DETECTIVE STORY

 

 

第3部 『 終着駅 』 (7)

 

 

栗原を連行する車の中で、2人の刑事は沈黙の内に同じ事を考えていた。
なぜ『イーグル』は自分達に大人しく従ったのだろう。
逆襲のチャンスを狙っているのかと、2人とも最後まで警戒を解かずにいたが、伏見署に到着するまで、何事も起こらなかった。
取り調べを開始してから、初めて『イーグル』こと栗原は口を開いた。
「俺が、あんた達の探していた男だ……」
何と、彼は自らスラスラと喋り出したのだ。
祐介と梨樹は思わず顔を見合わせた。
梨樹はそれから慌てて眼を落とし、調書の作成に掛かる。
「あんたら、俺がなぜ素直にくっ付いて来たのか、それを訊きたいようだな。答えてやろう………俺の兄貴は名うての殺し屋だった。ところが2年前、ホテルで寝入り端を襲われて、呆気なく殺られちまったんだ。油断していやがったんだな。まあ、こんな稼業をやっているんだ。いつ殺られても仕方があるまい……。しかし、兄貴には、報 酬先払いで引き受けた仕事があった……。そこで俺にお鉢が回って来た」
祐介は、彼が1人で喋るので、仕事が無くなってしまった。しかし、腕を組み、瞳を閉じて彼の話を聞いていた。
「おい!聞いているのか?!」
栗原が祐介を怒鳴り付ける。
「いいから、続けろっ!」
祐介はカッと眼を見開いて一喝すると、再び瞳を閉じた。
優男だと思っていた祐介の迫力のあるその様に、栗原は話を再開した。
「………俺はその頃、つまらねえチンピラだった。だが殺しの世界に足を突っ込んだ事はなかった。ところが殺しの依頼主に金を返すか、仕事を引き継ぐか、さもなくば生命で弁償するか……三者択一を迫られた。俺には選 択の余地は無かった。そして、『イーグル』の名を引き継いだって訳だ。そう、俺は二代目だ」
栗原は自嘲気味に低く笑った。
「後は解るだろう?……俺は、この世界に好き好んで入った訳ではなかった。いい加減、この世界から足を洗い たかったんだ。ある男を殺ってから、どうにも罪の意識に苛まれるようになってしまった……。依頼とは言え、俺 は自分の大切な友人をこの手で死なせたんだ。ズルズルとここまで来てしまった……この泥沼から脱するには 極刑を覚悟の上でパクられるのを待つしかなかったんだ。裏稼業に疲れたつまらん男の逃げって訳だな」
祐介は組んでいた腕を解いた。
「成程。お宅の事情は良く解った……で、ライフル担いでどこに行くつもりだったのか、そこの処を教えて欲しいな………」
梨樹も調書が一段落着いて、手を止めて顔を上げて注目した。
一瞬、間を置いて、栗原は喉の渇きを訴えた。
梨樹は祐介と目線を交わし、黙って席を立った。
彼と入れ違いに正義が外から戻って来た。
正義は物問いたげな眼で祐介を見、祐介も眼で何かを答えた。
正義は頷くと、向かい合って座る祐介と栗原の両方が見える位置に立ち、壁に寄り掛かって腕を組んだ。
やがて、梨樹がお茶を1つだけ持って来た。
栗原は一気にそれを飲み干すと、梨樹が席に着いてペンを持った処で再び口を開いた。
「役者が揃ったようだな………」
彼は取調室の鉄格子越しに見える、どんよりと曇った空を見て、それからゆっくりと眼を閉じた。
「……俺は、ある人物から電話で殺しを依頼された。その人物からは何度も仕事を請け負っているから、俺は電話だけでも引き受けていた。そして、今日、ライフルの射程距離をチェックする下見に向かう途中だった。その結果、明日依頼主に逢って詳細を決める事になっている」
「その、依頼主とは?」
祐介が訊く。梨樹も正義も、『イーグル』の次の言葉に全神経を集中させる。
「あんたらが聞いて喜ぶ人物だ」
「!!」
3人共、栗原の顔を凝視した。
「そう………『未来商事』専務・守口久雄だよ」
栗原は事もなげに言った。
「先日、小堺清二を殺ったのも俺だ。守口の依頼でな」
「守口が小堺を抹殺した訳は?やはりインターポールに指名手配されたからか?」
正義が初めて口を開いた。
「その通りだ。どうやら俺が話すまでもなさそうだな。そして、今度は秋野聡志を抹殺しようとしている………守口は、あんた達の捜査の手が自分の身に及ぶ前に、秋野を消して、全てを彼に擦り付ける腹だ」
「明日、逢うと言ってたな?時間と場所は?!」
梨樹が顔を上げて訊いた。
その時、取調室の扉がノックされ、梨樹の後輩刑事の中村猛が
「先輩!ちょっとすみません」
と梨樹を呼んだ。
梨樹は仕方なく、正義に調書を頼むと合図して、扉の外に出た。
「登山用品店の店長が面通しに来てくれました」
梨樹は頷いて、猛に続き刑事部屋に入る。
猛は自分の仕事があるらしく、ソファーでお茶を前にかしこまっていた店主と梨樹を引き合わせると、自席に戻って書き物を始めた。
室内に草野と黒部は見当たらない。
2人共、課長命令の捜査が多忙で、席を暖めている暇も無いのだろう。
それは2人の湯呑み茶碗が、使われずに吊り戸棚の中に仕舞ってある事から伺い知る事が出来る。
梨樹は店主と簡単に挨拶を交わし、早速面通しを依頼した。
取調室の隣の部屋に彼を通す。壁に小さな窓があり、取調室の中が見渡せるようになっている。
無論、向こう側から見れば、ただの鏡に過ぎない。
梨樹は小さな暗幕を開ける。
店主はしばし小窓から、祐介と向かい合う栗原を見ていたが、やがて梨樹の方に振り返り、
「刑事さん、間違いありません。ナイフを買ったのはあの人です」
と、自信に満ちた眼で語った。それは予想通りの結果だったが、梨樹は彼に充分な礼を言い、取調室に戻った。

