DETECTIVE STORY

 

 

第4部 『 黄昏迄 』 (3)

 

 

バスの運転手は、銃を突き付けられ、犯人の言うままにバスを操る。
祐介はかなりぐったりとなっていたが、霞む視界の中、男を見据え、考えを巡らせていた。
(今の俺に、奴を捕える力は残っていない……何とか、外に連絡を取らなくては……)
込み上げて来る血を堪えて、必死に耐え忍ぶ彼は、完全に血の気を失ってしまっている。
既に突き上げるような激痛が彼の全身に襲い掛かっていた。
(くっ……今、ここで倒れる訳には………行か、な……)
祐介はうめき声を洩らさないようにひたすら耐えていたが、ついに堪え切れず………
唇から鮮血が迸ってしまった。
「風見さんっ!!」
瞳は思わず叫んでしまった。
犯人がギョロッと睨んだのも気に止めない。
彼女は一瞬にして、祐介が胸を悪くしているのだと言う事を悟る。
(まさか、あの時の?1年前のあの怪我が元で?!……そんな………)
目の前が真っ暗になった。
それから、ハッとしてバスのシートに祐介を横たえさせ、自分の膝に頭を乗せてやる。
「しっかりして!風見さんっ!!」
彼女の声にも祐介は反応しない。意識が朦朧としているようだ。
犯人の方に振り向くと、彼女は叫んだ。
「止めて!止めて下さいっ!!早く病院へ連れて行かないとっ!」
「何だと?そんな事を俺が承知すると思っているのか?!」
「早く手当てしないと生命が危ないわ!」
「止める訳には行かん!成田に着いたら全員降ろしてやるっ!」
「一刻を争うんですっ!」
瞳は声を高くした。必死である。
祐介の容態は良くない。かなり危険な状態だ。
このまま放置しておく訳には行かなかった。
「くどいぞ!女!!死にたいのか?俺はもう1人殺してるんだぞ!1人だろうが2人だろうが同じ事だ………況してや病人に情けなど掛けていられるかっ?!」
「では、せめて……せめて氷を…!」
「氷だぁ?!」
男は眼を剥いた。
「何もしないよりはマシです!患部を冷やすんです!!」
「黙れっ!俺には関係無いっ!!」
彼はぐったりしている祐介にライフルを向け、
「女っ!これ以上生意気な口を利くと、こいつの生命が無いぞっ!!」
と叫んだ。
瞳は本能的に愛する者を身体で庇おうとした。
「殺すなら私を殺して頂戴………彼だけは死んでも殺させないわ………」
祐介はその時、弱々しく眼を開いた。
喘ぎながら、消え入るような声を搾り出す。
「ありが、とう……でも、俺は…君に、生命賭けで…守って、貰えるような、男、じゃない……俺は、もう、長くは、ない、んだ。ここで、死んでも…本望さ。でも、君は…違う。生き…てくれ。君には、未来が…ある、のだか…ら………」
「嫌っ!嫌よっ!!貴方が死んでしまうなんて!」
瞳は我を忘れて叫んだ。
「許して、くれ……俺、は………」
祐介は弱った身体で、必死に瞳に話し掛けた。
「お願い!もう何も言わないで……身体に障るわ」
瞳は流れる涙を拭おうともせず、ただ祐介を抱き締めた。
犯人の男は、それを見ると祐介を撃つ事が出来なくなってしまった。
「ケッ!幸せ者め。畜生!今度何かあったら、てめえらからぶっ殺してやるっ!!」
と怒鳴り散らして、1発威嚇の意味を込めて発砲する。
弾丸は後部のフロントガラスを突き抜けた。
キャーっ!と悲鳴が起こる。
「日よけを降ろせっ!」
犯人の命令で、数人の客が立ち上がり、日よけを片っ端から降ろした。
車内は急に薄暗くなる。
祐介は辛うじて意識だけを持ちこたえている。
だが眼は空ろで、気を抜けば意識はどこかに攫われてしまいそうだ。
(警察は……デカ長は……銀行強盗についてはもう動いている筈だ……今の発砲で何とか気付いてくれれば………)
祐介の思惑通り、10分後にはパトカーのサイレンがバスを追って来た。
「くそっ!……貴様ら余計な事をするんじゃないぞ!!」
粋がってライフルを高々と掲げ、乗客を脅す。
パトカーの数は次第に増えている様子である。
運転手は犯人の指示で、更地になっているマンションの建設予定地へバスを乗り入れた。
