DETECTIVE STORY

 

 

第4部 『 黄昏迄 』 (6)

 

 

祐介は刑事部屋に戻ると、パソコンのディスプレイに向かった。
今年に入ってから、少しずつ続けていたデータ入力である。それは、自分がこれまでに扱って来た事件のデータファイルの蓄積だった。
特に宿直の時などに集中して作って来たデータファイルだが、もうかなり出来上がっていた。
後、もう少しでこれまでの事件についての入力が終わる。
簡単に検索が出来るようにプログラムも練った。
病床にいる間にいろいろとフォーマットを考え尽くした。
とても解り易く、至れり尽くせりのデータがそこには詰まっている。
事細かに使い方を解説したヘルプファイルも同時に起動されるように出来ていて、マウスでクリックするだけでも、欲しいデータが探せるように作った。
自分が死んだ後、そのデータファイルは仲間達に有効活用される事だろう。
彼がこつこつとそう言った物を作っていた理由が、刑事仲間にも今となっては良く解った。
どんな思いで、これを作っていたのかと、彼らは胸を痛めながら、祐介の作業を静かに見守っていた。
入力を始めた途端に、落ち着く暇もなく事件発生の報が入った。
電話を受けたのは、沢木だ。すぐに録音テープを回す。
祐介は素早くデータを保存し、ネットワークからログアウトしてすぐに出動出来る体勢を整えた。
それは一風変わった事件だった。
第1報は犯人自身からの電話であった。
『自分は勤め先の小さな鉄工所から、会社名義の預金通帳と社長の実印を盗んで来た。そして銀行から降ろした金で、アダムズホテルの1305号室に泊まっているから、捕まえに来て欲しい………』
録音された電話の内容はこんな物だった。
刑事達はキョトンと顔を見合わせた。
しかも……犯人は風見刑事1人で、と指定して来た。
「おい、罠じゃないのか?」
原が祐介に訊いた。
「解らん……」
祐介は短く唸る。
「声に心当たりは無いのかね?」
藤谷課長が眉を顰めながら、祐介の蒼白い顔を見る。
「いえ………電話じゃちょっと……」
「とにかく……アダムズホテルに問い合わせてみよう」
と、沢木が受話器を取った。
彼は低い声で何やら話していたが、1305号室の客はすぐに解った。
深沢茂と言う。
「奴か……馬鹿な奴だ」
祐介は名前を聞いて、即座にその男の顔を脳裡に思い浮かべた。
彼のデータファイルにも勿論加えられている男だ。
深沢茂は祐介が2度程傷害の容疑で逮捕した事がある。
3ヶ月前に出所して来た深沢を、彼は自ら保証人になって、ある鉄工所を働き口として世話したばかりであった。
顔を潰された事よりも、この男がまたこのようなくだらない事件を起こした事が情けなかった。
祐介は鉄工所の社長に電話を掛けた。
ここの社長は祐介の中学時代の友人だった。
彼によると、確かに本人が申告した物が全て無くなっていた。
『銀行に問い合わせたら、まだ出金はされていなかったので、すぐに引き出し停止の処理をして貰った。丁度今、お前に連絡をしようと思っていたんだ』
実害が無いのは幸いだった。
「済まない……迷惑を掛けたな。深沢は俺を呼び出して来た。これから、逮捕に向かう。逃亡の心配はなさそう だ。それじゃあ、改めて被害品を持って詫びに行くから」
受話器を置くと、祐介はきっぱりと顔を上げた。
「アダムスホテルへ行きます」
「待てよ!お前、その身体で………いや…罠だぞ、きっと。危険過ぎる」
原は心配して彼を止める。
「そうですよ、先輩。もう少し様子を………」
「1人で行こうなんて水臭い事は無しだぜ」
早瀬が眉を顰め、戸田も努めて明るく振舞う。
「………デカ長!……行かせて下さい!」
祐介の強い熱意に押されて、沢木は首を縦に振った。

 

 