 

 

栗原がAB型だと言うのは、調べが着いていた。
梨樹は一番気になっていた事柄を、栗原に訊き始めた。
「死んだ小堺清二の鞄から男の毛髪が1本発見された。血液鑑定の結果、ABO式血液型のAB型と判明した。
 お宅の髪の毛だと思ってもいいな?」
「その通りだ……俺とした事が、しくじったもんだ」
「中身はどうした?何かを持ち出した筈だ」
「ああ、マル秘メモをな。彼の裏の仕事の取引相手や、金の動きまで克明にメモしてあったよ」
「そいつはどうした?」
梨樹は気色ばんだ。
「守口の依頼で、奴の手に渡ってる。俺には大した意味は持たなかったしな。もう守口が焼くなり何なり処分しちまってるだろうよ」
「そうか……………」
梨樹が溜息混じりに呟いた時、祐介が立ち上がり、彼と正義を窓際に呼び寄せた。
この時、祐介が2人に何を話したのかはまだ明かす事は出来ないが、ただ、梨樹が心配そうな表情を見せた事は特筆に価するかも知れない。
祐介は、栗原の向かいの席に戻ると、机の上のメモ用紙にスラスラとペンを走らせ、引きちぎった。
「お宅に頼みがある。この紙に書いてある通りに、守口に電話をして欲しい」
栗原は、祐介のやらんとしている事を読み取って、
「そいつは構わんが、刑事さん、出来るのかね?」
「お前に余計な心配をして貰わんでもいい。俺もプロだ………いいから、さっさと電話しろっ!余分な事を言うんじゃないぞ!」
祐介は懐から拳銃を取り出し、撃鉄を起こす。
「解ってる。わかってるって!………それに、マグナム44じゃ、確かにプロに違いねぇや!」
………………梨樹が気が進まないながらも、自分の眼の前にある電話をコードを引きずって栗原のいる机まで移動させた。
栗原は受話器を手にした。
祐介は銃口を彼に向けたままだ。
彼はそんな祐介に苦笑してダイヤルをプッシュし始めた。

 

 

