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DETECTIVE STORY

 

 

第3部 『 終着駅 』 (5)

 

 

祐介は立番の警官の敬礼に、軽く手を挙げて答え、三原署の玄関へと入って行く。
署内はかなりの静けさだが、交通課と少年課だけは、少しざわめいている。
祐介は2階に上がる途中で、二課の古参刑事が16、7の少年を連れて降りて来るのと擦れ違い、目礼をした。
少年はしょげ返っているが、手錠は打たれていなかった。
軽い罪で釈放か、それとも何かの事件で被害者となったのか………祐介は見送りながら、考えた。
その時、彼は突然、小さくうめいて唇を手で覆った。
多くは無いが、指の間から鮮血が洩れる。
彼は慌てて、よろめきながらもトイレに駆け込んだ。
洗面所の白い陶器がバッと紅に染まる。
祐介は暫く肩で息をしていたが、呼吸が整うと、洗面所に散った血をうまく処理してから、鏡に自分の姿を映す。
彼は、衣服に血が付いていない事を確認すると、刑事部屋へと向かった。

 

 

おばさんは心得た物で、バラバラにやって来た3人に、ちゃんと塩を撒いてくれた。
「知ってたの?」
不思議そうに訊ねる梨樹におばさんは、
「あんた達3人が調べてる事件ってどんな物なのかと思って、新聞で調べたからね。今日子ちゃんの事は私も良く知っているもの。それで、清水さんの教え子のあんたらが通夜に行かない訳はない、と思ったのさ」
「正解です!」
梨樹は余り気乗りのしない声で答えた。
やがて正義が到着し、最後に祐介がやって来た。
三原署だけが渋谷にあるので、仕方が無かったのだが、心成しか祐介の顔色が冴えない。
「ほら見ろ!風邪を引いたんじゃないのか?あんな所に立っているから」
梨樹がお茶を啜りながら、心配げに言った。
「梨樹、お前も『小姑』みたいな奴だな」
正義がボソッと呟いたので、祐介は笑い出し、梨樹は困惑の表情を浮かべた。
「お前……あれ、聞いてたのかよ?」
「1本取られたな?梨樹」
祐介は嬉しそうだ。
「そんなに嬉しそうに言わんでくれ」
3人とも1日振りに元の素顔に戻ったと言う感じだ。
しかし、一度仕事の話に入ると、彼らにそんな表情は微塵も見られない。
祐介はその日、リストの店を全て回り終えたが、結局、凶器の登山ナイフを売ったのは、例の店だけであった。
彼は店主に、容疑者が浮かんだ時は『面通し』に協力してくれるよう要請し、承諾を得ていた。
その辺の報告を祐介が終えると、正義が貿易会社での事を簡単に話す。
祐介は頷きながら聞いている。
この会社についての、3人の意見は既に一致を見ていた。
3人の考え通りの会社だとしたら、正義達の訪問は、自分達の存在をわざわざ教えてやった事になる。
危険な賭けだった………
「どう出て来るか楽しみだな」
「梨樹。余り期待しない方がいいぜ。引っ掛かって来たら大した物だ。他の方向からも調査して見ない事にはな ………まだまだ検討する材料が多過ぎる」
祐介が言った。
「ああ、視野を広く持つ事に越した事はない」
正義も祐介の意見に続く。
「全く、2人共、石橋を叩いて渡るんだな。いい事には違いないが、叩き過ぎて壊しちまわない程度に頼むぜ」
祐介も正義も、梨樹の迷言に苦笑しながら頷き返した。
3人とも昨晩は徹夜だ。
食事を終え、議論を尽くした処で明日に備えて解散する事になった。
祐介だけはツケ払いにしないで、会計を済ませて帰る。
おばさんは3人が帰った後、密かに首を捻った。
(急にツケを綺麗にするなんて言い出したりして、一体どうしたんだ、祐さんは。まさか怪我のせいでどこかへ飛ばされるとか…?あら、いやだっ!私ったら何を考えているのかしら?)
おばさんは無人になった店内で、1人立ち尽くした。
今日は雪のせいで早くに客が退けてしまった。
いつもなら、今頃はまだ店は混み合っている。
皆、寄り道など考えずに、家路を急いだのだろう。
奇妙な静けさが辺りの空気を支配する。
(ああ…今日はもう看板にしよう………)
彼女は突然疲れを感じて、暖簾を店内に仕舞い込んだ。
カウンター席に腰を下ろして、おばさんは1人、熱燗を徳利ごと口に運んだ。
「あの子達、段々あんたにダブって見えて来て……ふと、心配になるわ……守って、やってね」
徳利を一気に煽って、彼女はポツリと呟いた。

 

 

