DETECTIVE STORY

 

 

第3部 『 終着駅 』 (8)

 

 

祐介は黙って、男の向かいの席に座った。
男は、確かに守口だった。
「いらっしゃいませ」
ウェイターがメニューと水を持って来た。
「私と同じ物を……」
守口は勝手にオーダーした。彼の前には、食べ散らかした洋食の朝食セットが並んでいる。
祐介は朝食を摂っていなかったが、食欲を失っている。少しそれを見てげっそりした。
彼は怖気づいている訳ではない。退院してからこっち、ずっと食欲が戻っていなかったのだ。
特に朝食は身体が受け付けない。
ウェイターが去ると、守口は午前中だと言うのにワインで唇を湿らせてから開口一番、
「『イーグル』の紹介だから信用したんだが、本当に大丈夫だろうね?」
と言った。
「まあ、確かに………初対面で信じろと言うのは無理かも知れん。だが、結果を見て貰えば俺の腕を認めて貰えると思うが?」
「……それは、『イーグル』も昨日の電話で言っていたがな」
「それでも、信じて貰えないか?」
「まあ、いい。ところで『イーグル』の急用とは何だね?」
守口は上目遣いに祐介を見た。
「さあな……俺も急に代役を頼まれたんでね。詳しい事は訊いていないな。急に年末年始休暇でも欲しくなったんじゃないのか?日本人は良く働くな。あんたも忙しそうだ。俺はクリスマス休暇から続いて、ゆっくり遊びたいものだがね。まさか、こんなに急に仕事が入るとはな。帰国を急いで損をしたぜ」
「まあ、そうぼやくな。あんた相当アメリカにかぶれて帰って来たようだが……何故アメリカに渡ったんだい?」
守口は祐介に興味を持ち始めたようだ。
事は順調に進んでいる。だが、祐介は気を許さない。
「日本で荒稼ぎしてやばくなったからさ。『イーグル』がそろそろ大丈夫だろう、と知らせてくれたんで、帰って来た訳だ。勿論、向こうでもしっかりマイペースで仕事をしていた」
「そうか。それでは、ブランクは無い訳だね?」
「勿論。それで無ければ『イーグル』だって、俺を代役に立てたりはすまい?」
「ハッハッハッハッ……尤もだ。さて、そろそろ本題に入りたいのだが」
「…………………………」
祐介は無言で頷いた。
「『イーグル』から聞いていると思うが……殺るのは秋野聡志、この男だ」
守口は秋野の写真を、テーブルの上を滑らせて祐介の方に寄越した。
黙ってそれを受け取り、じっと写真を眺める。
「期限は?」
努めて冷たい声を絞り出す。
「今日中に、殺って貰いたい」
「今から下調べをしないと間に合わんな。まあ、俺のライフルの射程距離なら、大概は大丈夫だが。それとも、至近距離からマグナムでズドン!と行くか?」
「そのどちらも準備だけはしておいて貰いたい。確実に殺って貰わねばならない」
「このマグナムは80mの射程距離まで大丈夫だ。威力の方もご存知の通り。それに俺の射撃の腕は信用して 貰っていい」
「フン、それは……期待しておくとしよう」
そこに、守口がオーダーした物をウェイターが運んで来たので、話は一時中断した。
ウェイターは伝票を裏返しにテーブルに置くと、一礼して下がった。
「………今日、6時半から新宿東口の『和楽』で、我が『未来商事』の忘年会がある」
「日本人は休暇の時も仕事仲間と付き合わねばならんのか?今日は大晦日だぞ」
祐介はすっかり『アメリカ帰り』になり切っていた。
「まあな……。海外出張から全員が戻るのを待っているとそうなるのさ」
守口は苦笑して、
「秋野をバラした後、三大新聞社に電話をして犯行声明を流して欲しい」
「俺は殺し屋だ!過激派ではないっ!!」
祐介は押し殺した声で凄んだ。
「サツの眼を眩ます為だ」
「………仕方がない。それで、内容は?」
「『我々はヨーロッパのある宝石愛好集団である。我々は秋野聡志及び小堺清二の両名により、偽物を掴まさ れ、莫大なる損害を受けた。よってこれを制裁した』とな。英語で構わんよ」
祐介は込み上げて来る笑いを堪えて、不敵に呟く。
「成程ね。そう言う訳か……」
………この時、ホテルの近くの路上に停めた覆面パトカーの中では、これを傍受した梨樹が極上の笑顔を正義に向けていた。
正義も答えて頷き返す。
これらの会話を2人が録音していない訳は無かった。
「祐さん、上手い事守口を信用させた上に、核心の部分を喋らせてくれたな」
梨樹はこの計画に気が進まなかった事も忘れて言った。
「本当にあいつは役者だな。どんな顔をしてやっているのか見たいものだ」
正義がそう言いながら、ホテルの最上階を見上げた。
祐介は更に少しでも多くの話を訊き出そうと試みる。
「……本当はあんたがその黒幕って訳だな。それを秋野と小堺に擦り付けて、あんたはトンズラするのか」
「殺し屋は仕事だけしっかりこなせばいい。余計な詮索は無用だ」
「……そうかな?もしかしたら俺も巻き込まれるかも知れない。危険を冒すからには少しは知る権利もあると思うが」
「フ、フン……私はお前さんが思っている通りの人間さ。だが、お前さんが私の事をどこかにバラす事があれば、その時は私も然るべく所にお宅の事を通報するから覚えておくように」
「お互いに……『危険な存在』であるが故に、相手の足を引っ張れないって寸法だな」
「その通り……なかなか物わかりの良い若者のようだ」
守口と祐介の話し合いで、狙撃は秋野が『和楽』に入る瞬間、と言う事になった。
向かいの10階建てのビルの屋上からだ。
祐介の射撃の腕なら、余裕にこなせる距離だ。
だが、射殺する訳には行かないのだ………
何とか間を持たせて時間を稼ぎ、秋野を『和楽』に入らせてしまわなければならない。
それも守口に気取られずに、だ。
そこで祐介は、万一人出が多くて店の前で射殺するのが不可能な場合、宴会の席に何らかの方法で潜入して拳銃で射殺する……と言う案を付け加えて、守口にも納得させるのであった。

