DETECTIVE STORY

 

 

第4部 『 黄昏迄 』 (4)

 

 

祐介にも、さっきの声が沢木だと解っていた。
何か手掛かりを伝えたい………はっきりしない意識の中で、彼は考えを巡らせる。
犯人の男はハイライトをしきりに吸う。イライラしているのだろう。
忽ち空になった空箱を丸めて床に放り投げた。
瞳が座っているシートのすぐ横にある1人掛けの椅子の足元付近に、それは転がった。
祐介は弱々しい眼で瞳に合図をし、彼女はその空箱を拾った。
ハンカチは先程、血に塗れてしまったので使えない。
瞳はなるべく自分の指紋が付かないように気を付けた。祐介の意図が読めたからだ。
祐介はさらに、犯人は悟られないように、静かに瞳に囁いた。
「メモ帳を…持って、いるかい?……犯人の…死角で、中の状況、を……書くんだ。外には、デカ長が、いる。
 何とか……中の様子を書いて……この、空箱と一緒に……」
窓から放り出してくれ、と言いたかったのだが、そこで祐介は突き上げて来る痛みで、苦しげに顔を歪めた。
喋る事は既にかなりの苦痛になっている。
何とか必死に声を絞り出すが、途切れ途切れになってしまう。
瞳は、解ったからこれ以上何も言わないで、と眼で彼に訴えた。
そして、祐介の指示通りの事を機敏に実行する。
………どうやら、それは無事に警察の手に渡ったようだ。
警官からそれを受け取った原は、裏表紙を開いて持ち主を確認すると、悲痛な表情になった。沢木に手渡しながら報告する。
「デカ長!それは瞳ちゃんのメモ帳です」
沢木は頷き、手帳を開いた。丁寧に予定が書き込まれている。
あるページで沢木の手が止まった。
それは、数ページに渡って走り書きされていた。
『兄さん、私はこれを風見さんの指示で書いています。人質は全部で11人。一組の老夫婦が含まれています。子供はいません。風見さんが血を吐いて倒れました。容態はかなり悪く、時々意識が無く なります。ここでは応急手当も出来ません。このままでは本当に生命が危険です!早く風見さんを 助けて!犯人は常に私達にライフルを向けています』
沢木は一瞬、それまで部下達に見せた事も無かったような悲痛な表情を浮かべた。
妹までもが人質になっているとは………
そして今、祐介が生死の境を彷徨っている。
沢木は気を取り直して、部下に指示を出す。
「この煙草は犯人の物と見て間違いはない。風見が寄越したのだからな。指紋の検出を急いでくれ」
刑事達は、人質の中に祐介と瞳がいる事に衝撃を受けていた。そして瞳の走り書きの内容にダブルパンチを喰らった気分だった。
原が彼らの気持ちを代表して、沢木に詰め寄った。
「デカ長!どう言う事なんですか?風見は一体っ?!あいつの身体はどうなっているんですか??デカ長は知ってるんでしょう?!」
「デカ長!!」
戸田も必死の形相で沢木を問い詰める勢いだ。
沢木は彼らの質問には答えずに命令を続ける。
しかし、それが図らずも答えになっていた。
「警察病院の宮本先生を呼べ!大至急だ!!」
戸田がその手配に走り、早瀬はハイライトの空箱を持って鑑識に行く為に覆面パトカーに乗り込んだ。
沢木の隣に残った原は、呟くように言った。
「デカ長……この頃、あいつの様子がおかしいとは思っていました………でもこんな……こんな事になるとは…何故、俺達に言ってくれなかったんですか?」
手配を終えて戻って来た戸田が彼に続く。
「デカ長は俺達を騙したんだ!この1年間………」
原は静かに戸田を制して、沢木の答えを待った。
「風見の希望だった………彼が、いつかこうしてお前達に知られてしまう事をどれだけ恐れていたか………」
「それじゃ、瞳ちゃんも何も知らなかったんですか?」
「そうだ………風見は瞳に深入りしないように、必死に自分の心に歯止めを掛けて来た。辛かったろうよ……」
「…………………………」
原も、戸田も、沢木の深い哀しみを知り、問い詰めるようにした事を悔いた。
誰よりも辛いのは、祐介自身と………長い間、自分だけの胸に秘めて来た、沢木ではなかったかと……彼らは初めて、そう思った。
「デカ長………」
「いいか?今、我々が考えなければならない事は、風見を含めて人質を全員無事に救出する事だ……それ以外 に無い!解ったな?」
「はい!!」
原と戸田は、即座に頷き返した。

 

 

