DETECTIVE STORY

 

 

第5部 『 砂の迷路 』 (3)

 

 

西条は部下達を引き連れ、現場へと急いだ。
深藪署の管内だが、現場の状況だけでも知っておきたい。
それに、場合によっては伏見署がこの捜査を担当出来るかも知れなかった。
深藪署は今、大きな贈賄事件を抱え、さらに2〜3の事件を追っている。
管内で別の事件が起こったら、実際の処、お手上げの状態であった。
遺体は、深藪署管内の中央公園で発見された。
被害者の所持品の中に免許証があり、それから、彼が伏見署の交通課巡査・島谷(しまたに)五郎である事が判明した。
死亡推定時刻は午前7時から8時。
ナイフのような物で心臓を一突き。即死であろう。
……と、言うのが深藪署の調べである。
芝生に血痕が生々しい。遺体は既に現場から運び出されている。
怖いもの見たさの野次馬は膨れ上がる一方で、9時を回っていると言うのに、学生の姿も多い。
高校生などは丁度中間試験の真っ最中で、登校時間の遅い者もあるかもしれない。
警官が何か怒鳴っている。
死んだ島谷は宿直明けで、朝の7時に伏見署を出ていた。
と、なると死亡時刻はかなり限定出来る。
伏見署からこの現場まで30分は掛かる。
新宿駅まで徒歩5分、地下鉄で2駅行って10分、そこから再び歩いて15分………
この中央公園は、島谷が自宅へ帰る通り道で、ここから500m程行った所に彼は両親と暮らしていた。
「ご両親は今頃、遺体と対面しています」
深藪署捜査一課の牧野正義(せいぎ)刑事が説明した。
彼は伏見署の連中とは顔見知りである。
「今、本庁で検討中ですが、恐らくウチと伏見署の合同捜査と言う事になると思います」
「ところで凶器の方は……?」
西条が正義に訊いた。
「今の処、発見されていません。ウチの署員が徹底的に探しています」
正義は少し離れた所で溝浚いをしている制服警官を眼で示した。

 

 

捜査の形式はやはり正義が言ったように、伏見署と深藪署の合同捜査と言う事になった。
深藪署管内で起こった事件だが、基本的には伏見署が捜査する。
しかし、土地勘や管轄問題がある為、深藪署側から1人、応援の刑事が出て、何とか形だけ『合同捜査』になったのである。
捜査本部の伏見署に設置された。
捜査の進行上、こちらの方が都合が良いし、また車ならば現場から10分の距離なので、その点も差し支えない。
「ウチの署も別のヤマを抱えていて………不本意乍ら、こう言う事になりました。皆さんにくれぐれもお詫びを言うようにと、言われて来ました」
応援に来たのは、やはり牧野正義であった。
彼は以前にも合同捜査で伏見署に来た事があるので、恐らくその関係で選ばれてやって来たのだろう。
深藪署で追っている事件から途中で抜ける無念さも、多分彼にはあったのであろうが、それはおくびにも出さない。
こちらの事件を早期解決すれば、彼は再びそちらの捜査に迎えられる筈だ。
今は、それを願うばかりの気持ちでいるに違いない。
彼1人で2人分の活躍はしてくれるだろう。
「一番の要の人を借り受けてしまっていいのかな?」
酒井課長が言うと、正義は苦笑するに留まった。
「お前、祐さんの通夜では見掛けなかったな……?」
梨樹がそっと訊いた。
「ああ。残念ながら、どうしても仕事を離れられなくてな………だが、心から祐介の冥福を祈らせて貰ったよ……」
正義は一瞬痛ましげな表情を見せたが、すぐにそれを打ち消していた。
「そうか………おい、お前も無茶はするなよ」
「お前……おかしいぜ。さあ、改めて現場周辺の聞き込みだ」
先に出て行く正義を追って、梨樹は酒井に一礼してから、刑事部屋の出口へと歩いた。
彼は頭の中から、昨日のおばさんのイメージを払拭出来ないでいた。
一晩中殆ど一睡もせずに、『哲学した』せいかも知れない。
梨樹は思わず頭を左右に振った。
署の玄関すぐの所にある交通課の、島谷の机には、誰が生けたのか、美しい菊の花が飾られてあった。
白菊に囲まれた祐介の遺影写真が頭の中を過ぎった。
梨樹は心の中で合掌しながら、伏見署を出た。
2〜3度だけだが、島谷と言葉を交わした事があった。
確か、この玄関前でだった。
彼はこの春配属されたばかりの新人で、職務に対して真面目で、周囲の受けも良く、評判は上々であった。
若者らしい爽やかさが少しも損なわれていない、島谷の笑顔を、梨樹は思い出して見た。
梨樹は覆面パトカーに乗り込んでからも、暫く考え込んでしまっていた。
「お前、本当に大丈夫か?………運転、代わるぞ?」
正義が眉を顰めて梨樹を見る。
彼に言われるまで、梨樹はエンジンも掛けずにただ運転席に座っていた。
慌ててエンジンを吹かし始める。
正義は梨樹をチラッと見ただけで、そっとしておいた。
彼自身、普通に装っているだけで、内心ではいろいろな物が沸き上がり、それを押さえ込む事に従事しなければならなかった。
この前、梨樹と一緒に捜査をした時は、祐介もいたものだ………あれから、僅か10ヶ月の間に、祐介は黙って何も告げないまま独りそっと逝ってしまった。
だが、今、その感慨に耽っている時ではない。正義は祐介に対する思いをそっと胸に秘め、事件に没頭した。

