永遠の時間(とき)が流れて

 

EPISODE−9  『坂羅井家の人々』

 

 

坂羅井家でお祝い事があった。
彼のおじいさん・坂羅井遼太郎の白寿(99歳)のお祝いだ。
この遼太郎おじいさんがまた、元気元気。
コンサートにこそ来ないが、孫の坂羅井正流がやっているALPEEの大ファンなのである。
そこで、病院の仕事が忙しくて折角の料亭を借り切ってのお祝いの席に出られない坂羅井の父、谷保(やほ)総合病院院長・坂羅井流一郎のたっての願いで、ALPEEの他のメンバー、作崎と高根沢の2人もこのおめでたい席に呼ばれていた。
2人とも珍しいダークな色のスーツ姿だ。
流一郎はいつでも、正月でさえ、親戚一同の集まりに出て来る事は殆ど無いと、坂羅井は言っていた。
入院患者を抱える病院の院長としては、患者を放り出しては居られないと言うのだ。
「昔からそうだったからね。みんなそう言うもんだって思ってるの♪……多分、今回は高根沢達を呼んでいる手 前、顔だけは出すと思うけどね。すぐ帰っちゃうけど、気にしちゃ駄目だよ〜ん♪」
遼太郎じいさんの長男の長男(つまり初の内孫)である坂羅井は、ぞろぞろと集まり出した招待客や親戚の誘導に忙しい中、作崎と高根沢に言った。
トレードマークの帽子もさすがに今日は被っていない。
サングラスも薄めの色の物を着けている。
てきぱきと手配りをしながら、
「まあ、坂羅井家の人間は気のいい連中ばかりだから。気を遣わないで楽しんで行ってよ♪場違いのようで片身が狭いだろうけどさ。だいじょうぶだから♪」
遼太郎じいさんは、谷保総合病院の創始者だ。
市会議員だの元市長だのの招待客もいる。
結構地元の名士だったようだ。
高根沢達は、招待客の中に紛れて座らされた。
「気を遣うなって言われても遣うよな……背広を着て来て良かったぜぃ」
作崎が座布団の上に胡座を掻きながらボソッと高根沢の耳に囁いた。
彼のスーツ姿は似合っているが、少し窮屈そうだ。
「まあな………」
「やあ、これはこれは!」
高根沢が小鬢を掻いて答えた時、2人はいきなり声を掛けられた。
気安く話し掛けて来た男は前市長の宮城と名乗った。
相手が立っているので、2人とも礼を尽くして立ち上がった。
「グリーンシティーホールの柿落としコンサート、観させて貰いましたよ。いやー、素晴らしいもんですなぁ〜」
握手を求めて来たので、礼を述べながら高根沢から順に握手をする。
それから2人は握手攻めに合う。出席者は殆どお年寄りだが、遼太郎じいさんの孫がいるグループだと言う事で、ALPEEは良く知られているようだ。
その内、握手を求めて来る中に若い者が混じり始める。
高根沢に握手して貰い、「キャーキャー」悲鳴を上げ、立ったまま両足をバタバタさせている女の子もいる。
あれっ、と思いながらも2人は求められるままに握手を続けていた。
今日の主役は「坂羅井遼太郎さん」なのに、良いのだろうか?と思いつつ。
何時の間にか、坂羅井の若い従兄弟達が彼らを囲んでいたのだった。
招待客が揃って一息付いていた坂羅井が血相を変えて飛んで来る。
「こらこら、父さんが無理言って頼んで、忙しい2人に来て貰ったんだから。お前達まで2人を困らせないの!……はいはい、お客さんも揃ったんだから、もう散った散った!!」
坂羅井は親戚を散らせておいて、2人に目顔で謝りながら、母親の坂羅井智恵子に付き添われて入って来る遼太郎じいさんの肩を支えた。
99歳になって、まだ自分の足で歩いているこの闊達な遼太郎じいさんは、多少ボケてはいるものの、年からは考えられない程、しっかりしている。
坂羅井の母・智恵子は65歳だ。
谷保総合病院の看護婦として迎えられて45年。
父に見初められ、嫁いで来て40年。
夫が院長になると同時に総婦長となり、公私共に夫を支えて35年、と言う大ベテランだ。
彼女なくしては、谷保総合病院もここまで存続出来たかどうか……そんな女性である。
長男の正流が一流大学の医学部を出ておきながら、医師への道から逸脱した時、彼女の胸中は如何ばかりであったか。
それを一番良く知っているのは坂羅井自身だ。
次男の大地が医学部を出て、既に10年以上前からこの病院に入り、院長の座を継ぐ事が決まっているが、それが決まるまでの年月は決して彼女にとって穏やかな物ではなかっただろう、と坂羅井は思う。