アダムズホテルは、署から車で10分程の所にあった。
ロビーでもう1度、宿泊者名簿を確認する。
確かに深沢茂と記帳があり、恐らく本人の筆跡に間違いあるまい、と祐介は確信した。
祐介には深沢の行動がどうしても解せない。
1305号室をノックすると、ドアが少しだけ開き、彼を吸い込むと中から鍵が掛けられた。
だが、祐介は後ろ手で深沢に気付かれる事なく、鍵を開けていた。
祐介が入るのを見届けた三原署の刑事達は、ドア付近を固めてイヤホーンからの声に耳を澄ます。
祐介の上着の内ポケットには、超小型発信器が仕込まれていた。
『あんたには済まないと思ってるよ……』
『だったら、何故こんな馬鹿な事を…?』
『犯罪者のレッテルってのは、なかなか消えない物なんだよ、風見さん』
『深沢……』
『俺は、悔しかったよ……あいつらを見返してやりたかった……』
『見返すのはいいが……やり方を間違えたな。なぜ、そのレッテルを自分で消そうとはしなかった?……それ処か、自分自身でそれを更に染み込ませてしまったような物じゃないか』
『…………………………』
………早瀬は、イヤホーンから流れる祐介の言葉に感じ入っていた。
「俺は……風見先輩を目標にして、今までやって来ました。だからこそ、娘が生まれた時、名付け親をお願いしたんです。それなのに、娘に『未来』と言う名前をくれたその人に……もう、未来が無くなりつつあるなんて……」
「風見の奴、お前の娘に未来を託したのかも知れないな……」
戸田も早瀬に続いて、感慨に耽った。
「………やめないか、その話は………」
原が静かに言った。
「風見は俺達に取って、掛け替えの無い男だ………俺だって、奴が余命幾許も無いなんて信じられん……いや、信じたくない。みんな同じだよ。でも、その現実にぶち当たって、一番苦しいのは、他でもない、風見自身の筈だ。その事は忘れて欲しくないんだ……」
「原さん………」
「俺達まで落ち込んじゃ………風見が余計に辛い思いをするだけだろ?」
原自身、自らに言い聞かそうとしていた。
必死に込み上げて来る哀しみに耐えていた。
戸田もいつもと違って、神妙な顔付きで原の話を聞いていた。
3人はなるべく今迄通りに祐介と接しようと誓うのだった。
祐介は呼吸さえも辛い中で、必死にそれを押し隠し乍ら、深沢に話し続けていた。
「お前は……そんなに、弱い、人間だったのか?!………自分の…置かれた、状況、の中で…精一杯、闘う事、も出来んのか?」
自らが『運命』と闘っている時だけに、祐介の言葉にはより説得力があった。
「また説教か……俺はあんたに叱られっ放しだな。でも、なぜか風見さん、あんたの声が聞きたかった。叱られたかったんだよ………」
深沢はどこか親に甘えるようなそんな眼で祐介を見詰めた。
「それで、俺を指名、したのか……馬鹿らしい。忙しいんだ、帰るぞ」
祐介は、クルリと深沢に背を向け、扉に向かった。
「待ってくれっ!」
「何だ、まだ用か?」
祐介は、わざと冷たい顔を作り、振り返った。
「あんた……変わったよ。冷たくなった」
「そうかい?」
祐介は再び彼に背を向けた。
「俺はもう…お前の面倒を、見ていられ、ないんだ……」
彼は突き放す言葉とは裏腹にも深沢が自力で立ち上がってくれる事を一心に願っていた。
(そうだ……俺はもう………お前を助けてやりたくても何も出来ないんだ……)
いつかきっと、深沢にも祐介の気持ちが通じるだろう。
彼はそれを信じて疑わない。
「俺も…仕事が、手一杯…に、なってしまって……もう、お前の、事までは、手が回らない…」 
「風見さん……」
「きっとその方がお前の為だ」
「解ったよ。俺を警察に連れて行ってくれ………」
「自分で…行くん、だな」
祐介はそこで一瞬、顔を歪めた。
が、それを見た者はいなかった。
先程から浅い痛みが続いていたのだが、今の痛みはズキンと胸を貫いた。
「俺が一緒では、自首に、ならん………お前はまだ、警察に、通報して、いない………いいな?」
「えっ?」
「従って、この部屋では……何も、無かった。俺も、ここに来る筈が、ない……」
深沢は祐介をハッとして見詰めた。
「風見、さん……」
「早く、行けっ!」
深沢は祐介の心が解って、黙って頭を下げた。
………やがて、深沢茂は近くの派出所に自首をした。
万一の為に、原と戸田が尾行していたが、彼らの出番は無かった。無事に終わって何よりだった。
祐介は、深沢がホテルの部屋から姿を消した途端に、力尽きたようにソファーに倒れ込んだ。
「風見……?」
心配して覗き込んだ沢木に、
「大丈夫です……立て続けに……いろいろな、事が…あったんで、ちょっと疲れた、だけです………」
と、途切れ途切れに答えた。
だが、沢木の手配で駆け付けた宮本医師は、
「ちょっと疲れた?いやいや、かなり衰弱してるな……」
と呟いて、沢木に手伝わせ、ひとまず彼を刑事部屋に運び入れた。
宿直用ベッドに落ち着かせると、その場で点滴措置を取った。
「俺、何ともありませんよ………」
祐介は不満そうだったが、点滴のせいか、やがて音もさせずに眠りに堕ちて行った。
宮本医師は点滴が済むと、
「何かあったら連絡を」
と言い残し、病院へ戻った。
………そして、祐介が眠りから醒めたのは、翌日の明け方であった。
今日は雨になるのだろうか?窓の外には朝焼けが広がっている。
祐介は夢でも見ているかのように、その朝焼けを見詰めていた。
「俺は…あの、夕焼けになりたい………最後の瞬間まで輝き続ける、あの夕焼けになって………精一杯、燃え 尽きたい………」
彼は、周囲の存在さえも解らなくなっているかのように、1人呟いた。
彼の事を心配して家にも帰らず、泊まり込んでいた刑事達は、祐介の大きな間違いを訂正する事も出来ず、表情を曇らせた。
それを言ったら、彼の瞳の輝きが失せてしまうような気がしてならなかったのだ。
あれは、風見にとっての『夕焼け』だ………それでいいじゃないか………………彼らはそれぞれの心に言い聞かせた。 