 

 

2人は早速、中央公園周辺の家を1軒1軒当たった。
島谷の生前の写真を携えてであるが、殺害時間が早い為、皆朝の支度に追われていて、救急車やパトカーのサイレンがする迄、気付かなかったと言うのが殆どである。
15時を少し回った頃、何の手掛かりも得られないまま、正義が呟いた。
「夕方のラッシュに合わせて、出直そう」
「ああ…そうだな」
「それまで、ガイシャの足取りを当たろう。新宿駅から、彼の帰宅ルートを忠実に辿るんだ」
「OK……新宿駅は1日中、浮浪者がうろうろしているから、何か目撃しているかも知れん。こっちが訊かなくとも 小遣い銭欲しさに喋ってくれるだろうよ……」
梨樹がつまらなさそうに答えた。風呂好きな梨樹にとって、彼らは一番嫌いな人種だ。
喜びも哀しみも……いや、感情と言う物を、彼らは持っているのだろうか……?
何の目的も持たず、家族もしがらみも捨てて、ただ単に死ぬまで生きている……まるで起伏の無い、平坦な毎日をその日暮らしにただ寝て過ごす……
梨樹がその思いを口にすると、正義は、
「奴らにもそれなりの特有な『仲間意識』はある。その範囲での喜怒哀楽の感情は持っているだろう……それに、ああ言う生活に入るまでの過程に、俺達には理解し難い、複雑な何かがある筈だ。一概に奴らを悪いと決め付ける事は出来んよ。はっきり言って、俺の好きな部類には到底入らないがね」
と答えた。
さて、2人は早速、新宿駅へと足を運び、構内で昼寝を決め込む浮浪者を叩き起こした。
「何だよ、てめえらっ!」
胡散臭そうな反応を示す彼の鼻先に梨樹は警察手帳を突き付けた。
「お前、今朝もここにいたか?」
「サツの旦那が何の用だい」
「だから、今朝もここにいたか、と訊いてるんだ」
梨樹が彼を訊問している間、正義は黙ってそれを見守っている。
「いたよ。それがどうした?……まさか、手入れじゃ無いだろうな?!」
反抗的な態度の後、男は慌てて飛び起きた。
「残念ながら違うよ。安心しな………ちょっとばかり訊きたい事があるんだ」
梨樹は懐から、島谷の写真を取り出した。
「今朝の7時過ぎにこの人がそこの改札を通った筈なんだが………」
「待てよ!あの、ラッシュの中、解る訳ねぇだろうが」
男は写真を見ようともせずに、再び寝そべる。
「いいから、ちゃんと見ろ!」
梨樹が一喝し、仕方なく写真を見た男は、眼を見開いた。
「こいつっ……!」
「おい!見たのか!?」
「今朝、俺を説教して行きやがった。若造の癖に正義感振りおって………こんな餓鬼に何が解るってんだい」
梨樹はニヤニヤしながら、
「穏やかじゃないな……で、どうした?」
「俺もカチンと来たが、相手にするだけエネルギーの無駄ってもんよ……だから、適当にあしらっておいたさ」
「それで?」
「行っちまったよ」
「ったくしょうがないなぁ………」
梨樹は、『相手にするだけエネルギーの無駄だ』と言う無気力な世捨て人に付き合っているのが嫌になって来た。
呆れてぼやきながら、正義と共にこの不潔な男から離れた。
「お前、どう思う?あの男……」
先程から黙して語らない正義に、梨樹が訊いた。
「さあな……あの男がガイシャを追って殺すような『エネルギーの無駄』はせんと思うが。彼を追い掛けて地下鉄に乗るような金さえ、持っていそうも無い………とにかく訊いてみれば解る事さ」
正義は眼と鼻の先にある売店を指差し、そこへと歩き出す。
梨樹は黙ってそれに続く。
新聞を買い求めながら、正義はさり気なく係員に訊ねた。
「あの男、今朝からずっとここに?」
と浮浪者を横目で見やる。
「そうなんですよ。困るんですよねぇ。いくら注意しても昼間はああして横になっていて、聞いた処によると、夜になるとゴミ箱を漁って、1日分の食事を摂るそうですよ。あなた達、区役所の方?何とかして下さいよ」
40代後半の彼女は、心から嫌そうな顔で男を見た。
「我々は警察の者です。今朝の7時から8時の間、彼はどこかへ行きませんでしたか?」
