永遠の時間(とき)が流れて

 

EPISODE−4  『作崎の恋愛』

 

 

作崎が、高根沢の妹で女優の高根沢絵理を好いている事はファンの間でも有名な事実である。
自らDJを務めるラジオ番組でも公言して憚らない位だが、果たしてどこまで本気なのかは良く解らない。
ALPEEの他のメンバーも、作崎をからかうようにその事を言っている事があるが、どうも彼らの真意は見えにくい。
作崎と高根沢絵理が交際している様子は見られないし、だとすれば絵理には他に好きな男性がいるのかも知れない。
あれは作崎のリップサービスに過ぎなかったのか………?

 

 

「おまえ、作崎の事、どう思っているんだ?」
高根沢は、絵理を掴まえて訊いた事がある。
「どうって……高根沢家の次男の大切で素敵な仲間のひとり、かな?」
「それだけ?」
「そうねぇ……明るくて暖かくていい人よね」
「それだけ?」
「そばにいて安心感がある、かな?」
「それで?」
「どうしたの?そんなに……あ、解った。坂羅井さん辺りと賭けでもしてるのね。私がどう答えるか……全くしょうがないわねぇ」
妹は笑い話にしようとしている。
兄が言わんとしている事は解っている筈だ。
「バカ。俺がそんな事をするかっ。作崎と坂羅井ならやり兼ねないけれどな」
高根沢は言うべきか言わざるべきか悩んだ。
彼は、作崎は本気だと見ている。
だが、やはりそれを言うのを思い留まった。
絵理にそれを告げるのは、作崎自身でなければならない。
高根沢はそう思った。
穏やかな顔で妹に訊ねた。
「絵理、おまえ、好きな人はいるのか?」
妹の兄に似た美しい横顔が揺れた。
「いない事はないわ。私だってもう31ですからね。でも、女優業もまだまだだし、私、今はまだ仕事をしていたいの。やっと面白くなって来た処なのよ。だから、誰かとお付き合いするとか、ましてや結婚するとか、考えられないの。この頃、瑠璃子姉さんがALPEEがレコーディング中で身体が空いているからって、私のヘアメイクをやってくれてるんだけど、そんな時、いろいろな話をするの。ふたりにもそう言う時代があったんでしょ?……私、人を好きになったら、そんなの耐えられないと思う。だから、今はこのままでいい。そう思ってる。その人は身近にいるけど、私には特別な感情を見せる事はないし、きっとこれでいいのよ」
絵理は自分にそれを言い聞かせていた。
作崎も恋愛に不器用だが、この妹もそうだ、と高根沢は思った。
自分に似ているのは仕方がない。
妙な諦め方をして、高根沢はその話を打ち切った。

 

 

そう、作崎は本気で絵理の事を好きだった。
初めて高根沢に紹介された時からずっと………一目惚れだった。
まだ女優になる処か、高校生だった絵理は、清楚な美しさで、化粧も施していないのに、一輪の花が開花したように華やかだった。
高根沢の妹、と言う事に遠慮してか、今まで彼女にアプローチした事は一度もない。
絵理は自分の事を兄のバンド仲間としてしか見ていないだろう。
普段はそのような事を考えている余裕もなく、忙しい日常を過ごしているが、この前、思いも掛けず身体を壊して入院・静養した時には、その時間を持て余し、何故だか頭の中が絵理の事で一杯になった。
その理由は言葉では説明出来なかったが、無性に逢いたくなった。
更にその後の高根沢の結婚が良い意味での刺激となり、自分の尻を叩いてくれたのかも知れない。
作崎は、絵理と話してみようと言う気になり始めていた。
「今までみたいに冗談っぽくではなく、はっきりと言わねぇとな……」
しかし、彼はそれが大の苦手だった。
人一倍照れ屋で何でも冗談にしてしまう作崎。
長い付き合いだけに坂羅井や高根沢はちゃんと気付いている。
彼の冗談の中に見え隠れする本音に。
もう既に彼女との出逢いから16年の月日が過ぎ、未だ思いを遂げられずにいる作崎に、出来るものなら何とかしてやりたいと思う、高根沢と坂羅井であった。
しかし、扉を開いて前に進むのは作崎次第だ。

