花吹雪の刹那

 

※この作品は50000hitの秋枝岐路様からリクエストを戴き、書かせて戴いた物です。
 秋枝さん、ありがとうございました。m(_ _)m

 

「一さん、恋をしていますね」
同室の沖田総司がそう呟いたのは、桜の蕾が綻び始めた宵の事である。
毎日毎日が剣戟に明け暮れる日々。
そんな生活の中で病いを得た沖田は、夕方になると発熱が起こる為、夜の巡察を前に横になって身体を休めている。
「一さんがあの女(ひと)を見る時の眼がね、違うんですよ。私には解るんです」
沖田は驚いている斎藤一に笑って見せた。
斎藤は恋をしているなどと言う実感は無かった。
沖田の言葉に純粋に驚いている。
「何を言っているんだ?沖田さん」
「羨ましいなぁ。私にはもう恋なんて出来ないから」
沖田は寂しげにうっすらと微笑んだ。
「そんな事は…」
力付けるような口調でそれを否定しようとした斎藤だが、それが暖簾に腕押しである事にすぐに気付いた。
沖田は自分の不治の病いを知っているから、恋と言う物については既に諦めている。
そう思うと、斎藤の胸は痛んだ。
しかし、沖田は違う事を言った。
「私は元々女の人が苦手でしたからね。別にいいんですよ。それより、一さんの恋が成就してくれるといいな、って、本気で思っているんですよ」
「ま…待ってくれ。何の事だかさっぱりだ……」
斎藤はうろたえた。
沖田が言っている事に全く自覚がない。
「意外だなぁ〜一さんってもっと自分に対して冷静だと思ってた」
クスクスと笑いながら、沖田は起き上がった。
「先日来から近藤先生の護衛で黒谷へ行った時に私達に茶を出してくれるご婦人が気になるご様子ですがね」
「えっ?そんなに不躾な目付きであの女(ひと)を見ていたと言うのか?」
斎藤の眼があらぬ方向へと泳いだ。動揺している。
その様子をつぶさに見ていた沖田が、たまらずに吹き出した。
少し噎せて軽く咳き込み出したので、斎藤はそっと彼の背をさすってやる。
沖田は咳が収まるのを待って、続けた。
「違いますって。慎み深い一さんが例え泥酔状態だってそんな事をする物ですか。でもね、我を忘れてボーっとしていたと言う意味では、不躾だったかも知れませんね」
「からかっているのか?沖田さん」
斎藤の頬が紅潮した。
「私は本気ですよ。あの女、時尾さんと仰るそうです」
「な…訊いたのか?あの女に」
「ええ、訊きましたよ。原田さんと一緒に行った時にね。私は人畜無害に見えるようで、あの女も警戒する事なくいろいろと話をしてくれましたよ」
「…………………………」
「いい名前じゃないですか。会津から父上に付いて出て来られたとか。意外にも槍の遣い手だそうで、原田さん と盛り上がっておられました。会津の人は朴訥だから、女の人にまで武道の教育をするのですかね?」
「…………………………」
「今度、話をしてみなさいよ。見掛けはあの通り美しい女ですけど、男勝りで面白い女ですよ」
沖田は、そう言い残すと、巡察の為に部屋を出て行った。
取り残された斎藤は、複雑な表情で腕を組んだままだった。

 

 

それから2日後、斎藤は永倉新八とともに、黒谷へ行く事となった。
永倉は沖田と原田左之助にある事を言い包められている。
2人は近藤と別れていつものように控えの間へと通される。
永倉は部屋に足を踏み入れるや否や、
「ちょっと厠に……」
と慌てふためいた様子で席を外してしまった。
それと入れ替わりにいつものように茶菓を持って『時尾』と言う女性が入って来た。
いくら会津藩御預かりの身だとは言え、泣く子も黙る新撰組に茶を出すなどと言う事は、花の乙女にはなかなか勇気のいる事である。
斎藤は物怖じをしないこの娘に感心した。
沖田にあんな事を言われたばかりなので、余計に彼はこの娘の事を意識して見てしまった。
歳の頃は自分と同じ位のように思う。
気の強そうな顔立ちだ。そして、理知的ではっきりとした光を放つその瞳が美しい。
きちんと結った髪には一筋の乱れもなく、躾の厳しい家柄の出自と知れた。
「あら、お連れ様はどうなさいました?」
時尾と言う娘は、三つ指を付いてお辞儀をした後、斎藤にそう訊ねた。
大体この娘との受け答えは、いつも一緒にいる沖田や原田、永倉がしていた。
斎藤は直接彼女に答えるのが初めてだった事に気付いた。
「厠を拝借しているようです」
喉が渇いた。目の前に出された茶を異常なまでに喉が欲している。
しかし、手は出なかった。
何だろう?この妙な感じは……。
今、刺客に襲われたら、自分は無防備かも知れない。
斎藤はそう思った。
この心の動きが『恋』と言うものであると言う実感は、斎藤には無い。
「斎藤様がお話しになるのを初めて聴きました」
時尾が袂を口に当て、ほほほ、と笑った。
永倉の事は『お連れ様』と呼び、斎藤の事は名前で呼んでいる。
この違いに沖田なら気付いただろうが、斎藤は全く気が付いていない。
何とも恋愛に不器用な男だ。
彼の人生に今まで『剣』以外の物が存在しなかった故、であろう。
『女の人は苦手』と言う沖田よりも、実は斎藤の方が恋愛事に疎かったのだ。
先頃、脱走の罪で切腹した総長・山南敬助は、そんな沖田と斎藤の対比を一番良く見ていた人物だ。
「斎藤君は老成しているように見えて、男女の間の機微と言う物はまだ解っていないようだね」
いつか、斎藤にそんな事を言った事がある。
探索中に心中者の遺体を発見した時の事だ。
斎藤は自分自身の生活の中から、女性と言うものを締め出していた。
闘いの中に身を置いている自分は、いつ斬り死にしてもおかしくはない。
だから、思い人などを作る事は出来ない。
ある種、病いのせいで女性を近付けない沖田の内心と似ているのかも知れない。
同じ状況にありながら、隊士の中には時間と金さえあれば、島原に通い詰める者もいた。
いつ死ぬか解らないのなら、本能のままに……そう言う気持ちなのだろう。
斎藤がそう言う道を取らなかったのは、彼が潔癖症だった事にも起因している。