「いいえ、どこにも……」
彼女は溜息混じりに呟く。
「小林さーん!おはよう」
「あら、もう時間ね」
交替に来た同年代の女に声を掛けられて、時計を見る。4時だ。朝7時から4時の拘束9時間・実働8時間の長い1日が終わる。
彼女は正義達の存在を既に忘れた。
「じゃ、お先!」
「お疲れ〜!」
女達が声を掛け合うのを背で聴いて、2人の刑事は、午前7時5分過ぎの島谷五郎巡査と同じように、地下鉄に乗り込んだ。
2駅進んで島谷の降りた駅から地上に出る。
もうここは深藪署の管内である。
「ここから現場の中央公園までは1本道になっている。早朝だと言う事もあるし、どこの店もまだ開いていない。ガイシャも寄り道をせずに真っ直ぐに帰っただろうと思われる」
正義の言葉に梨樹は頷く。
「ん?」
梨樹の眼は一方へと注がれた。
「駐車違反かな?」
「どうした?」
正義は近付いて、処理中の婦警に訊ねた。
「あ!どうもご苦労様です!」
婦警は正義に敬礼し、
「朝から放置されたままなので、レッカー移動する処です」
と言いながら、レッカー車の手配をもう1人の新米婦警に指示した。
「朝………何時頃からあったか、解るかな?」
婦警は知的ハンサムと評判の正義に話し掛けられ、またその隣にいる他所の刑事が、少年っぽさを僅かながら残した容貌だったせいか、少し紅潮した頬を隠すようにして答えた。
「そこの店の人の話では、丁度新聞を取りに出た7時前に、30代半ば位の男が停めて行ったらしいのですが」
「7時前……島谷巡査はこの車を見ているな。ナンバーを控えさせて貰うよ」
「はい」
正義は警察手帳に違反車のナンバープレートを書き写し、梨樹を促した。
「勘か?お前の……」
歩き出すと、梨樹が訊いて来た。
「ああ。島谷巡査は仕事一途な男のようだし、例え宿直明けの非番でも、もし現場を見ていたら黙っていたと思うか?」
「解った……調べてみるか」
梨樹は彼の勘を信じる事にした。
2人は先程の婦警が指差した店へと歩いた。文房具屋だ。
店長が彼らを迎える。
「警察ですが、ちょっとお訊ねします。あの車についてなんですが、彼女達と重複するかもしれません」
正義が警察手帳を見せながら、声を掛けた。
「ああ、あれね。7時前に30代の男が停めて行ったのを見たんですが、一向に戻らないのでね。私が通報したんですわ」
「男が車を停めた時、何か変わった事はありませんでしたか?」
「通り掛かった若い男の人がねぇ。注意したんですよ。すぐに近くの駐車場に移動しなさい、ってね。そうしたら、その人を追うように公園の方向に行ったきり………」
「その若い人は駅の方向から来たのですね?」
梨樹が訊ねた。
「ええ」
「この人じゃありませんか?」
島谷巡査の写真を見ると、店長は頷いた。
「そうだけど……この人、どうかしたんですか?まさか、公園の事件……」
「残念ながらその通りです。ご協力ありがとうございました」
2人は彼に礼を言って、違反車の方に歩いた。
車が盗難車で無い限り、文房具屋にモンタージュ作りに協力して貰うまでもなく、ナンバーからより確実に持ち主が割れる筈である。
正義は交通課の婦警にその調べを頼んで、島谷巡査が歩いたであろう道を辿った。
「午前7時35分頃、現場に到着って処か」
正義は腕時計に眼をやり、所要時間を計算した。
「さて、それから何が起こったのか、だな」
「ああ……眼が合ったと言うだけで殺意が芽生えるこの世の中だ。何があっても不思議じゃないな」
梨樹は相槌を打ちながら、周囲に眼を配った。
陽が暮れかかっている。朝と夕方とでは、状況が違うにせよ、この中央公園を通る人々は数多い。
「誰か見ている人がいる筈だ……」
梨樹は1人呟いた。
2人の刑事は手分けして、早足で家路を急ぐ人々への聞き込みを開始した。

 

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