翌朝………大晦日の慌ただしさの中、なぜか貸切みたいにシンとしたレストランがある。
その奥まった席で、祐介は梨樹・正義と向き合っている。
2、3日前までの雪が嘘のように、外は晴れ上がっていた。
祐介は黒のスーツの上下に、黒っぽいサングラスを掛け、アタッシュケースを足元に置いている。
3人の前にはホットコーヒーが並び、梨樹だけがそれに口を着けていない。
「なあ。祐さん、本当にやる気か?」
梨樹は今なら止められるぞ、と言わんばかりだ。
「梨樹は暫く逢わない内に随分心配性になったものだな?」
祐介がサングラスの下からニヤッと笑った。
「お前、板に付いてるじゃないか。笑い方まで違うぞ」
正義が苦笑した。
「演技派、と言って下さい」
「そういや、お前も好きだな?この前はルポライターになったとか言う噂じゃないか」
「お前、本当に地獄耳だな?」
祐介と正義は、リラックスして笑っているが、梨樹だけはまだ不安を解消出来ずにいた。
祐介に、「おい、コーヒーが冷めるぞ」と言われて、初めてコーヒーにミルクを入れて掻き混ぜた。
「今日は大晦日だし、これで急転直下事件解決と行けばいいんだが………そうは行くまいな」
正義が呟いた。
「ああ……今年中にけりをつけたかったな。今日子さんの為にも。直接御主人を殺した人間は捕えたが…守口と秋野をパクらない事には、彼女にとっても、俺達にとっても、この事件は終わらない………」
祐介は何気なく腕時計に眼を落としながら言った。
「さてと」
と、彼は伝票を掴み、立ち上がった。
「そろそろ時間だ。行って来るよ」
「くれぐれも気を付けろよ」
正義が眉を顰めながら声を掛ける。
平静を装っていながらも、正義もまた人一倍、祐介の事を心配していたのだ、と梨樹は思った。
祐介がまだ、限りなく病身に近いのだと言う事もある。
が、それでなくとも彼がこれからやろうとしている事は、危険で一杯なのであった。
「じゃ、な。ここは俺に奢らせてくれ。いろいろ心配掛けたし、な」
軽く手を振り、祐介は会計を済ませて自動扉の向こうに消えた。
「さあ、梨樹。俺達も行くとしよう。祐介と違って顔を知られているから、充分慎重にな」
「オーライ!」
梨樹は正義から覆面パトカーのキーを受け取り、その運転席に座った。正義は助手席だ。
祐介の最初の行き先は解っている。
道が込んで来たので、梨樹は脇道に逸れた。
彼は自分の担当管内に付いては、裏道まで知り尽くしていた。
多分、先に出て表通りを走っている祐介よりも早く目的地に到着するだろう。
10分後、梨樹達の車は某国際ホテルに到着した。2、3分遅れて祐介の車が着いた。
祐介は車の中で彼の到着を待っていた2人に、発信機になっているネクタイピンを通して言った。
「近道があるなら、教えてくれよな!ケチ!!……感度は良好かい?」
梨樹はこれに答えて、右手でOKの合図をした。
当然ながら、発信機は祐介からの一方通行なのだ。
祐介は頷くと、アタッシュケースを手に車を降りて、ホテル正面玄関へと歩き出した。
ここのロビーで午前10時の約束になっている。
今、その5分前だ。祐介はサングラスを人差し指で押し上げて、ゆっくりとロビーのソファーに向かった。
もう既に芝居の幕は切って落とされている。
隅の方にあるソファーに彼はスッと座り、長い足を組んだ。
ここで『アメリカ帰りのキザ』に徹するには、舶来の煙草の1本も燻らせなければならないのだが、肺を傷めている彼には出来ない相談だ。
祐介がそんな事を考えていた時、眼の前に人影が立った。
祐介はハッと相手の顔を見るが、守口ではなく、ホテルの従業員がそこにいた。
「恐れ入りますが、風間様でいらっしゃいますか?」
「はい………」
祐介が頷くと、従業員はホッとしたように言った。
「当ホテルの最上階にありますスカイラウンジにお席が設けてありますので、そちらにご案内するようにとある方より承っております。どうぞ、こちらへ。ご案内申し上げます」
祐介は立ち上がって、促されるままに続いた。
エレベーターで最上階へ向かう。
「スカイラウンジは360度硝子張りになっている展望レストランでございます。お食事と景色をごゆっくりとご堪能下さいませ」
従業員はマニュアル通りの言葉で、祐介を誘う。
エレベーターを降りると、ロココ調の調度品と、『スカイラウンジ』の洒落たロゴが彼を出迎えた。
「お待たせ致しました。あちらの奥のお客様でございます。それでは、私はこれで失礼させて戴きます。ごゆっくりなさいませ」
祐介は彼にチップをやってから、彼が手で示した男の方へとゆっくりと歩み寄って行く。
男はこちらに背を向けて座っており、奇妙な程、動かない。
祐介は男の真後ろで、ピタリと足音を止めた。
「風間祐司さんかい?」
「そう、だが………同席してもいいか?」
「勿論だ。お待ちしていましたよ」
男は振り向かずに答えた。

 

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