DETECTIVE STORY

 

 

第3部 『 終着駅 』 (4)

 

 

祐介は凶器となった登山ナイフの卸元を調べ出し、まずそこを訪ねた。
担当者によると、そのナイフは1年以上前に製造中止になっていて、今はもう卸していないと言う。
従って、現在は都内の店舗にはそれ程残っていないとの事だ。
過去に卸していた小売店のリストをコピーして貰い、祐介はコツコツと1軒1軒を当たり、自分の眼と耳で確かめて行く。
その殆どが無駄になる、と言う事が解っていても、それを敢えてする事できっと何かが見えて来る筈………これは祐介の信条でもあった。
何度も無駄足を運びつつ、時は刻々と過ぎて行く。
彼には1秒1秒が貴重な一刻みである。
1秒の刻みが1日に繋がり、1日1日がやがて1ヶ月、そして1年に………
『今』の延長線上に『終焉』がある。
それが………彼に取っての『現実』なのだ。
祐介は1人になると、どうしてもその事を考えずにはいられなかった。
忘れよう忘れようと……努力はしているつもりだ。
しかし、大きな『現実』の前に、脆くも崩れ去ってしまう……
そんな自分にイライラしながら、それを紛らわす為に益々捜査に打ち込む祐介であった。
冬の陽は短い。
陽が落ち掛けて、夕焼けが拡がる頃、祐介はとある店の前に立ち止まり、商号を確認した。
もう彼の心の中には、先程までの思いは消えている。
例え、今の一瞬だけの事であっても………
彼は身体を折り曲げて、自動ドアになっている入口を通り抜けた。
長身の為、そうしなければ頭がつかえてしまうのだ。
彼の長身の前には、180cm近い梨樹や正義も、少しだけ小さく見えてしまう。
店内に入ると、祐介は店主を探した。使用人がいる気配は無い。
丁度、荷出し中で座り込んでいて、入口からは見えなかった店主が、祐介に気付いて、
「いらっしゃい!」
と愛想良く笑った。
「お客さん、冬山登山でも?……この時期は雪景色がいいですよ〜」
50代と見られる店主は、ふと遠くを見詰めるような眼をした。
彼は本当に山が好きで、この仕事をしていた。
今でも勿論現役で、時には店を1週間位閉めて、登山仲間達と遠征している。
奥さんも仲間の1人なので、理想的だった。
「いえ……ちょっとお訊きしたい事がありまして、伺いました」
警察手帳を提示して、内ポケットに戻すと、祐介は小脇に抱えていた紙包みを広げ出した。
ビニール袋の中に、証拠品として何やら紙の札が付けられた登山ナイフが入っている。
「実はこれを売った店を探しているのですが………」
店主はビニール袋を受け取り、透かし見るようにした。
「ああ!これなら2週間前位に売りましたよ。これ、製造中止になったんですよ。卸元では引き取ってくれなくて ね。最後の1本だったもんだから良く覚えていますよ」
祐介は落ち着き払っていたが、眼は爛々と輝かせていた。
「どんな人物が買ったのか、覚えていますか?」
「刑事さん、このナイフが事件に?」
「まあ、そんな所です」
「まさか、ウチのお客さんが……」
「ご迷惑をお掛けする事はありませんので、安心してお話し下さい。まだ全部の店を回った訳ではありませんか ら、他の店でも販売している可能性は充分あります」
祐介は相手の警戒心を溶かすように、優しい口調で話した。
「解りました。でも顔ははっきり覚えてはいませんよ。30年配の身なりのキチッとした男の人でした。背は刑事さんより頭1つ小さかったかなぁ……もう1度見れば、多分解ると思うんだけど」
祐介は充分に礼を言って、入って来た時と同じように身を屈めて店を出た。
車に戻ってから、彼は警察手帳を取り出し、徐ろに今の話を整理しながらメモをする。
一般人に聞き込みをする場合、非常に注意が必要だ。
眼の前で警察手帳を広げてメモなどしていると、必要以上の警戒心を煽る事もあるのだ。
さて、祐介がこれで安心などする訳が無かった。
まだ今の店主の話の『30年配の男』が怪しいとするには、材料が少な過ぎる。
リストにある全ての店を回り終えない限り、断定など出来ないのである。
祐介は飽くまでも慎重に事を運んで行く。

 

 

