DETECTIVE STORY

 

 

第3部 『 終着駅 』 (1)

 

 

久し振りの同窓会は、出席を危ぶまれていた風見祐介の参加もあり、盛り上がりを見せていた。
『教官』を囲んで、滅多に一堂に会する事のないメンバーが集まっている。
「よお!松田!久し振りだね。お前、今、どこの署だっけ?」
天然パーマの陽気な加納次郎が声を掛けて来た。もうかなり酔っている。
松田梨樹は、ごく薄めのアメリカンを一口飲んで、加納に答えた。
「お前、酔ってるな。酒臭えぞ……おいおい、寄りかかるなっ!……俺はここの管轄の伏見署だよ」
短めの髪の清潔感がある梨樹は、今日のこの会の幹事を引き受けている。
こう言った事にはマメな男だ。
「ああ、そうか。フンフン……あれ?祐介はどこだ?祐介〜?」
加納はキョロキョロと祐介の姿を探し、店の中をふら付いている。
どこの宴会にも1人は居そうなタイプである。
祐介はカウンターの隅で、牧野正義と何やら話し込んでいた。
ここは、新宿東口にある小さなバーで、今日は彼らの貸切になっている。
『教官』の娘が経営していた。
「祐介!正義もこっちへ来いよ!」
「ああ……」
と答えた祐介は心成しか元気がない。既に疲れている様子だ。
「祐介は、まだ今いち元気が無いね」
鬼無(おになし)署の早川健が眉を顰めた。
「まだ退院して間もないんだ。無理はないさ」
正義が呟いた。
「大丈夫だよ。そうでなければ、来てはいないよ。心配させるような事を言うなって。もう何ともないんだから…」
祐介はカウンターに肩肘をついた形で、前髪を掻き上げて重そうな頭を支えている。
余り大丈夫そうに見えないので、正義が帰るように勧めていた処だった。
祐介は気だるそうにワインを一口含んだ。
的場俊は、思わずそんな彼を見詰めてしまった。
「的場ちゃん!祐介に見とれたりしてどうしたのっ?」
「べっ別に見とれてなんていねえよ!」
隣に座っている、正義と同じ深藪署の東(あずま)聖一が俊を茶化している。賑やかな連中だ。
彼らとは一線を画したように、正義と祐介は静かな世界を形成している。
「無理をするな。俺の眼をごまかせると思うなよ」
正義が呟いた。
「風見………」
『教官』の清水頼孝が祐介の横に座った。
「取り敢えず、お前の生還に乾杯しよう………だがな、自分の生命は自分でしか守れない。それだけは忘れるんじゃない………私はお前さんの勇気には感服した。しかし、褒める事は出来ないな。1歩間違えば、お前の生命は無かった!いや、助かって今ここにいる事の方が奇跡だ………私が言いたい事は解っているな」
「………解って、います……解っているつもりです」
祐介は暗然とした眼をして呟いた。
「とにかく、2度と同じ事を繰り返してはならん。今度こそ、死が口をあけている事になるぞ。肝に銘じておく事だ」
祐介は哀しげな眼をして俯いた。
(俺はどちらにしても死ぬんだ………)
祐介は心の中で悲痛に叫んだ。
覚悟はとうに出来ている筈なのに、心が揺らいでいる………
「お父さん!もうその話は止めましょう……風見さん、とにかく元気になったんだから、それでいいじゃないの!みんなでお祝いしてあげなくちゃ……」
娘の小堺今日子が、父を宥めて、その話はそれきりになった。
祐介は無意識の内に、暗然と首を振って、グラスに残っていたワインを一気に飲み干した。
正義は、祐介からそのワイングラスを取り上げた。
「もう、いいだろう………すみません、ここ烏龍茶にして下さい!」
正義が手を挙げて、今日子に空のグラスを渡した。
祐介の酒量は決して多くはない。今、飲み干したワイン1杯のみだ。
だが、身体に良くない事は本人が一番良く解っている。自然、控えていた。
正義はそれでも、先程からハラハラして、ワインの減り具合を見ていた。
彼の飲み方が自虐的に見えたのだ。
正義の洞察力はなかなか鋭い。
祐介は正直言って、皆に身体の事を気遣われる事が鬱陶しくなっていたのだ。
何となくそれを察した正義は、もうこれ以上は何も言うまい、と思った。
「解ってる…解ってるよ……」
祐介は焦点の合っていないような空ろな視線を泳がせ、少し震える声で呟いた。多分、無意識な言葉だ。
「お前、何考えてる?」
正義が眉を顰めて訊いた。
祐介はハッと我に返り、「いや、何でもない…」と答えた。
正義は暫く彼をそっとしておく事にし、水割りを舐めた。

 

 

