DETECTIVE STORY

 

 

第3部 『 終着駅 』 (2)

 

 

「お父さん、ちょっと和孝が愚図っているみたい…」
同窓会のメンバーとの話に興じていた今日子は、突然耳を澄ますと、清水に囁いた。
「さすが、母親って言うのは、子供の事はすぐに解るんだな……私には聴こえなかったが」
清水は娘の『母親の勘』と言う物に感心した。
「ちょっと見て来る。すぐに戻るから」
今日子がそう言って席を外したのは、もう11時を回る頃だった。
「お孫さん、きっと今日子さんに似て、眼のクリクリっとした可愛い坊やなんでしょうね」
梨樹が今日子の後姿を見送りながら、清水教官に言った。
清水は思わず頬を緩めた。本当に可愛い孫なのだ。
それから思い出したように話題を変える。
「ところで、お前達は妙な事に揃ってまだ独身だが………誰も嫁の来手はないのかね?」
「ありますよ、少なくとも祐さんの所には」
梨樹が言い、それを聞き付けた祐介は慌てる。
実の処、この翌々年の夏に梨樹は結婚する。それなのに、自分の事はどこへやら、祐介に水を向けてしまった。
まだ梨樹には、自分の未来が読めていなかったのだ。
祐介は泡を喰って梨樹のそれ以上の発言を止めようとする。
「おいおい………」
「………………隠す事なんて無いだろうが。お前がまだ意識不明だった頃、見舞いに行って見たんだから。あの白衣の女の子は誰だよ。看護婦さんじゃないし、あの甲斐甲斐しさは、普通じゃないぜ」
「違うよ。あの娘はデカ長の妹で………」
祐介は少しうろたえている。
「おい、風見!あれだけ瞳ちゃんに心配させておいて、『デカ長』の妹はないと思うよ」
落ち込んでいた原が少し表情を崩して、割り込んだ。
「へえ……祐介も隅に置けないねぇ〜」
次郎がからかうように祐介の顔を覗き見たが、祐介の眼には反対に暗い影が漂う。
彼には瞳に対して複雑な思いがある。
そんな彼に周りの者は気付かなかった。
正義が彼の表情を見ていたら、何かを感じ取ったかもしれないが、彼は水割りの氷が溶けるのをじっと見詰めていたので、それには気付かなかった。
「そう言う次郎はどうなんだい?」
的場俊が話の矛先を次郎に向けた、その瞬間だった。
断末魔のような叫びが、彼らの平穏な時を止めた。
今日子の声だ。
弾かれたように、清水を先頭に声のした裏口の方へと、彼らは走る。
刑事の本能以外の何物でもない。
数秒後、刑事達の眼に映ったのは………震えながら立ち尽くす今日子と…ベージュのコートの背中にナイフを突き立てられ、眼を剥いて彼女の前に立っている男だった。
「清二!」
清水は男に走り寄り、肩に触れた………と、清二と呼ばれた男はそのまま崩れ落ちた。
既に男は、立ったままの姿で息絶えていたのだ。
我に返った今日子は、慌てて彼を抱き起こした。
「あなた!あなたっ!?」
小堺清二は蒼白な顔をして、妻の呼び掛けにも、答える事はなかった。

 

 