梨樹は2人と別れた後、被害者の鞄が見付かった中央公園付近の捜索を再び開始した。
派出所の玉置巡査、他3名を動員しての、地道な捜査である。
文字通り、『草の根分けて』、『地べたを這い回る』ような仕事だ。
どこに犯人や被害者の遺留品が残されているか解らない。
時にはゴミ箱も引っくり返して調べた。
余り嬉しくない仕事だが、刑事をしている以上、仕方の無い事だし、人目などを気にしてもいられなかった。
途中で鑑識課に電話を入れたが、鞄からはやはり被害者以外の指紋は検出されていなかった。
これも手袋をした上で扱われていたのだ。
ただ、被害者の物とは違う髪の毛が鞄の留め金に挟まっていた。
髪の毛の質などから20〜30代の男性の物と推測され、血液型はAB型であると言う。
小堺清二と妻の今日子は勿論、鞄を発見した梨樹と玉置巡査にも当てはまらない。
犯人の物である可能性は高い。
(AB型か…10人に1人だな……しかし、これだけでは決め手には欠けるな…)
梨樹は少々焦り、更に証拠品を発見する為に奮起した。
半径500mの地点まで隈なく調べたが、何も出て来ないので、ひとまずそちらの捜査を切り上げ、梨樹は被害者・小堺清二が勤務していた貿易会社を訪ねる事にした。
その大きなビルの前に到着した時、前方から見慣れた男が歩いて来るのに眼を凝らした。
冬時の夕方は、もう既に藍色の世界だ。
やがて紺色になり、漆黒の闇に包まれる。
「正義。お前もか」
梨樹は男が10m程まで近付いて来た時、やっと声を掛けた。
正義は少し片手を挙げて苦笑する。
2人は受付を通して、小堺の上司に面会を求めた。
応接室に通された彼らは、余り待たされずに済んだ。
「お待たせしました………」
黒のスーツを着て、左手に数珠を掛け持った50代後半のロマンスグレーが入って来た。
2人の刑事は軽く会釈して、勧められた椅子に腰掛けた。
「お通夜にご出席なさるんですか?」
梨樹が初めに口を開いた。
「ええ。小堺君は優秀な部下でしたから」
ロマンスグレーの柴田部長は肩を落として答えた。
「解りました。時間がありませんから、お手間は取らせません。早速ですが2、3質問をさせて下さい」
正義がはっきりとした口調で本題に入ろうとすると、柴田も2人の刑事をしっかりと見て、
「お役に立てるかどうかは解りませんが、何なりと……」
と答えた。
数珠を持った手を握り締める。
正義は年輪の刻まれたその手を数秒間見詰めてから、話を切り出した。
「立ち入った話で誠に失礼だとは思いますが……小堺さんは過去1年間に18回も海外出張をしていますが…」
「18回『も』ではありませんよ。一般から見ると、確かに多いかも知れませんが、我が社では18回は決して多い 数字ではありません。平均をやや下回る位です」
「海外出張の名目はどんな?」
「勿論、海外のお得意様との取引が主ですが」
「それは日程にどの位組み込まれています?」
梨樹が訊いた。
「出張日数は場合によって違いますが、その殆どを費やしています」
「すると自由な時間はどの程度取れますか?」
再び正義が質問した。
2人の刑事が聞き込む場合、大概片方が聞き役、もう片方がメモの役を引き受ける。
今の場合、正義が前者で、梨樹が後者である事は言うまでもない。
しかし、たまに『メモ役』の方がちょこっと質問をしてやる事は、1人が聞き役を続けるよりも相手の口を滑らかにしてくれる事もある。
正義も梨樹も、経験からそんな『妙技』を心得ていた。
短めのロマンスグレーが少し首を傾げた。
「小堺君は、睡眠時間を削って、そう言う時間を作っていたようですよ。彼はあれでマイホームパパの典型でし た。奥さんや坊やに土産を探すのが、出張中の唯一の楽しみだったと思います。実際、仕事がビッチリでしたから、寝る時間を削る以外に時間を捻出する所がありません」
柴田はふと窓の外に眼をやった。
一時、降り止んでいた雪がまたサラサラと舞い始めている。
「付かぬ事を伺いますが、小堺さん、宝石に対する興味や知識は如何でしたか?」
柴田は少しビックリした顔をした。そんな事まで知っているのか、と言う顔だ。
「詳しかったみたいですな。いつだったか、私共の女子社員のダイヤの婚約指輪を見て、一演説ぶった時には、みんな驚いた物です」
「……彼と親しかった社員の方の氏名を教えて戴けませんか?その方達にもぜひ明日以降、お話を伺いたいのですが」
「解りました。私は良く知らんのですが、庶務課の星野と言うのが、親しくしていたようですので、彼に訊けば解るでしょう」
2人は柴田に充分に礼を言って、彼と別れた。
そして、通夜に出席する為に出掛ける直前の星野を掴まえて、数人の名前を聞き出す事が出来た。
明日、改めて星野を含めた彼らに話を訊く事になるだろう。
2人が社屋から出ると、雪は段々と本降りになって来た。
梨樹はコートの襟を立て、肩をすぼめ身震いした。
「正義、お前どう思った?」
歩きながら2人は話す。
「解らんな。あの部長は絡んでいないような気もするが、芝居じゃないとは言い切れん」
「ああ、とにかく明日以降またあの会社に行く口実は出来た訳だからな」
「……小堺1人で、あれだけの事をこなすとはどうしても思えん。俺は少し違う方面を聞き込んでみるよ」
「お前の得意分野になって来たな」
正義が梨樹の言葉に何か言い掛けた時、
「よお!お2人さん」
祐介は路脇に止めた車に寄り掛かり、軽く手を振っていた。
「お前!馬鹿だなぁ。この雪ン中、傘も差さずに外に立ってんじゃないよ。もっと自分の身体を大切にしろよ……」
「解ってるよ。ちょっと雪を見て置きたかったんだ………」
祐介が言った言葉は少しおかしかった。本人は気付いていない。
「見て………置きたかった?」
正義はその言葉に引っ掛かって眉を顰めた。
「………通夜に、行くんだろ?」
祐介はあからさまに話題を変えた。
「早く……乗れよ」
彼はさっさと運転席に乗り込み、エンジンを吹かし始めた。
粉雪を直接受け止めた祐介の髪に無数の雫。
対向車のライトに光って綺麗だ。
彼は、梨樹と正義が後部座席に乗り込むと、アクセルを踏み入れた。
何を思ったのか、その頬に寂しい微笑を浮かべながら。
2人には、ミラーに映ったその微笑みの意味は解り得なかった。
彼らがその答えを見付ける迄には、それから1年近くの月日を要した。

