、私が許すまでは、犯人を追う時でも走っては行けない。捜査は足だが、君にはそれは当てはまらないのだと言う事を決して忘れるな。移動には車を使う事だ………みんなの前で言った理由が解るな?」
厳しい口調を崩さなかった宮本だが、最後の一言は優しかった。
祐介は黙って頭を下げた。
口にしたい思いは沢山あった。
だが、仲間達の前で言える言葉はこれしかない。
「先生………お世話になりました」
万感の思いを一言に込めて、祐介は宮本とスタッフに感謝の意を伝えた。

 

 

そうして、彼は新しい、そして最後の出航を果たす事になった。
半端ではない、苦しい道程が彼を待っている。
解っていてもその荒波に乗り出さなければならない、祐介の人生。
生き抜いてやる。やれるだけの事をやって………俺は逝く。
迷惑を掛ける事を承知で言った自分の我儘を、苦しんだ上に許してくれた、沢木と宮本の為にも、精一杯駆け抜ける。
祐介は決意も新たに、仲間達に囲まれて病院を後にするのだった。
どんな思いを胸に隠してか、明るい笑顔を見せながら………………

 

− 第2部 終わり −