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DETECTIVE STORY

 

 

第4部 『 黄昏迄 』 (7)

 

 

迎えに来た沢木の前で倒れた祐介は、もはや現場に出る力さえ、持ち合わせてはいなかった。
少しでも起きていられる時は、パソコンに向かいデータファイルの完成を目指した。
だが、横になっている時間は眼に見えて増えて行った。
それでも彼は、病院行きを拒み、刑事部屋にいたいと願った。
「俺は…ここに、こうして…みんなといたいんです………俺は…最後までデカで、いたいん、です……!!」
祐介の心の叫びに、刑事達は胸を打たれる。
沢木はこれが彼の刑事魂だと思った。
次々と犯罪が起こり、慌ただしい刑事部屋の中で、祐介は的確な助言をしたりもした。
祐介はやはり、『生きたい!』と強く思った。
もう1度立ち上がりたい。走りたい………
沢木部長刑事も、この男は死なせるには惜しい男だと心から思った。
やがては優れた指導者に必ずなる、と大いに期待を寄せていた男である。
………逝くには、余りにも若過ぎる。
将来、必ず世間の役に立つ人間だと言うのに、なぜ……?
祐介が凶弾に倒れて以来、何度その思いが胸を去来した事か。
祐介の身体は既に限界を超えている筈であった。
周りの刑事達もその事には気付いているから、祐介の身体をひたすら心配した。
沢木瞳もまた、そんな彼をハラハラしながら見守っていた。
彼女は仕事を休んででも、祐介の傍にいたいと願った。
もし、去年の時点で、彼の身体の事を知っていたら、彼女は祐介と共に生きる道を選んだ筈だ。
例え祐介がそれを拒んだとしても。
最後の一瞬まで共に生きたかった。祐介の傍で共に闘いたかった。
あの時、心に引っ掛かっていたものに鍵をして永遠に仕舞い込んだ事を、瞳は今、後悔している。
なぜ、彼の真意が解らなかったのだろう……?
例え短い間でも、彼に愛されて、彼を愛して、そして暖かい家庭を築いて過ごしたかった。
傍にいたい、と言った時、『風見はそんな事を望んではいないぞ』と兄に諭されて、瞳はひたすら、彼の元に走って行きたい衝動に耐えた。
祐介は気力だけで、ついにデータファイルを完成させた。
これには、刑事部屋に駆け付けた宮本医師もただただ驚いた。
彼は、込み上げて来る血に噎せている祐介に、鎮痛剤を打ちながら言った。
「こんな刑事は今までで初めて見たよ。驚いたね」
「俺、って結構……図太い、のかも…知れ、ませんね……何度、も…駄目だと思、った瞬間が…あったのに……」
祐介は苦しげにうめく。
「図太い方がいいんだよ。デカやってくには」
「俺の…身体、使える所があったら……使って、下さいね……多分、弱り、切っていて……使える、臓器は…無、いかも、知れ、ない…けど………」
「脳死に至る可能性は1000人に1人と言われている。もしお前さんがそうなら、その通りにするよ」
そんな宮本の言葉に祐介は力なく笑ったが、その弱々しい笑顔はすぐに崩れて歪んだ。
ついに鮮血が肺から込み上げ、唇から溢れた………………
余りにひどく喀血したので、祐介は急激な貧血を起こした。
生命の危機が一瞬にして訪れる。
「もう放ってはおけない」
と宮本は言った。
「風見君。こんな事は言いたくないのだが、君はもう現場に出る事は出来ないよ………いいね。これから病院に連れて行くよ。残酷なようだが、もうここには戻れないだろう………」
辛い思いを押し殺して、宮本は最後の宣告をした。胸が痛かった。
朦朧とした意識の中で、祐介はそれを聞いていた。閉じた双眸からゆっくりと涙が零れ落ちた。
「いつ……それを、言われ、るか…ずっと、怖、かった……覚、悟は…出来、て…います………先生、お世話、 に…なり、ました………そして…デカ、長……み、んな……俺、の…我、儘を…聞いて…くれ、た、事を……感 謝、し…て、いま…す………足手…纏、いに…なっ、た…事、を……」
祐介は皆まで言えず、激しく咳き込んだ。
咳と共に吐き出される鮮血が、パッと真っ赤に拡がり、祐介はついに力尽き、失神してしまった。
急遽隣の警察病院からストレッチャーが持ち込まれた。
担架を持った職員が2階の刑事部屋に駆け付けたが、沢木は『私が連れて降ります』と言い、祐介を抱き上げた。
点滴のパックを高々と持ち上げた宮本が彼に続いた。
「風見……署のみんなとお別れをして行こうな」
沢木は祐介を抱いて、ゆっくりと注意深く階段を降り始める。
隣の二課から、刑事達が廊下に出て来て、祐介に敬礼をした。
擦れ違う者は皆、それに倣って彼に敬礼をして行く。
署の1階ロビーには、手の空いている署員達が集まって来た。
驚いた事に署長までが3階の署長室から降りて来た。
たまたま通り掛かった副署長が、『残念ながら風見君はもう行かんようですな』と報告したのだ。
「風見君、君は三原署自慢の刑事だった……将来を嘱望されていたのに……残念だ。ご苦労だった………」
沢木の腕の中で意識を失っている蒼褪めた顔の祐介に、署長は話し掛け、改めて彼に敬礼をした。
啜り泣く者、唇を噛む者、拳を震わせる者………厳粛な雰囲気の中、祐介は沢木の手で待機していたストレッチャーの上にそっと降ろされ、署員達の敬礼に見送られて、2度と戻る事の無い最後の入院をする為に、警察病院へと向かった。