 

 

各々が焼香を済ませると、清水教官が3人を別室に呼んだ。
正義が改めて悔やみの言葉を述べようとするのを遮るように、清水は話し始めた。
「私は娘があれと結婚する時、最後まで反対していた……」
「なぜ、ですか?」
祐介の表情が動いた。
「………根拠は無い。ただの勘だ」
「勘、ですか?」
梨樹が納得行かないような顔をした。
「そうだ。ただの勘だ……あの男は喰えない男だと、そう思ったのだ。やはり、あれと一緒にさせるべきでは無かった。今日子に押し切られて、已む無く承知したのだが………あの時の私の勘は当たっていたんだ」
「どう……喰えない男だと?」
正義が真剣な眼差しを清水に向けた。
「何か後ろ暗い事をしている陰が……あれにはあった。何となく私と眼を合わせる事を恐れている感じがあの男にはあったのだ」
清水は寂しげな表情になった。
「私も捜査に参加したい処だが、それは出来ない相談だ………お前達がどう言う情報を持ち、どんな方向で捜査をしているのか、大体の見当は付いている………頼む。真実を突き止めてくれ。私はその結果、どんな事を聞かされても、驚きはせん!」
「教官!」
清水に手を握られた祐介は、言葉に詰まった。
今、一番苦悩しているのは、この人なのだと……祐介だけではなく、正義も、そして梨樹も、痛いほど感じ取っていた。
3人は教官と別れ、今日子に心から力付ける言葉を掛けてから、通夜の席を辞した。
もう大分遅い時間だが、3人は夕食を摂っていなかった。
一旦、それぞれの署に戻って経過報告をしてから、おばさんの店に集まる事にした。
お互いの捜査の進み具合を、もう1度整理して話し合う必要があったのだ
車で伏見署、深藪署を回り、2人をそれぞれ降ろしてから、祐介は渋谷へと車を走らせた。

 

− 第3部 (5) へ 続く −