犯人は声を張り上げて叫ぶ。
「いいか、サツよ!良く聴けっ!!」 
※サツ … 警察を表わす隠語
不敵にも要求を突き付けようと言うのか………
沢木は、部下を引き連れ、ここに来ている。
そして、盾を持った警官隊も多数集まっていた。
銀行強盗が追い詰められて、バスジャッカーと化したのを目撃していた人がいて、彼らはそのバスを探していたのだ。
いつしか陽は落ちて、空は薄暗くなっている。
「人質の中には、すぐに治療が必要な病人もいるんだ!!俺の要求を受け入れなければ、サツがその男を殺す事になるんだぞっ!」
沢木は『病人』と言う言葉が気になって仕方が無かった。
「まだ、乗客の身元は解らんのか?」
少しイライラしながら、早瀬に訊ねる。
「乗合バスと言うのは不都合な物で、家族がこのバスに乗っている可能性があると申し出て来た人は10数名いますが、まだ確認は取れていません。ホシもそこを狙ったんでしょうかね?」
沢木部長刑事は、自ら覆面パトカーの無線を取り、本署の藤谷徹課長を呼び出した。
「沢木です。至急風見に連絡を取って下さい………いえ、ここに来させる必要はありません。家に戻っているのを確認出来ればいいんです」
沢木はジャックされたバスのコースと時間が、祐介が署を出た時刻から考え合わせて、ほぼ一致するので危惧していた。
藤谷からはすぐに返事が来た。
案の定、祐介には連絡が付かないと言う事だ。
犯人の言葉は続いている。
「………成田で特別機をチャーターしろっ!夜明けまで待つ!陽が昇ったら、1人ずつ乗客を射殺するっ!!」
「待て!それまでに手配するのは無理だ!!」
沢木が拡声器で怒鳴ったが、犯人からの応答は無かった。
祐介の容態は漸く小康を保って来た。
しかし、身体に爆弾を背負っているような物だ。
(こんな所で……死ねるものか!)
意志の力で、今にも崩壊しそうな身体を支えている。
瞳は、そんな彼を哀しげな眼で見守る。
彼女は張り裂けそうな思いに苛まれていた。
(兄さん……早く何とかして!今は小康状態だけど………このままでは風見さんが段々衰弱して行く…!)
心の中で、外にいるらしい兄に救いを求める事以外になす術もなく、彼女はひたすら祐介が無事に救出される事を祈った。
他の乗客達にも疲れが見え始める。手を取り合って震える老夫婦の姿が祐介のぼやけた視線の先にある。
祐介は苦しい呼吸の下から、声を絞り出した。
「せめて……このご老人達だけでもいい……解放、してやって、くれ、ないか…」
祐介は自らがこんな極限状態にありながらも、この老夫婦の姿を黙って見てはいられなかったのである。
「なにっ!?」
犯人はズカズカと歩み寄って来て、いきなり祐介の胸倉を掴み、彼を力任せに殴り飛ばした。
瞳が庇う隙も無かった。
次の瞬間、祐介は数メートル飛ばされていた。
平静ならやられたままではいない筈の祐介は、病身の故に、されるがままになっていた。
彼の身体に今の殴打1発は効き過ぎた。
唇から血を噴き出すようにして、バスの床に倒れ込んだ。
血飛沫が顔を染め、意識も朦朧として、視界は完全なる闇と化した。
「余計なお世話と言うのは、そう言うのを言うんだよ!冥土の土産に覚えて行きな!」
捨て台詞を吐いて、男は前方の空席に足を投げ出して座った。
「風見さん!しっかりして!!」
瞳は祐介を抱き起こした。が、彼の反応は全く無い。彼女の顔が哀しみに歪む。
だが頚動脈に触れると、まだ脈はある。
老夫婦は瞳に手を貸し、祐介をシートに寝かせようとした。
「俺がやりますよ」
筋肉質の肉体を持つ体育会系の若い男性客が、白いポロシャツを祐介の吐いた血で染めながら、彼を軽々と抱き上げてシートに横たえさせてくれた。
老夫は涙ぐんで、
「すまないね。わしらの為に……」
と祐介の耳元で囁いた。
が、祐介の耳には届いていないようだ。
瞳は静かに彼の口元の血を拭ってやる。
白いガーゼのハンカチは瞬く間に鮮血に染まって行った。
このまま彼が逝ってしまったら………私も生きてはいられない。
悲壮な思いが彼女の心を支配した。

 

   − 第4部 (4) へ 続く −