正義と早川が、そして続いて梨樹が外へ走り出た。
「今日子、さん………」
祐介は悲痛な声を絞り出して、今日子を小堺の身体から優しく引き離した。
今日子は父親に縋り付いて、さめざめと涙を零す以外に自らを保つ術を持たなかった。
祐介はまず小堺の頚動脈に触れ、息絶えている事を確認すると、注意深く傷口を調べる。
ナイフには鑑識が来るまで決して手を触れない。
(トレンチコートを着ていたせいで、血をどこにも零さずにここ迄歩いて来たんだ……どこでやられたのか?多分、正義達は収穫も無く、戻って来るだろう……)
恐らくどこにも血痕は見付かるまい、と祐介は思った。
「じきに鑑識が来ます」
電話をしていた原が戻って来て、清水に告げた。
清水は泣き止まぬ娘の肩を優しく抱きながら、黙って頷いた。
ここは新宿……梨樹達、伏見署の管轄である。
取り敢えず、宿直の黒部満が、相棒の草野広を呼び出して、駆け付けて来た。
切れ者と言う噂の、梨樹の先輩刑事達である。
祐介達からそれまでの状況説明を受けた草野は、
「何てこった……」と小さく呟いた。
そこに、梨樹達が戻って来た。
祐介が眼で問い、梨樹は黙って首を振った。
祐介はそれを見て、頷き返す。残念だが、彼の予想通りだった。
次郎や俊、そして原や聖一も加わって、祐介、正義、早川の話を聞く。
そして、その傍らで、梨樹は草野、黒部と真面目な表情で二言三言交わしている。
パトカーのサイレンに混じって、車のブレーキ音が聞こえ、やがて伏見署の嘱託医が眼鏡をずり上げながら、表から店内を突っ切って入って来た。
「外の野次馬共が相当膨れ上がっとるが、整理しなくていいのかね?」
彼はいつも何だかんだと文句を付けながらやって来る。
黒部は彼のその悪い癖を知っているので、全く無視して、早速検死に入るよう促した。
今日子はやっと落ち着きを取り戻して来て、愚図り続ける和孝を抱き締めながら、検死の様子を見守っていた。
呆けたような顔で突っ立っている。
清水は、今日子の耳元で何かを囁いた。
「あ…………………………」
と彼女は小さく声を出した。
「今日子さん、何か?」
正義がそれを聞き逃す筈は無く、今日子に優しく訊いた。
正義は整った理知的な容貌を持つ。
一言で言うと、祐介が妖艶なら、彼は二枚目系だ。
刑事としての有能さが良い意味で顔に出ている。
祐介も考え事をしながらも、眼を彼女の方に向けた。
「いつも持ち歩いている筈の……鞄が無いんです……」
「鞄?」
正義が眉を顰める。
「朝は持って出たのに……」
「御主人、貿易関係の仕事をなさっていたんでしたね?」
祐介が愚図り止まない和孝の頭を撫でてやりながら、訊ねた。
不思議にも和孝がピタリと泣き止んだ。
「ええ……そう、ですけど…?」
検死のメモを取っている草野がチラッとこちらを見遣った。
何か気になる事がありそうだが、口を噤んだままだ。
梨樹はワンテンポ遅れて、黙々と警察手帳にメモを取る草野を見たが、彼に表情の変化は見られなかった。
草野が『生き字引』と呼ばれている事がヒントになりそうだが、彼はもう暫くだけ、胸に秘めて置こうと思っている。
それは被害者の親族が此処に居合わせているからでもある。
そう言った気遣いを出来る者は、最近では少なくなっている。
「梨樹、済まんがもう1度、外に出てくれないか?」
草野がやっと口を開いた。
「鞄……ですね?解りました」
「俺達も行こう」
俊、次郎、聖一が、梨樹の後に続いて出て行った。
飛んだ同窓会のお開きになってしまった。
検死が終わり、死体が運び出されて行く。
清水は娘から和孝を抱き取り、彼女の肩に手を乗せた。
彼女は頷き、夫の亡骸と共に救急車に乗り込んだ。
嘱託医は、
「後は解剖してみない事には、何とも言えんね」
と言い残し、現場を去った。
救急車のサイレンが……祐介には、いやそこに居合わせた全ての者に虚しく聴こえた。
ハラハラと雪が舞い降りて来る。
(来年はもう、俺には雪を見る事が出来ないかも知れないな………)
祐介は突然頭に入り込んで来た感傷を打ち消すかのように首を振った。
  

 

− 第3部 (3) へ 続く −