 

 

何となく作崎の気持ちの変化に気が付いていたふたりが作戦に出たのは、アルバムのレコーディングが全て終了した翌日の事である。
絵理を「出来立てホヤホヤの完パケを聴かせてやるから」とレコーディングスタジオに呼び出した。
丁度スケジュールが空いていたので、絵理は喜んでやって来た。
ブースの中に初めて聴く音が溢れ始める。
「こんな贅沢、ファンの子達に恨まれそうね」
絵理は上機嫌だ。
スタッフを別にすれば、一番近くにいるALPEEのファンである。
1曲目が終わり掛かった時だ。
高根沢の携帯電話が鳴り出した。
高根沢は短く相槌を打ち、話を終えると、
「悪いけど、ちょっと広報部長が話があるって言うので、坂羅井と行って来るから。作崎、絵理に解説してやって
 くれないか?」
「えっ?おいらはいいのかよ?」
「ALPEEの話じゃないんだ。俺達がプロデュースしているアーティストの件だ」
高根沢と坂羅井は、確かに別々のプロジェクトだがプロデュース活動もしている。
2人とも今は同じPEACEレコードのアーティストを手掛けているので、作崎は全くその言葉を信じた。
「解ったゼィ。忙しいなぁ、ふたりとも。ご苦労さんでぃ。構わねぇから行って来いよ」
2人は、作崎と絵理をスタジオに残して出て行った。
高根沢の携帯電話を密かに鳴らしたのは、坂羅井の仕業である。
当然だが、打ち合わせ済みの事だった。

 

 

