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DETECTIVE STORY

 

 

第4部 『 黄昏迄 』 (2)

 

 

宮本医師は、沈痛な面持ちで沢木に電話を掛けていた。
祐介は強力な鎮痛剤と止血剤を投与され、点滴を受けながら、彼の脇のベッドに眠っている。
「………とうとうその時が来たようだ。レントゲン写真で見ても、左肺の病巣はひどく蝕まれている。内出血の状態 もかなりひどい………待合室で喀血して倒れ、処置室に担ぎ込まれた。本人は黙っているが、既に相当血を吐いた筈だ。合併症の危険があるので、輸血は控えている。抵抗力もかなり弱まっているし、危険な状態だ……そうか、知らなかったか?……だろうな。風見君らしい。みんなに知られたくなくて……必死の思いで耐えていたんだろう。後は、彼の精神力の問題だが………もう、長くは無い事を覚悟して置いてくれ。私もこんな事は言いたくない。だが、尽くせるだけの手は尽くして来たつもりだ。これ以上、どうにもならんっ!………おいおい、お前さんが気を落としちゃ行かんぞ。解ってるな?………ああ、そうだ。しっかりしろ!」
沢木を力付けてから受話器を置くと、宮本は蒼白な祐介の顔を静かに見詰めた。
彼はまだ27歳の若さだ。
こんな残酷な事があっても良いのか?!
宮本が哀しみと悔しさで口元を歪めた時、祐介が弱々しく眼を開いた。
「先生……?」
「ん?どうだ、気分は?」
「ええ……大分、いいです…」
祐介は半身を起こそうとする。
「おっと、まだ横になっている方がいい」
「すみません、俺………」
「待合室で大量に血を吐いて倒れた。なぜ黙っていた?」
宮本の訊き方は決して彼を責めるような物ではなく、優しい口調だった。
「すみ、ません。黙って、いた…事は、申し訳なく思います………ですが、先生、まさか、もう帰さない、なんて…言うんじゃ、ない、でしょうね?」
「そう言った処で、素直に従う患者かね、君は?……様子を見てタクシーを呼んで上げるから、安心しなさい」
「………すみません、先生。我儘、ばかり言って………」
祐介がしおらしい事を言い始めた。
「何だい、急に………風見君らしくもない」
「もう、このまま逢えないような気が、して………」
宮本は胸が痛くなった。大声で叫び出したい気分になっていた。
張り裂けそうに泣いている胸が、壊れそうだった。
宮本はギリギリの処で、何とか自分自身を保った。
「逢わないで済むなら逢わん方がいいんじゃないか?デカと医者なんて」
「そうかも、知れません………」
小さく呟いて、祐介はゆっくりと瞼を閉じる。
「先生……こうしていると、いろんな物が……見えて来るんです。27年生きた証しとして………沢山の思い出 が……走馬灯のように蘇るって、本当なんですね………………」
宮本はその言葉に一瞬ドキリとしたが、祐介はそれを見抜いたのか、
「大丈夫、です……まだ、死んだりは、しませんよ………」
「馬鹿だなあ。何を言うんだ。ここまで闘って来たんじゃないか!勝ってやれっ!生き抜け!!」
祐介は弱々しくはあったが、しっかりと宮本医師の眼を見詰め返して頷いた。
彼は宮本が用意してくれると言ったタクシーを、署に寄りたいから、と断り、刑事部屋に顔を出した。
三原署は警察病院の隣に位置している。
もしかしたら……明日の朝には自分は死んでいて、2度とここには来れないかも知れない………
その思いが彼の足を此処に向けた。
彼は何もしなくても、そこにいるだけで良かったのだ。
沢木部長刑事には、それが痛い程良く解っていた。
祐介は別れを惜しみに来ているのだと………
だから、何も言わずに彼をそっとして置くのだった。

 

 