 

 

しかし……時尾と2人きりになってみて、この胸の辺りに遣えているモヤモヤした物が何かに形を変えて行こうとしているような予感が起こった。
厠に立った筈の永倉はまだ戻って来ない。
斎藤は謀られたな、と呟き、小鬢を掻いた。
「何か仰いましたか?」
時尾が真っ直ぐな視線を斎藤に向けた。
「いや……折角ですから、その茶を頂戴します」
「どうぞ」
微笑む時尾の前で、一気にそれを飲み干した。
「まあ、喉が渇いておいででしたのね。すぐに替えをお持ち致します」
時尾は急いで立ち上がった。
視界から素早く消えて行った時尾を見送って、斎藤は心の臓がドキドキと音を立てている事に気付いた。
眩暈まで感じる。
呼吸が速くなり、やたらに喉が渇く。
時尾が永倉の為に持って来た茶まで飲み干して、それでもまだ落ち着かない。
この状況を沖田なら笑って『恋の病いですよ』と言うだろう。
(何故だ…俺はどうしたと言うのだ?こんなに苦しいのは初めてだ……)
じっと座ってはいられなくなった。
此処にいれば、また時尾が戻って来る。
こんな処を見られたくはない。
斎藤は徐ろに立ち上がり、庭に出た。
気を落ち着ける為に、大剣を抜いて素振りをしたい処だが、此処は会津藩本陣。
それをするには少し憚られるところだ。
とにかく永倉を探そう。
何とか『目的』を見付けた斎藤は、時尾が戻る前にとそそくさとその場から離れた。

 

 

斎藤と時尾が再会したのは、戊辰戦争が勃発してからだ。
黒谷で別れたあの後、時尾は国許に戻った。
斎藤が新撰組と共に会津に入った時、女性だけで結成された『娘子軍(じょうしぐん)』の中に彼女はいた。
勇ましく額に鉢金を巻き、袂を紐でたくし上げ、袴を履いて、槍を片手に捧げ持った姿で真っ直ぐに斎藤を見る彼女に、彼はすぐに気付いた。
会津では、数え年16〜17歳の少年ばかりで組織された『白虎隊』などがあり、女子供までが闘いに駆り出される状況になっていた。
この闘いの中で、斎藤は副長の土方歳三と別れ、会津に残る事を決意する。
この一途な会津人達と行動を共にし、一緒に闘い抜く。
それは時尾が会津にいたから……だけでは無いだろう。
彼に付いては、長く生きていた割には謎が多く、諸説残っている。
如来堂の闘いで戦死したと言う情報だけは、誤報だったようだ。
その後、時尾と結婚し、警視庁に奉職するなど、彼は新撰組の中では数少ない天寿を全うした人物となった。

 

 

恋愛に不器用な斎藤が時尾の心を射止めたのは、その不器用さ故ではなかったのだろうか。
闘いの中で培った信頼感が、ある予感を伴って2人の中で愛に変わって行ったに違いない。
闘いが終わったとある春の日……2人は花吹雪の中で揃って、会津藩主・松平容保が建立した近藤の墓標に詣でた。
斎藤にとっては、新撰組自体の墓標でもある。
京で共に戦い、病いに朽ちた沖田の墓標でもある。
彼にとって、新撰組として生きた時代は、この花吹雪のように短い輝きの時だった。
斎藤は複雑な感慨を振り切って、彼の子を宿した時尾の肩を優しく抱き、ゆっくりと墓標に背を向けた。

 

− 終わり −

                                                              

※司馬遼太郎先生が『燃えよ剣』の中で書かれているようにこの時代に『恋』と言う言葉の概念は無かったようです。
 他の言葉に置き換えようと思いましたが、適当な言葉が見付からず、承知の上でこの言葉を使わせて戴きました。
 尚、時尾さんの設定については、全くの私の創造です。