しかし、母はそんな事をおくびにも出さず、別の大学に入り直して新しい物を見付けたらしい息子に接していた。
昔気質の人間。
母の強い所しか見た記憶がない。
舅に仕え、夫に仕え、病院に仕え、彼女は生きて来た。
最近はALPEEの活躍に目を細めてくれている母。
認めてくれたのは多分、本当に最近になってからだろう。
坂羅井はそれでも、やっと彼の選択を喜んでくれるようになった母に安堵し、心から感謝している。
八百屋を営んでいて、お調子者の作崎の両親。
手放しで彼のデビューを喜んでくれた。
音楽一家の高根沢家。
クラシックの道には進まなかったが、息子の音楽活動には満足している筈だ。
坂羅井家と2人の家の事情とは最初から違った。
だから、母への償いの意味も込めて、坂羅井はこう言う行事には忙しいスケジュールを工面して、なるべく参加するようにしている。
「本日は、坂羅井遼太郎の白寿の祝いの席にお集まり戴き誠にありがとうございます♪」
坂羅井は司会まで始めた。
「本日は無礼講とさせて戴きま〜す。大いに飲んで食べて祝ってやって下さいね♪………本人は皆さんと話が出来るのをとても楽しみにしています。ちょっと耳が遠いので、近くに行って話し掛けて上げて下さい。それでは、遼太郎の長男、坂羅井流一郎が憚りながらご挨拶と乾杯の音頭を取らせて戴きます。恐縮ですが全員ご起立願います♪」
坂羅井の合図でつい今し方、仕事の合間を縫って駆け付けたばかりの父親が、短い挨拶をし、乾杯の音頭を取り、宴会が始まった。
坂羅井の父は、すぐに病院に戻らねばならないらしい。
遼太郎じいさんに一言二言話し掛けると、足早に高根沢と作崎の元にやって来た。
「お久し振りです。今日は無理を言って来て貰ってすみませんね」
「いいえ、こちらこそご招待戴いて恐縮しています」
高根沢が答え、作崎が手元のコップにビールを注いで流一郎に勧めた。
「まあ、一杯、いや一口でも……」
「いやあ、勤務中なんですみません。これからも正流を宜しくお願いします」
流一郎は慌ただしく風のように去ってしまった。
作崎は、勧めたビールを仕方なく自分で飲んだ。
そこへ入れ替わりに坂羅井の母・智恵子と、弟・大地が揃って2人の所に挨拶にやって来た。
「高根沢さん、ご結婚おめでとうございます」
智恵子が丁寧に頭を下げた。
「どうもありがとうございます」
高根沢はまださしてビールを飲んでいない筈なのに、心持ち顔を赤らめた。
「作崎さんもご無沙汰しています。お元気そうで何よりですわ」
「おいらは元気だけが取り柄ですからねぇ〜」
「そうそう、大地さんもお嫁さんを貰ったそうで」
高根沢が大地に話を向けた。
「ええ、お陰様で。兄貴より先にって言うのもどうか、と思っていたんですが、待っていたらいつになるか解りませんからね〜」
大地は、かつて高根沢が妹の絵理に向かって良く言っていた事と同じような事を言い、サングラスを外した坂羅井にそっくりな顔を綻ばせた。
夫婦関係は元より、仕事の方も充実しているように見えた。
作崎がその事をからかうと、
「いや、そうでもないですよ。外部から来ている医師達には、院長の息子って事でやっかまれているし、なかなか仕事もやりにくいんですよ」
意外にも大地は深刻そうな顔をして見せた。
「それに助けられない患者を診るのは辛いですしね。兄貴が医者になるのを辞めたのもその辺が原因なのはご存知でしょう?」
高根沢も作崎も黙って頷いた。
その事は、暗黙の了解として当然知っている。
「やっぱり兄弟ですね。似てるんですよ、感覚が。この頃ちょっといろいろと考えちゃって……兄貴の選択の方が正しかったのかな、って…」
坂羅井大地………
坂羅井の2つ下の弟で、作崎と高根沢よりは2つ年上の36歳。
彼は彼で揺れ動いているのだ。
『大地』が揺れ動いたらそれこそ大地震になっちまう……などと作崎は、この場合には不謹慎と言うべきだろう冗談を口に仕掛けて止めた。
「………大地!」
元市長と歓談していた母親がふと彼を手招きした。
彼を地元の実力者達に引き合わせようと言うのだろう。
大地は慌てたように、
「すみません。長話をし過ぎました。これで失礼しますが、どうぞゆっくりして行って下さい。良かったら祖父の所 に行ってやって下さい。とても喜びます」
と2人に言い残して、母のいる方へと小走りに去って行った。