祐介は昨日から愛車を署に置いていたが、今日も乗らずに帰る。
後でそれに気付いた原は、不審に思った。
彼は、祐介がここに来たのは、当然車を取りに来たのだと思っていたからだ。
勿論、祐介の身体が、それ程までに弱っている事を、原は知る由も無かった。
祐介は元気な風を装って署を出ると、急に気だるそうになった。
近くのバス停までゆっくりと歩く。
時刻は夕方だが、バス停には数人が並んでいるだけだ。しかし、ベンチに座れるだけのスペースは無い。
彼にはバス停で並んでいる事さえもが苦痛だった。
だが、あと5分でバスはやって来る。タクシーを探すよりは、早そうだ。
彼が時計を見てそれを確認した時、前方から長い巻き毛を地味なリボンで結んで背中に垂らした女性が歩いて来るのが見えた。
彼女は祐介を見付けると、表情を明るくした。逆に祐介はうろたえる。
今日は日勤だったのだろう。勤め帰りの沢木瞳であった。
彼女の勤め先は宮本医師のいる警察病院だ。
祐介も先程までそこにいたのだが、無論、彼女はそれを知らない。
祐介は声を掛けるのを戸惑ったが、無視する訳にも行かず、
「お疲れ!今、帰り?」
と元気を奮い立たせて話し掛けた。
祐介は小児科専攻とは言え、研修医である瞳に、自分の身体の事に気付かれたくなかった。
必死に微笑みを浮かべて見せた。
「ええ。風見さんは今日はお休みですか?珍しくラフな服装をしてるけど」
さすが、女性は見る所が違う物だと、祐介はこの場合には似つかわしくない事に感心した。
仕事の時はいつもスーツだが、今日の彼は鮮やかなブルーのポロシャツの上に洒落た茶系のブルゾンを着て、長い足をスリムな色の濃いジーンズで包んでいた。
「ああ……ちょっと野暮用で署に顔を出したんだ」
三原署と警察病院は隣り合わせなので、こうしてバス停が一緒になる。
「折角のお休みなのに……」
瞳が言った処で、バスがやって来た。
瞳は7つ目のバス停、祐介は9つ目のバス停で降りる予定だった。
「仕事の方は順調?」
祐介はなるべく短い言葉で会話をするようにした。
バスの中では横に長いシートに空席があったので、座る事が出来たのだが、それでも、酷く眩暈がしていた。
「ええ、来年の春には独り立ち出来そうです」
瞳はキラキラと輝いていた。清楚な紺のブレザーとグレーのタイトスカート。真っ白なブラウス。
そんな何の変哲もないファッションがしっくり来て、美しい。
祐介にはとても眩しかった。自分が失った物をまだ彼女は持っている。
彼女は今、仕事が波に乗っていて、精神的にとても充実しているのだ。
「……そう。それは良かった。おめでとう」
祐介は静かに祝福した。心から彼女の為に喜んだ。
これで良かった………。祐介はそう思った。
この処、なるべく彼女を遠ざけるようにしていた。研修に集中させる為に。
そして、自分亡き後、なるべく早く彼女が立ち直れるように……
それは祐介にとっては辛い選択だった。
でも、長くは生きられない自分が彼女にしてやれる事は、それ位しか無かった。
愛している。手を伸ばせば届く位置に彼女はいる。
だけど………………
祐介は眼を閉じた。自分の視線の中から彼女を消して、少し気持ちを落ち着けたかった。
テープの単調なアナウンスが3つ目の停車場の名前を告げた。
ブザーが鳴り、中年の恰幅の良い男が週刊誌を畳んで立ち上がって、中央の降車口の方へとゆっくりと歩いた。
やがてバスが停まり、降車口がブザーと共に開かれた。
バス停には誰も待っておらず、乗車口は閉められたままだ。
多分、数分の差で他のバスに全部客を持って行かれたのだろう。それが、後で不幸中の幸いになる。
バタバタと足音が近付いて来た。運転手は乗車口を開けようとスイッチに手を掛けた。
その時、降車口から1歩足を踏み出した中年客は、バサッと週刊誌を取り落とし、押し戻されるようにしてバスの中に後戻りした。
祐介は不審に思ったが、既に遅かった。
ライフルを持った男が中年客を威嚇しながら、一気に運転席の方へ進む。
キャーッ!と悲鳴が上がるのを掻き分けて、運転手にライフルを突き付けると、男は太く冷たい声で、
「出せっ!」
と命じた。
取り敢えず、運転手は降車口の扉を閉め、慎重にアクセルを踏み入れる。
犯人は大き目のボストンバッグを重そうに抱えていたが、前方の空席にそれを投げ出すように置いて、一息衝いた。
その間、運転手や乗客をライフルで威嚇するのを忘れない。
祐介は刑事の勘で、本能的に男が何をして来たかを見抜いていた。
犯人の若い男は、成田空港までぶっ飛ばせ!と叫んでいる。
(高飛びか……あのボストンバッグの感じからみて、5千万は下らないぞ……)
何とかしなければ……気ばかり焦るが、どうする事も出来ない。
今はその機では無いのだ。
しかし、祐介の容態は、また小康状態を保てなくなって来ていた。
脂汗がこめかみから伝わって流れ、眼が霞み始めていた。
犯人の像がなかなか焦点を結ばない。
祐介はこんな自分の身体を呪う事すら出来ない程、苦痛に耐えるのに精一杯であった。
瞳は祐介の異常に気付き始めていた。
顔面蒼白で、いつもの彼から醸し出されている気迫みたいな物が、まるで感じられず、何か弱々しい感じさえする。
何かひたすら苦しみに耐えているような………祐介の姿が、儚い壊れ物のように、彼女の眼には映った。
(風見さん!どうしたの?……どこか悪いの?)
瞳は祐介に声を掛けたいが、犯人に口を利く事を禁じられていて、それが出来ない。
彼女はいつ頃からか、4つ年上の祐介を愛するようになっていた………祐介はその思いを知りながらも気付かぬ振りを続けて来た。
そう、彼は自分がもう長くはない事を知っていたから。
彼女はまだ若い。自分を愛すれば愛する程、自分が死んだ時の痛手は深くなるだろう。
そして、いつまでも心で祐介を追い続け、新しい恋を見つけようとしなくなるだろう。
瞳を愛しているが故に、彼女にそんな思いをさせたくは無かった。
……瞳は、何時までも隣の祐介の横顔を気にし続けている。

  

− 第4部 (3) へ 続く −