 

 

止血剤が含まれた点滴を打たれ、酸素吸入を受けながら、沢山の医療機器の間に、祐介は眠っていた。
宮本医師は、これ以上、彼に何もしてやれない自分を……現代の医学を……激しく呪っていた。
もう、祐介は今日、明日の生命だった。
時々、うわ言で『こんな所で死ぬ訳には行かない』とか『早く現場に……』などと言い続けている。
そんな祐介が痛々しかった。
15分毎に看護婦が様子を見に来ると言う事になり、沢木は心を残しながらひとまず署に戻った。
彼は瞳に、残りの僅かな時間を付き添わせてやりたかったが、今、彼女は何も知らずに小児科の杉崎医師と内堀医師と共に手術室に入っていて、終わるのは16時過ぎだと言う。
まだそれまでに2時間近くの時間があった。
沢木は署で書類を書いていても、まるで身が入らなかった。
こんな事は初めてだった。
祐介のうわ言が耳にこびり付いて離れない。
出来る物なら、彼の思いを遂げさせてやりたかった。
だが、どう考えても、祐介が床を上げる事は無いだろう。
胸が締め付けられた。
どうせ逝くのなら、せめてここに置いてやれないだろうか?
無理だと解っていても、沢木はそう思わざるを得なかった。
彼は書類を書き上げると、机の引出しから印鑑と朱肉を取り出して判を押し、それから不在中の藤谷課長の席に裏返しに置いた。
今日は本庁で会議があって、藤谷はそれに出席している。
だが、そろそろ終わっている筈だから、沢木は彼が戻って来たら、再び病院に舞い戻って、宮本に相談を持ち掛けようと思っていた。
他の刑事達も、成す術も無く、いたずらに時を過ごしている。
この間にも、祐介は死神と闘っている筈だ。そう思うと、とても平常心ではいられない。
原は祐介が肺を痛めて以来、煙草を刑事部屋では吸わないようにしていた。だが、今はもう2箱目に手を付けていた。
しかし、咥え煙草に火を点けるのも忘れて、眼の前の空席を見遣ったままぼんやりしている。
戸田はただ熊のように刑事部屋をうろつくばかりだ。
そして早瀬は、新聞社発行のお堅い週刊誌を片手に読み耽っているものかと思えば、逆さに持っている事にも気付かない程、眼は上下反対の活字の上を上滑りしているばかりである。
とても落ち着いてなどいられない。
まだ事件でも追っていた方が、少しは気が紛れる事だろう。
そんな時、事件は何と警察病院内で始まっていた。

 

 