祐介と同じ三原署にいる原優は、清水教官の横に座っていたが、梨樹に手招きされ、彼の隣の空席へブランデーグラスを手にしたまま、移動した。
「お前、この頃、口数が少ないね」
梨樹が静かに訊ねた。
彼の水割りが無くなったので、今日子がグラスを受け取り、ウイスキーを半分より少し少なめに注いで、氷とミネラルウォーターを入れて掻き回した。
「そうかね?」
「ああ…そうだよ。祐さんの大手術の後、ずっとだ……あ、サンキュー!」
梨樹は礼を言って新しい水割りを受け取った。
「俺があの時、爆弾魔に撃たれなければ、風見を1人で廃工場に行かせるような事にはならなかったんだ……」
「考え過ぎだぜ、そりゃあ…」
梨樹は眉を顰めて、水割りを口に含んだ。
「いや……風見は片肺になったんだぞ。デカとして続けて行くには………」
「よせよ。祐さんは頭脳明晰だし、ハジキは射撃大会3年連続優勝の腕だぜ。今年も出ていれば、4連覇間違いなしだった。その上、車の運転はA級ライセンスと来ている。大丈夫、ちゃんと自分でカバーするって。射撃の腕が落ちたって訳じゃないんだろ?」
「しかし……もう、余り走れない…」 
※ ハジキ…拳銃の事
「お前も心配性だなぁ」
「松田には…俺の気持ちは解らんよ」
梨樹の眉がピクリと動き、水割りのグラスを置いた。
「いい加減にしろよ。終いには殴るぞ!お前がそんな状態じゃあ、祐さんは仕事をしにくいだろうよ」
2人はカウンターの反対側の端にいる祐介に聴こえないように気を遣って話していたが、祐介はその空気に気付いていた。
席を立って、彼らの方に歩を進めようとする祐介を、早川が止めた。
「今、行っちゃいけない。松田に任せておけばいい」
彼は小さく囁いた。
「おーい、幹事っ!」
大きな声が梨樹を呼んだ。次郎である。
梨樹は原に、
「あいつ、酒が入ると騒がしくなる。普段はいいデカなんだけどな」
と苦笑してから、立ち上がって次郎の方へと歩いた。
「はいはい、何でございましょう。加納先生」
忙しい男である。世話好きなのだが、周囲も彼の世話になる事が心地良いので、自然と頼られてしまう。
気の利く人間なので、気配りがうまく、このような幹事には持って来いなのだ。
梨樹は加納次郎と合流し、そこにいた清水教官と思い出を語らった。
「変わらんな、昔も今も………」
教官は口元を綻ばせた。
………清水教官は来年早々に50の声を聞く。勿論まだ現役バリバリの鬼教官だ。
彼らを迎えた時は41歳で若々しく厳しかった物だが、今ではかなり白髪が目立って来ていた。
当時、18、9で入って来た彼らが26、7歳の中堅刑事に成長しているのだから、仕方があるまい。
そして、当時まだ16歳だった娘の今日子がもう25歳になり、結婚して男の子まで設けている。
和孝と言う2歳になるその男の子は、勿論清水にとっては初孫に当たり、眼の中に入れても痛くない、と言う程の可愛がりようである。
清水はそして、彼ら教え子達を、実の息子のようにいとおしく思っていた。
祐介に、先程のような事を言ったのはそのせいであるし、祐介自身もそれは痛いほど解っている。
ただ、教官の口から出た『死』と言う言葉が、彼の胸を抉った。
彼はまだ退院してそれ程経ってはいなかった。
本来ならば、彼の身体はとても退院出来るような容態ではなかった。
彼は………自分の『運命』を知り、残された時間を有効に使う為に、担当の宮本医師に無理を承知の上で、退院を申し出たのだ。
しかし、まだ、『覚悟』が決まっていないようだ。
彼は今、非常に不安定な状態だった。
やがて来る死を認識出来ずにいた。
(もっと落ち着いてからならまだしも……この時期に、この会に参加すべきじゃなかった……)
と、彼は思い始めていた。
祐介は気を取り直して立ち上がった。
「ちょっと外の空気に触れて来る」
と断って店の外に出ると、ガードレールに寄り掛かって、行き過ぎる車を眺めた。
10分もすると、梨樹が呼びに来た。
「祐さん……大丈夫かい?」
「何が?」
「何がって、お前はすぐに無理をするから、心配で仕方が無いよ」
祐介は素直に彼に感謝して、微笑んだ。
「大丈夫だよ、心配してくれなくても………」
「そうか?……それならいいんだ。でも、もう身体が冷えただろう?そろそろ入った方がいい。今夜は雪でも降りそうだ」
「ありがとう……でも、もう少しここにいたいんだ。冷たい空気が心地良い」
「じゃあ、せめてコートでも着ろよ」
梨樹は1度引き返し、正義が渡してくれた祐介のコートを、彼の肩にフワリと掛けた。
「サンキュ……」
梨樹は、祐介の隣に並んで立った。
自らもコートに袖を通して、祐介に話し掛ける。
「俺がここにいちゃ邪魔かな?」
「いいや………そんな事はないよ」
梨樹はフッと笑った。明るい笑顔だ。短い髪に少年っぽさを残したその容貌が良く似合っている。
「そうか……なあ、祐さん」
「ん?」
「2ヶ月前の約束、覚えてるだろう?……ほら、来年の射撃大会で勝負しようって奴」
「ああ……覚えてる」
「俺、余りああ言う所は、好きじゃないんだ。だから、今まで出場しなかった。けれど、俺がその気になったのは……相手が祐さんだったからさ……」
祐介は無言で、紺色の空を仰ぎ見た。
彼はきっとその時、果たせる事が出来ないであろう約束を憂えていたに違いなかった。
祐介はパッと雑念を振り払い、明るい笑顔で梨樹に振り返った。
「お互いにせいぜい腕を磨いておこうぜ!」
「そう来なくっちゃ!」
2人はガッチリと握手を交わした。
「おい!2人ともいい加減に中に入れよ!風邪を引いても知らんぞ!!」
正義が扉から顔を出した。
「ああ、今行く!」
祐介は明るく返事をする。
「ったく、小姑みたいな奴だなぁ〜」
梨樹が呟くと、祐介は苦笑した。
「お前も、同じ事を言って、ここに来たんじゃなかった?」
そうだ。ミイラ取りがミイラになったのだ。
祐介は軽く笑いながら、先にドアの向こうに消えた。

 

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