 

 

さて、梨樹と正義は時間までに、秋野を探し出し、付かず離れず、彼の身の安全を守ってやらねばならなかった。
だが、彼は容易には見付からなかった。
情報屋を何人も当たって、とある麻雀屋に居るのを突き止めたのは、忘年会が始まる2時間前の事だった。
やがて秋野は妻と別居中の殺伐としたマンションに戻り、背広に着替えて出直した。
2人の追尾が開始される。
同じ頃、祐介は『和楽』の向かい側のビルの屋上に立っていた。
ライフルのスコープ部分を眼に当て、『和楽』の入口付近を探る。
祐介は肩越しに振り向いて、後ろに立つ守口に話し掛ける。
「人通りが激し過ぎる。ここからの狙撃は無理だ」
「ライフルの腕には自信があるんじゃなかったのかね?」
「秋野の射殺は勿論可能だ。他に犠牲者を出しても良いと言うならな。俺は依頼された奴は必ず仕留めるが、関係の無い奴らまで巻き添えにするのは嫌いでね」
「…………………………」
「とにかく準備だけは万端に整えておくから、心配無用。ここで殺れなくても、中で必ず仕留める!」
祐介はアタッシュケースの中にバラバラに収まっているライフルのパーツを手慣れた様子で組み立て始めた。
この辺の祐介と守口の会話は、勿論ネクタイピンを通して、梨樹と正義の耳に入っている。
だから、祐介はなるべく彼らに現在の状況を伝えるべく、極力、守口と言葉を交わすようにしていた。
ライフルはすぐに組み上がった。
「あんたはそろそろ行った方がいいだろう」
やがて祐介は守口を促した。
彼の時計は17時55分を差していた。
「頼んだぞ」
守口はうっそりと屋上を出て行った。
祐介は守口が『和楽』の客となったのを、ライフルのスコープから見届けると、手早くライフルの解体を始めながら、ネクタイピンに一方通行で話し掛けた。
「こちら風見。今、守口が『和楽』に入った。聞いての通り、俺は狙撃はしない。予定通りの筋書きで行くから、そ ちらの準備を宜しく!」
祐介は解体したパーツをケースに仕舞うと、スコープ部分だけを眼に当て、『和楽』の入口を見張る。