富士見署で逮捕した凶悪犯・内野が、警官のガードを振り切って、逃走した。
この男は逮捕時に足に受けた銃創の為、入院していたのである。
逃走時に見張りの制服警官の拳銃を奪い、所持している。
2人1組で警戒していた警官が、1人になったのを狙っての犯行だった。
残った警官に背後から迫り、不意に手刀を首筋に叩き付けたのだ。
完全たる富士見署の失態だった。
すぐに場を外していた警官が気付いて、内野を追跡した。
内野は足を怪我している。
足を引きずりながら走っていたが、逃げ切れない事が解ると、同じ階のとある病室に駆け込んだ。
そこが………よりによって、祐介の病室だったのである。
本当によりによって、だ。偶然とは言え、また彼は事件に巻き込まれてしまった。
こんな偶然には用は無い。
先日のバスジャック事件と言い、今回と言い、祐介は宝くじに当たるよりも凄い確率で、事件に遭遇してしまったようだ。
しかし、今の祐介には意識が無い………
丁度、看護婦が見回りに来ている処だった。
「キャー!何です?あなたっ!!」
看護婦は叫び掛けて、黒光りする銃口に気付いた。
その瞬間、富士見署の警官も飛び込んで来た。
内野は、看護婦に銃口を突き付けて、『近寄るとこの女を撃つぞっ!』と脅した。
「馬鹿な事はよせっ!」
叫んだ警官に向けて、仲間の警官の拳銃で容赦なく発砲した。
警官は肩口を撃たれて、飛んだ。床に叩き付けられ、気を失っている。
突然の銃声に病院内は騒然となる。
外来患者の診療が午前中で終了していたのが幸いだった。
『事態の確認が取れるまでは、病室から出ないように』
との院長のアナウンスが入った。
看護婦は足をガタガタと震わせながら、ナースコールのボタンに手を伸ばす。
自分の生命もそうだが、このままでは、この部屋の患者である祐介も危険である。
「何してやがるっ!このアマっ!!」
内野が気付いて、彼女の腕を掴んだその瞬間、祐介がカッと眼を開いて起き上がり、ベッドの上から内野の腕を捻り上げた。
だが、彼には内野を取り押さえるだけの力が残っていない。
「早く……逃げ、るんだ……っ!」
看護婦は祐介に言われるまま、人を呼ぶ為に走り出した。
「くそっ!離せっ!!」
内野はもがいた。
祐介は看護婦が逃げ出すだけの余裕を作るのがやっとだった。
内野には凄まじい力で振り切られた。
祐介は、渾身の力を込めて、必死にベッドから立ち上がり、必死にドアへと歩いた。
ドアまでの距離は長かった。
追わなければ………その思いだけが、彼の動かない身体を動かしていた。
これは正真正銘、彼の最後の力だ。
病室の入口で倒れている警官の身体を跨ごうとしたが、思うように身体が動かない。
祐介は彼の身体に躓いて倒れる。その時に、警官が意識を取り戻した。
「三原、署の…風、見だ……済ま、ないが……拳銃、を…借りて、行く…ぞ……」
祐介は執念の力で立ち上がった。
強引に抜いた点滴の跡から鮮血が一筋に流れている。
今の祐介にはそのような事はどうでも良かった。
ただ心はひたすらに逃亡した凶悪犯を追っていた。
足を引きずっていたから、そんなに遠くへは行けない筈だ。
祐介はちゃんとそれを見抜いていた。
パトカーのサイレンが鳴り響いている。
隣の三原署からも多分仲間達がここへ駆け付けているだろうが、当然、内野を逮捕した富士見署からも出動して来ているだろう。
病院内は異様な静けさだ。
誰もが部屋に閉じ篭もり、鍵を閉め、息を殺して押し黙っている。
この静けさに、内野は思わず顔を出してしまった。
眼と眼、銃口と銃口が鉢合わせする。
内野は踵を返し、足を引きずりながら、走り出した。
「待てっ!」
祐介は声を振り絞って叫んだ。胸が痛い。
霞む眼で懸命に内野を追った。
血を吐きながら、胸の激痛と闘いながら、そして……刻々と近付いて来る死の恐怖に怯えながら………………
「デカ長………」
必死に心で沢木を呼び続けながら、祐介は気力のみで前進する。
やがて、病院の中庭に出た。
祐介は歪む内野の姿に照準を合わせようとしたが、なかなか彼の像が結ばない。
強烈な眩暈に襲われてよろめく祐介に、内野の銃が向けられたその瞬間、実戦の勘が祐介に味方した。
はっきりと相手の姿が見えたのだ。