 

 

作崎と高根沢は、坂羅井から「おじいさんにはビールを飲ませないでね」と釘を刺されていたので、用意した花束だけを持って、正面上座に座ってニコニコしている遼太郎おじいさんの所へ向かった。
今日、ここに来た目的はこれなのである。
偏に彼を喜ばせる為だけに、彼らは遠く多摩の方までわざわざ足を運んで来たのだ。
2人は坂羅井遼太郎に4〜5回逢っている。
あれはまだ昭和学院大学の学生だった頃だ。
既に遼太郎じいさんは病院を息子の流一郎に譲って20数年が経っていた。
悠悠自適の生活だ。
その頃、もう80代後半になっていた筈だ。
坂羅井の家に遊びに行った2人は、庭でゲートボールの練習をする遼太郎じいさんと、相手をさせられてちょっと困惑気味の坂羅井に逢った。
杖こそ突いていたが、背筋はビシッと真っ直ぐで、坂羅井にその年齢を聞いた2人は驚いたものだ。
若々しいのである。髪も黒く染め、きちんと整えていた。
若いのは身体だけでなく、気持ちもだ。
気が若いから、周りの者には自分の事を『遼太郎さん』と呼ばせた。
医者の不養生とは良く言う物だが、遼太郎じいさんには当てはまらなかったようだ。
このじいさんが高根沢と作崎が来るのをいつも楽しみにするようになっていた。
この時期の高根沢と作崎は、女の子のようにとても可愛かったのだ。
その内にALPEEの活動が本格的になり、坂羅井が家を出てしまったので、じいさんは随分寂しがったらしい。
孫の友達も当然来なくなるからだ。
あれから10年以上の御無沙汰である。
「遼太郎さん、怒っているかも知れないな……」
高根沢が、飲んでいる人達の邪魔にならないように、一旦宴会場の外の廊下に出ようと歩き出しながら言った。
「わっかんねーぜ。トシだから、そんな事は忘れてるかもしれねーよ。おいら達の事だって覚えてるかねぇ?」
作崎がいたずらっぽく答えた。
それを聞いた高根沢は美しい眉を顰める。
ビールが入っているせいか、血色が宜しい。
そして、それは見る者をうっとりさせる程、妖艶で美しかったが、勿論本人はそれを自覚していない。
「いや、あの様子だと覚えていると思うよ。ただ、あれから10年以上の歳月が経っているって言う事を理解しているかどうかは解らないけれどな」
高根沢は至って真面目に答えた。

 

 

「おおっ、トシちゃんにこうちゃん!来てくれたのかね?わしは嬉しいぞっ。大きくなったなぁ〜」
果たして遼太郎じいさんはちゃんと覚えていてくれた。
尤も、こちらの方が「トシちゃん」に「こうちゃん」が自分達の事だと気付くまでに少し時間を要したが。
そうそう、そんな呼び方をしたのは、子供時代を除けばこの老人だけだった。
「大きくなったなぁ」には、既に大きかった筈なので少し疑問を感じたが、突然大学時代に引き戻された気がした。
「もう、おじいさんに掛かるとわたしたちは大学生のままみたいだね♪」
何時の間にか挨拶回りから戻って来ていた坂羅井が嬉々として言った。
「ありがとう。見てよ、このおじいさんの笑顔。すっごく喜んでるよ♪」
坂羅井が言うまでもなく、遼太郎じいさんは満面に笑みを浮かべている。
「すーっと待っていたんだよ。良く来た良く来た………何じゃい、この花は。そうかいそうかい、わしにくれるの か?ありがとうよ」
補聴器を付けた耳で一生懸命、彼らの声を聴こうとしている遼太郎じいさんを見ている内に、高根沢はまるで自分の祖父と接しているような錯覚を起こしていた。
物心の付いた時には、父方母方どちらの祖父母も既に他界していた。
妻・瑠璃子の祖父母も既にない。
だから、そんな味は知らなかった筈なのに………
「あんた達は、みんなわしの孫じゃ。そんな気がしてならんわい」
期せずして、遼太郎じいさんが同じような事を言った。
作崎は大家族だったので、暖かく接してくれた既に亡き自分の祖父の事を思い出していた。
少しほろっとした。
「あんた達、忙しそうじゃが、身体を大切にしなけりゃならんぞ。わしのように長生きせにゃあ。この世をもっと面白おかしく生きなけりゃ、損するからの。因みにわしゃ、あと10年は生きるからのぉ〜。ふぉほほほほ……」
遼太郎じいさんは心から楽しそうに笑った。
「遼太郎さんもいつまでも長生きして下さいよ!」
高根沢は遼太郎じいさんの耳元で、良く聞こえるように大きな声で言った。
おじいさんは、満足そうに笑って大きく頷いた。
「あんた達も、もっともっと立派になりなさい。現状に満足したら終わりじゃぞ。わしゃあ見届けてやるからの。わしの生き甲斐の1つじゃい……」
『遼太郎さん』は遠い目をした。
他のどんな客に声を掛けられるのよりも、一番幸せそうな顔をしていた、と後で坂羅井が2人に語った。

 

 

来て良かった………
作崎も高根沢も心からそう思い、気持ち良く酔った。
そして少し自分の家族や親戚が恋しくなった、そんな1日だった。
これを有意義な1日と呼ばずして何と呼ぼう。
素敵な休日だった。
 

 

EPISODE−9  −終わり−