宮本医師は、すぐに看護婦を連れて飛んで来た。
「おい!『瞳先生』も人質に取られているって!?」
沢木は黙って頷き、宮本と眼と眼で確認し合う。
「看護婦の中でも、気丈で冷静な婦長を連れて来た。風見君の容態が心配だ。早く中へ入りたい」
宮本の言葉に、沢木は拡声器を手にした。
「病人の様子はどうだ?医者を呼んだ。中に入れてくれ!」
「本当に医者なんだろうな!?」
犯人が返答して来た。
「勿論だっ!」
犯人は暫く逡巡していたようだが、やがて
「その医者と看護婦だけだぞ!他の者は絶対に近寄るな!!」
「解った!」
沢木はそう答えると、宮本に視線を送った。
宮本は頷き、婦長の肩を軽く叩いて促すと、機材の入った鞄を手に、バスに向かって歩き出した。
彼はバスに入る時、ボディーチェックと鞄の中身を調べられただけで、すんなりと受け入れられた。
「先生……」
瞳は少しだけ、安堵の表情を見せて、宮本を振り返った。
宮本は頷いて、祐介の傍に肩膝を付く。
彼を見るなり顔を顰めた。
「行かんな……」
と短く呟くと、すぐに婦長に準備をさせ、祐介の腕を捲って注射を2本打った。
止血剤と鎮痛剤だ。ほんの気休め程度だが、何もしないよりはいい。
婦長はその間に用意して来た氷嚢を取り出し、タオルで包んで祐介の胸を冷やす。
先程は、瞳もそうしてやりたかったのに、材料が無くて出来なかったのだ。
「これで暫く耐えてくれよ」
宮本が小さく囁くと、祐介は弱々しく眼を開いた。
その眼は『大丈夫です』と言いたげだったが、すぐに閉じられてしまった。
「ここでは、満足な治療は出来ない。近くの病院に運びたい」
宮本は犯人の方に振り向いて言った。
「駄目だ。俺が無事に海外に脱出するまでは、俺の顔を見た奴は1人として解放する訳には行かん!」
「例えそれが一刻を争う病人でもか?!」
「そうだ!!」
宮本医師と犯人の間に無言の火花が散った。
その頃、先程の煙草の空箱から出た指紋を照合した結果、この犯人の身元が割れていた。
早瀬が持って来た前科者カードのコピーを見詰めて、沢木は1人呟いた。
「前科三犯、佐川敬三………仮出所中か………」
原達も、憎悪の眼で佐川の写真を睨み付ける。
夜は深まる一方で、彼らは焦りを感じている。
いくら宮本医師や瞳が付いているとは言え、何も設備の無い此処では、万一の時に祐介を救いようが無かった。
救急車を待機させてあるが、佐川が祐介を解放しない限りは、どうにもならない。
その夜、佐川から差し入れの要求があり、警察からパンや牛乳などが差し入れられたが、それの受け渡しの時も、佐川は警戒して、運転手を出して来た。
勿論、運転手はライフルの銃口を背中に押し付けられている状態で、一言も話を出来る状況でもないし、バスのドアは開けず、窓から差し入れを受け取らせたので、中の様子を伺い知る事は全く出来なかった。

 

 

やがて………夜が白み始めた。
祐介も、薬による眠りから醒めて、弱々しい視線を宙に漂わせている。
瞳にとっては、まんじりともしない夜だった。
今、彼女を初めとして、宮本と婦長が心配げに祐介を見守っている。
外から沢木が拡声器で話し掛けて来る。
「佐川!準備が出来ている。人質を解放しろ!」
「流石、俺の事も調べが着いたか………いいだろう。正体がバレちまったら、こいつらをいつまでも人質にしている必要もない」
人質達から安堵の溜息が洩れる。
(これで風見さんを病院に収容出来る……!)
瞳もホッと一息衝いた。
しかし……佐川は、祐介を解放しなかった。
この病人を最後の切り札にしよう、と考えているに相違無かった。
解放されたのはたったの9人で、祐介と瞳、そして宮本医師と婦長だけは、バスの中に取り残された。
だが、これは佐川の誤算であった。
身体が弱っていても、祐介は現職の刑事であるし、宮本も、ただの医者ではなく、元は刑事だった男だ。
その事を佐川が知る由もない………
「まだ4人残っている筈だ!早く解放しろっ!!病人がいるだろう?!」
沢木の叫ぶ声が響く。
「ヘリを用意したら、解放してやろうじゃないか。その代わり女は最後まで連れて行く!」
「…………………………」
沢木は喉元が詰まったかのように一瞬声が出なかった。 妹よ、もう少し耐えてくれ………。
「早くヘリを用意しろっ!成田までヘリで行く!!」
「………解った」
解った、と沢木は答えたが、すぐには用意するつもりなどない。
人質が減っただけ、強行策も取れようと言う物だ。
とにかく、犯人・佐川を焦らせる事。ギリギリまで待たせるしか無い。
沢木は上空をヘリコプターで何度も旋回させた。
ヘリの音が近付いたり遠のいたり、の繰り返しで、佐川の表情には期待と諦めが交互に表れる。
汗を掻きながら、彼はボストンバッグを抱き締める。
ライフルは今なら無用の長物だ。
佐川は膝の間にそれを立てるようにして持っているので、不意を衝けば、構えるまでに10秒は掛かるだろう、と祐介は読んだ。
佐川の人質に対する注意力は段々と薄れつつあった。
その機を見逃さず、祐介は最後の力を振り絞って佐川に飛び掛かった。
宮本も昔取った杵柄とやらで、素早く祐介に加担して行動を起こす。
祐介は胸部の激烈な痛みに耐えながら、佐川を殴り付ける。
宮本が佐川の腕を背中で捻った時、瞳が手動で開けた降車口のドアから刑事達が踏み込んで来て、あっさりと佐川を取り押さえた。
祐介の読み通り、佐川はライフルを使いこなす余裕も無かった。
祐介は全身の力が抜ける思いで、ゆっくりと崩折れて行く………
沢木は慌てて彼を抱き起こす。
「デカ長………」
祐介はただそれしか言葉に出来なかった。
「ご苦労さん…」
答える沢木もそれ以上の言葉は出て来ない。
彼は悲壮な表情で祐介を見詰める瞳に、良く頑張ってくれた、と無言で頷いてから、祐介を抱き上げ、待機していた救急車に乗せた。
救急車には宮本と婦長が付き添って同乗したので、沢木は覆面パトカーに瞳を乗せて、それを追った。 
 

 

   − 第4部 (5) へ 続く −