祐介は自宅に辿り着くと、まるで張り詰めた糸が急にその張りを失って緩んだかのように、ソファーにドサッと倒れ込んだ。
そのまま、天井を仰ぎ見ながら、肩で大きな呼吸を繰り返す。
先程、署に戻った時に堪え切れずに血を吐いたのが、彼の身体に堪えていた。
おばさんの小料理店に顔を出した時に顔色が優れなかったのもそのせいである。
こんな寒い日は、手術の傷痕がキリキリと痛まない訳は無かった。
(でも…痛むと言う事は、まだ神経が正常に働いているって事だ………大丈夫。耐えて見せる……そして、きっ と来年、もう1度、この雪を見るんだ……)
祐介は少し楽になると、カーテンの隙間から外を舞う雪を眺めながら、そう思った。
そして、そんな自分に苦笑する。
妙に感傷的な自分………
今まで、こんなに自然の現象を見て、感動した事が果たしてあっただろうか?
仕事に明け暮れる毎日で、そんな風に季節を見た事など無かった。
それ程までに彼は仕事を愛し、寸暇を惜しんで熱中していた。
その彼がもうすぐ……その仕事の為に死ななければならない。
(それで満足な筈では無かったのか?)
祐介は自らに問うた。その為に無理に病院を退院して来たのでは無かったか?
(何だ、この不安定な気持ちは………俺は、こんなに気弱な男だったのか?違うだろう?)
いつしか、窓の外は粉雪から大粒のボタン雪に変わっていた。
(この分じゃ、積もりそうだ……)
祐介はこの時、初めて気付いたかのように、エアコンのスイッチを入れた。
彼の家は、三原署から車で15分位の10階建てマンションの1階だった。急な事件に飛び出すのには便利だ。
事件記者だった亡き父親が遺した場所だ。
彼は余り家にいた事が無い。
だから、同じマンションに住む人々の顔も、隣の母子を覗いては殆ど知らなかった。
古株の人の顔が解る程度だ。
1つ1つの箱の中で、孤立して生活している人々………
自分を含めて、祐介は何か虚しい思いを感じ続けて来た。
そして、もしかしたら………ある朝、自分はこの部屋で…目覚める事も無く、死んでいるかもしれない。
誰も訪ねて来ないこの部屋で、1人で寂しく死んで行く………
月日が過ぎて、忘れた頃に自分の遺体が発見される………………
(惨めだよなぁ…)
祐介は暗い窓に映った自分の姿を見ながら、小さく呟いた。
「死神が取り憑いているみたいだ………」
彼は突然、頭を一杯にしたその考えを断ち切るかのように、カーテンを音を立てて締め切った。
ふと時計に眼をやると、夜中の1時近かった。
風呂を沸かしている時間は無い。
冷え切った風呂場で熱めのシャワーを浴びて、ベッドに潜り込んだ。
自動に切り替えたエアコンが作り出す温度が丁度心地良い暖かさで、疲れ切った彼を深い眠りへと引きずり込んだ。

 

 

目覚まし時計のベルに叩き起こされたのは、朝の6時だった。4時間少々の睡眠時間だったが、眠りが深かっただけに、頭は冴えている。
密度の濃い睡眠だった。
12月も下旬の朝だ。6時と言えば、まだかなり薄暗い。
祐介は梨樹と違って、余り料理が得意な方ではない。殆ど台所が使われる事はなく、綺麗に片付いている。
彼は殆どを外食で済ましていた。
この朝も、余り食欲が無い事も手伝ってか、市販のお湯を注ぐだけのスープで済ませてしまった。
今頃、梨樹ならば、独り暮らしのアパートで、それなりの物を食卓に並べているに違いない。
こんなに現場を梨樹に押さえられたら、喧しく注意されてしまいそうだ。
祐介はスープを食し終わると、コートを取って玄関へと歩いた。
今日は少し気分が良い。良く眠れたせいだろう。
部屋を出ると、彼の頭の中は、事件の事で一杯だった。
雪は夜明け前に止んだらしい。
道路の所々が白く盛り上がってはいるが、 大して積もらなかったようだ。
車の往来の激しい道などは、既に雪は溶け、道路脇に残った分は、泥と混じって茶色く変色していた。
祐介はふとそれを眺めてから、口元を歪めて、愛車に乗り込んだ。
彼はハンドルを切りながら、今日子の心の傷の事を思った。
今朝は、伏見署には集合しない。
各自の報告は昨晩済ませていたので、今日はこのまま、それぞれの捜査を開始する。
午後3時に伏見署の会議室に集まる予定になっていた。 

 

 

牧野正義は、警察の独身寮で暮らしていた。
今朝は寮のおばさんに頼んで、特別に早く朝食を済ませた。
被害者・小堺が勤めていた例の貿易会社『有限会社未来商事』の調査に入る。
松田梨樹は安心して彼にそれを任せ、再び被害者の足取り捜査に戻っている。
正義は、心当たりの情報屋に繋ぎを付ける事にした。
彼が歩けば歩く程、いろいろな情報が彼の元に集まった。
これが正義の『情報網』なのだ。
先輩刑事も一目を置いている。
彼の努力の 賜物である。彼はひたすら歩いて独自の情報網を確立したのだ。
正義の靴がひと月と持たないのも頷ける。
彼は午前中一杯、足を棒にして歩き回り、その結果、いくつかの信憑性のある情報を得る事が出来た。
正義は祐介や梨樹に報告する前に、出来るだけその裏付けを取りたいと思った。
彼が『未来商事』を訪れたのは、丁度昼休みの時間であった。
昨日、庶務課の星野に聞いた数人の社員に逢うつもりである。
しかし、彼の目的はそこではなく、社内の様子を探る事であった。
社内は昨日と変わらず、平静な動きだった。
正義は事情聴取を装いながら、お目当ての人物を探した。
だが、昼を食べに出ているのか、その人物の姿は見当たらない。
先程、さり気なく彼の座席の位置を確認しておいた。
全員の事情聴取を行なっている内に昼休みが終わって、席に戻って来るだろう。
正義は気長に待つ事にした。
やがて、始業のベルが鳴り、漸く社内は活気を取り戻した。
電話のベルの音が鳴り響き出し、話し声がガヤガヤと盛り上がる。
そんなざわめきの中で、正義はライターをカチカチと鳴らした。
火などは出る筈もない、マイクロフィルム内蔵のライターだった。
こうして、事情聴取を終えた出掛けに、彼は2人の男の姿を数枚ずつフィルムに収めた。  
 

 

− 第3部 (6) へ 続く −