スタジオのブースに取り残されたふたりは、何となく気まずい感じを拭い去れなかった。
作崎は一生懸命、アルバムの曲目を解説した。
やがて長い時間が過ぎ、マスターテープは動きを止めた。
「高根沢達、遅ぇなぁ〜」
「そうですね。どうしましょう?」
「帰っちまう訳には行かねぇしな……」
「あ…あの、私………すみません。帰らせて貰います。兄と坂羅井さんに宜しく伝えて下さい」
作崎と2人切りでここにいる、と言う事実に今更ながら気付いた絵理である。
何となく気分が落ち着かなくなった。
「待って!」
ハンドバッグを取り上げ、作崎に一礼して踵を返す絵理の背に、作崎の声が追い縋って来た。
「待って、欲しいんでい。……そして、おいらの話を聴いてくれねぇかな?」
絵理は立ち止まったまま振り向かなかった。
どんな顔をして振り返ったらいいのか、絵理には解らなかった。
何だか混乱していた。
その華奢な背に向かって、作崎は必死になって言葉を探していた。
頭の中がスパークし、言いたい事が出て来ない。
作崎が何も言い出さないのを不審に思った絵理は、意を決してゆっくりと彼の方に向き直った。
いつもなら、冗談がポンポン出て来る作崎である。
だが、様子がおかしい。
「作崎さん………?」
絵理の呼ぶ声にハッと我に返ったように作崎は口をパクパク動かした。
「うまく……言えねぇんだけど、おいらは………」
作崎は絵理の顔を見る事が出来なかった。
「初めて逢った時から……え、絵理ちゃんに……」
作崎の形相は徐々に苦しげになって行く。
「えっ?」
絵理は先を促すように、首を傾げた。
「……惹かれてたんでぃ……」
言った!とうとう言ってしまった!
長い間、喉に絡まり続けた言葉を。
これで度胸が付いたかと言えば、そうではなかったが……
好きだ、とか、愛してる、だとか、気の利いた言葉はついぞ出て来ない。
「びっくりさせちまってごめん。きゅ…急にこんな事を言い出しちまって……」
作崎は混乱し続けた。
自分自身、言っている事が収拾付かなくなって来ていた。
「いやっ、ごめんっ!……駄目だっ、やっぱり忘れてくれいっ!おいら一体何を言ってんでぃっ?!」
作崎はハァハァと肩で苦しそうに息をし、コンサートを1本こなした後のように大汗を掻いていた。
この前のように心停止でも起こしそうな様子で、普段の作崎からは考えられないような落ち着きの無さだった。
普段の彼は確かにお喋りで賑やかだが、その口から出て来る言葉は、ちゃんとそれ以前に彼の中で咀嚼されていた。
絵理は作崎の混乱が収まるのを待っていた。
しかし、それにはかなりの時間を要するらしい事が彼女にも解って来た。
2人の間に流れる沈黙はじれったい程、長く続いた。
やがて口火を切ったのは絵理の方だった。
「……忘れる必要はないわ。ありがとうございます。高根沢の妹だからって、気を遣ってくれてるのね。私は私、 兄は兄。そんな事は気にしなくて良かったのに…」
絵理は長い睫を持つ、魅力的な瞳を伏せた。
言葉を吟味して選んだ上で、ゆっくりと台詞ではない自分の言葉で話し始めた。
今、彼女は女優・高根沢絵理ではなかった。
ひとりの普通の女性だった。
「私、作崎さんの発言を耳にする度に、まるで刷り込みのように、いつからか貴方の事が気になるようになり始 めていた。それが切っ掛けとして良いのか悪いのか解らないけれど、驚く程にドキドキするようになって……」
絵理はそこで言葉を切って、もう一度言葉を整理しながら続けた。
「……でも、今、私は女優の仕事に夢中で……恋愛とか結婚とか言う事にかまけていられなかった…そう言う余裕を持つ事が出来なかった。だから、作崎さんの気持ちに気付かない振りをしてた。……ずるいでしょ?こんな女。女優って多かれ少なかれ、みんなきっとこう言う女なのよ」
作崎は初めて絵理の顔を直視した。
「それでもいい。傍に居て欲しいって、思ったんでい」
これこそ長年言い出せなかった言葉……………
作崎は一世一代の台詞を今、とうとう口にしている。
「……こんな勝手な女よ」
「おいらこそ勝手な事ばっかり言ってる。絵理ちゃんの気持ちも考えずに。それでも……考えてみてくれねぇか?」
作崎の言葉が終わらない内に、絵理の瞳から、演技ではない本当の涙がほろりと零れ落ちていた。
そして一緒に言葉が零れ出た。
「………そばにいて欲しい………私も…」
「絵理、ちゃん………」
「そばにいてくれる?……そして、私もそばにいていいかしら?」
「ホントに?」
「こんな女優でしかいられないような女でも良ければ……」
作崎を見上げた絵理の瞳が熱く濡れていた。
演技ではなかった。紛れもない本心だった。
どちらからともなく、身体を寄せた2人は、優しく相手を抱き締めた。
顔を埋めた作崎の胸はとても暖かく、優しかった。

 

 

ふたりはそれから高根沢公認で付き合い始めた。
元々長い付き合いなのだから、相手の事は良く知っている。
忙しいもの同士、巧く時間をやり繰りしては逢っている。
当分はこのままで行くのだろう。
結婚するかどうかだって、解らない。
2人がそろそろかな、と言う気持ちになった時、その時が結婚の時期だろう。
それは何年先の事になるのやら………
絵理がやり遂げた仕事に満足した時?
それとも仕事から逃げ出したくなった時?
「逃げて欲しくはない」作崎はそう思っている。
でも、そう簡単に自分のした仕事に満足して欲しくもない。
その程度のいい加減な気持ちなら、今すぐに女優を辞めた方が増しだ。
絵理には自由に羽ばたいていて欲しい。
いつまでも変わらずに………

 

 

結婚と言う1つの形には拘らず、2人一緒にとにかく「恋愛」をする事に、作崎と絵理は決めた。
それでも充分過ぎる程、作崎は幸せだった。
もっと早く、躊躇わずに思いを告白すれば良かった、と作崎は自分の弱さに、密かに溜息を衝くのだった。

 

EPISODE−4  −終わり−