 

 

やがて、秋野が乗ったタクシーが到着し、彼は何事も無く従業員の歓迎の声に呑まれて行った。
祐介はそれを確認すると、アタッシュケースを片手にエレベーターに飛び乗った。
下まで降りると、梨樹が小型ラジカセを持って待っていた。
「祐さん!バッチリだぜ」
祐介は一瞬だけ表情を崩し、微笑み返すとすぐに真顔に戻った。
「正義は?」
「裏口に回ってる」
祐介は満足そうに頷いた。
「役者も小道具も揃ったな」
梨樹はそう言うと、小型トランシーバーを手にした。
「こっちはOKだ。そちらは?」
『いつでもどうぞ!』
自信溢れる正義の返事が返って来た。
梨樹は祐介と頷き交わして、
「今から突っ込むぜ!」
と再びトランシーバーに向かって叫んだ。
『了解!!』
と正義の声がするかしないかの内に、2人は驚く『和楽』の従業員に警察手帳を見せ付けながら、中に進んで行った。
宴会場では、守口久雄が専務としてつまらない演説をぶっている最中であった。
祐介がいきなり、襖をバン!と勢い良く開けた。
シンとしていた部屋がざわめく。
守口は随分と派手に、また堂々と来た物だな、と祐介を見てニヤリと笑った。
だが、祐介は秋野に拳銃を突き付けには行かず、守口の方へとぐいぐい歩み寄る。
彼は守口の鼻先に小型ラジカセを突き出した。
先程のスカイレストランでの守口の言葉が、最大音量で流され、その場にいた誰もが驚愕した。
そして、守口は立ち尽くしている………
我に返ると守口は叫んだ。
「何だこれは?!知らん!……これは私の声ではないっ!!………貴様、一体何者だっ?!」
「うろたえてももう遅いんです。守口さん………」
祐介はゆっくりとサングラスを外し、スーツの胸ポケットに差した。そして、内ポケットから警察手帳を取り出す。
「ヒッ!」
守口は悲鳴とも付かぬ奇声を上げて、祐介が入って来たのとは反対側の襖から逃げようとした。
が、そこには正義が行く手を阻んで立っていた。
「守口久雄、殺人教唆で逮捕する!……後で、もっと増えるだろうから、今から覚悟しておくといい」
正義は守口の手首に手錠を噛ませながら言った。
その間に祐介より遅れて座敷に飛び込んだ梨樹が、秋野に手錠を掛けていた。
勿論、この2人には正規の手続きにより、逮捕状が出ていた。
12月31日午後6時43分。事件は無事に解決を見た………

 

 

簡単な取り調べを終え、三原署に顔を出してから、祐介が帰途に着く頃には、また粉雪が舞い始めていた。
今年はやけに雪が多い………
異常気象かも知れない。
祐介が自宅に辿り付くのを待っていたかのように、雪は強く降り出した。
(今朝はあんなにいい天気だったんだがな……)
祐介は真っ暗闇の中、灯りも点けずに窓硝子の向こうを舞う雪を眺めていた。
今年も後15分程で消えて行く。
どこからか除夜の鐘が聴こえて来る。
年が明けて2月には、祐介は27歳の誕生日を迎える。
「俺は来年…27歳で、この短い生涯を終えるのか……?」
祐介は小さく、そして弱々しく呟いた。
もうすぐ……彼にとって、『運命の年』が訪れる。
後、数分で………………
年が明け、3人の刑事は守口、そして秋野の取調べで何度か顔を合わせた。
そして、新年会を兼ねて、この事件の打ち上げがおばさんの店で行なわれた。
祐介はかなり具合も良い様子で、おばさんが好きな笑顔を何度となく見せた。
だが………梨樹も、正義も、おばさんも……祐介の笑顔の裏で、彼の身体に何が起こっているのかを知らない。

 

 

これを最後に、祐介は2度とこの店には現われず、梨樹や正義と顔を合わす事も無かった。  

 

  さらさらと

    舞い落つ 雪の

       儚さに……

 

          明日の我が身を

            重ぬるは寂し……

 

              − 風見祐介 −

 

 

− 第3部 終わり −