祐介はその拳銃に向かって、内野より一瞬早く引き鉄を絞った。
銃声が2発轟いて………吹っ飛んだのは内野の拳銃だった。
祐介と内野は組んず解れつ、拳銃を捨てての取っ組み合いを展開している。
祐介は無い力を振り絞って、少々劣勢ながら、何とか内野と互角に闘っていた。
今にも生命の糸が切れそうな中、彼はデカ長の沢木が来るまでは何としても内野をここに押し留めていたい……その思いだけに支えられていた。
その最中に、祐介は胸部に今までと違う、激烈な痛みを覚えた。
胸の古傷から、夥しく出血している……!
(こんな……事が…ある、のか…?馬鹿、な………)
血の気が失せて行くのが解る。
祐介が諦めて眼を閉じた時、1発の銃声がして、肩口を打ち抜かれた内野が吹っ飛んだ。
………………沢木だった。
先程の銃声を聞き、駆け付けて来たのである。
「デカ……長………」
沢木はうめく祐介を抱き起こした。
胸の古傷からは鮮血が溢れて止まらない。
沢木はハンカチを取り出して、傷口を押さえるが、ドクドクと血は流れ続ける。
夕焼けが空を凌駕していた。
祐介は黄昏の赤を全身に浴びている。
「………夕焼け、が……綺麗、だ…。………俺、は、あの…夕焼けに……なり、たい……あそこ、で…みんな、の事、を…見続け、ていた、い………」
夢現になりながら、祐介は呟く。急速に彼の眼の輝きが失せて行く。
最後に眼にした物は、多分この美しい黄昏になる筈だ。
「風見。お前は決してこの空に負けてない。それ以上に輝いて燃えているぞ」
祐介はまさに、最後の生命の炎を燃やし、死に際の輝きを見せている。
しかし、燃え尽きる時が……来てしまったのだ………
仲間達が彼の周りに集まって来た。
「風見!解るかっ?俺だ、原だよ!」
原の必死な呼び掛けに、祐介は見えぬ眼で彼を探した。
「おい!見えないのかよぉ、風見……」
「風見先輩っ!!」
戸田はもう既に泣き声になっている。早瀬も同じだ。
「デカ長……」
祐介は感覚の無い指で、沢木の手を必死に握り締めた。
「デカ長……みんな……最後、まで、我儘、言い放、題…………心…配、掛け…通しで………」
祐介は激しく咳き込んだ。
「馬鹿!お前らしくもない事、言うなよ」
戸田は涙を拭おうともしない。
「あり、がとう………これ、で……やっと……眠れ、るよ…………………」
祐介は咳き込みながら、やっとそれだけを口にすると、再び大量の喀血をした。
そこで彼の生命は限界に達した………
最後に大きく肩を揺らして息を吐くと………静かに、そして眠るように……息を引き取った。
刑事達は口々に彼の名を呼ぶが、もう2度とその眼は開かれなかった。
もう祐介は、彼らに微笑み掛けてくれる事もない……
……もう、彼らに話し掛ける事も無い。
そして………共に犯人を追う事も。
それがどうしようも無い、彼らの眼の前の現実であった。
宮本医師はオペを終えたばかりの瞳を連れて、駆け付けて来た。
瞳は一目祐介の姿を見て、呆けたように立ち尽くす。
宮本は白衣の胸ポケットから探り出したペンライトで、彼の瞳孔を改める。
深い溜息の後、宮本は黙って首を振った。
………瞳は、まだ温かい蒼白い顔の祐介に取り縋って、堰を切ったように号泣した。
誰にも止められない。
瞳は白衣の胸が祐介の血に染まるのにも構わず、しゃくり上げ続けた。
彼女は祐介の臨終に間に合わなかったのだ。
さぞかし、彼の最期を看取ってやりたかったろう………
愛し合っていた2人は、こうして別れの時を迎えた。
沢木は妹の心を痛い程察する事が出来た。
喪失感は同じだ。
自分のこの腕の中で逝った祐介………
その存在は自分の一生の中で、大きな物だった。
黄昏が、彼らの哀しみを引きずったまま、やがて薄暗い世界へと移り変わって行った。

 

 

身内の無い祐介は、沢木らの手により手厚く葬られた。
彼は今………『生』を失って、初めて得る事が出来たろう。
この世では決して無かった『安らぎ』と言う物を………………

 

  我が生命

    たとい今宵に

      果つるとも……

 

         秋の夕焼けに

           ならむとぞ思ふ……

 

              − 風見 祐介 −

 

 

− 第4部 終わり −