 

 

祐介は昼過ぎに少し気分が良くなると、沢木に断って、深沢が勤めていた鉄工所を訪ねた。
友人の田神が父親の跡を継いで、経営している小さな町工場だ。
祐介は途中で購入した菓子折りと、深沢が持ち出した通帳と実印を持っている。
事務所で面会を申し込むと、すぐに経理を担当している田神の妻が出て来た。
「あら、風見さん、わざわざ済みません。こんな所じゃ何ですから、家の方にどうぞ」
顔見知りの彼女は、祐介が差し出した手土産を受け取ると、愛想良くそう勧めた。
「いえ……今日は深沢の事でお詫びに来たんです。だから、ここで……」
その時、田神が肩に掛けた手拭いで手を拭きながら出て来た。
「おう!わざわざ悪いな………お前、疲れてるみたいだな。随分やつれたじゃないか……」
「今回の事では、迷惑を掛けて、申し訳なかった。俺が保証人になっておきながら………」
祐介は深々と頭を下げ、なかなか顔を上げない。
「いいから、もう頭を上げてくれ。実害は無かったんだ……お前に免じて被害届は撤回したよ」
田神は、穏やかだった。
祐介が返した被害品を受け取り、受取書にサインをする。
「残念な事だが、俺の監督不行き届きだ……だが、深沢をここに戻してやる訳には行かないよ」
「……解っている。本当に済まない」
「もういいって。気にすんなよ。それより、大丈夫か?……根を詰め過ぎなんじゃないか?」
田神は久々に祐介と逢った分、余計に彼のやつれようが気に掛かるようだ。
「大丈夫さ。少し休めばすぐに元に戻るって…。心配しないでくれ。じゃあ、済まないが、そろそろ戻らないと ………」
祐介は先程から立ったままで、少し眩暈を覚えていた。
此処で倒れたりする訳には行かない。
早々に辞する事にした。
鉄工所を出ると、雨がポツリ、と落ちて来た。
祐介はフッと空を見上げる。
その視線の先に、沢木がいた。覆面パトカーに寄り掛かって彼を待っていた。
どうやら心配して着いて来ていたらしい。
祐介は蒼褪めた顔で、沢木に微笑み掛けた。
……つもりだった。
急に辺りが真っ暗になり、後は沢木が自分を呼ぶ声が聞こえた。その声も段々と遠ざかって行った。 
 

 

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