帰らざる日々

 

 

あいつに逢いたい……
仕事に疲れた時、ふとそう思う事がある。
逢う事は2度と叶わない。
なぜなら、彼は既に鬼籍に入り、この世にはもう存在しない。
あれほど鮮やかに生き急いだ人間を、俺は他に知らない……

 

 

*        *        *        *        *

 

 

風見祐介が、ある事件で負った傷が悪化して短い生命を終えてから、4ヶ月が過ぎていた。
丁度この日は、祐介が生きていたら28歳を迎える筈の日であった。
松田梨樹は遣る瀬無い思いを抱えて、ベッドに横になっていた。
折角の休日だが、自宅でゴロゴロとしている。
明け方、祐介の夢を見た。
警察学校で同期だった彼と2人、コンビを組んである事件を追っていたのだ。
夢の中でも、祐介は既に体調を崩していた。
現実には、梨樹は元気な祐介の姿しか見ていない。
彼が梨樹達には、病み衰えて行く自分の姿を決して見せなかったからである。
だが、夢の中で一緒に聞き込みをしている最中に、祐介が突然身を翻して、梨樹の横から姿を消した。
梨樹はそれを気にしながらも、聞き込みを中断する訳にも行かず、目撃者からの事情聴取を続けた。
そして、梨樹が聞き込みを終えて振り返った時、真っ青な顔をして電柱に凭れ掛かって咳き込んでいた祐介は、激しく喀血して地面に崩れ落ちる寸前だった。
「どうして、黙っていたんだっ?!」
梨樹は走り寄り、祐介を抱き起こすと彼をきつく詰った。
「なぜ、黙って逝っちまったんだ……」
自然に涙が頬を伝った。
夢と現実がごちゃ混ぜになっていた。
祐介は、大量に血を吐いて血の気を失いながら、喘いでいた。
「お前には……知られたく、なかった……元気な、俺だけを……記憶に留めて、いて、欲しかった……」
「死ぬなよ。生きていてくれよ…。お前がいなくなったなんて、まだ信じられないよ」
夢の中で、目の前の祐介はまだ生きている。
しかし、梨樹はその世界でも祐介の死を認識していた。
それは多分、葬儀の日に遺体と対面したからに違いない。
「梨樹……黙っていて、済まない……でも、俺は、生きた。充分、生きたんだ……もう…いい……」
苦しげにうめく祐介の顔色は紙のように蒼白く、痛々しく血に塗れ、儚くも美しかった。
「射撃大会で手合わせをする約束じゃないか?逝かないでくれよ。どうして死んだんだよっ!?約束を果たさずに死ぬだなんて……」
梨樹の顔が涙でグチャグチャになっている。
そんな彼の腕の中で、祐介の身体から次第に力が抜け……そして急激に冷たくなって行く。
その生気が無くなって行く様が妙にリアルで、梨樹は後で目覚めてからも、その手に残る感覚を覚えていた。
「祐さん…笑ってくれよ。どうしてお前が死ななければならないんだよ。眼を開けてくれよっ!!」
喉が張り裂けんばかりに、梨樹は叫んだ。
「梨樹……!」
今、梨樹が抱いていた筈の祐介の亡骸はその腕の中から掻き消えていた。
そして、10m程先の路上で、陽炎のように微笑む祐介の姿があった。
その祐介が、梨樹を呼んでいる。
「そんなに悲しまないでくれ。お前にはこれからの未来があるんだ。愛する人が出来て結婚して、お前の血を引く子供が生まれて、暖かな家庭を築いて行く。お前にはそれが似合いだし、そうなって欲しいと思っている。お前なら、愛する人を悲しませる事はしないだろう……」
祐介の微笑みが穏やかに陽炎の中で揺らいだ。
梨樹は、それがいつ消えてしまうかと不安になる。
だけど、こう言わずにはいられなかった。
「お前は、悲しませてしまったな。祐さん……」
「俺だって、悲しませたくなんかなかったさ……でも、仕方が無かった」
祐介は寂しげに笑った。
「お前は、大丈夫さ。俺が着いててやるよ。だから、もう悲しまないでくれ。お前の前から永遠に姿を消しても、俺はいつも近くにいるよ」
段々と祐介の姿が透き通り始めた。
「楽しかったよ。一緒に捜査が出来て……」
彼の最後の言葉だった。
彼はまるで遺言を託すかのように、それを伝える為に梨樹の夢に出て来たのだ。
これは単なる夢ではなく、祐介の本心であろう。
祐介の残像がそのままフッと薄れて、やがて霧のように消え去ってしまった。
梨樹は『祐さんっ!!』と叫んで、ガバッと寝床から跳ね起きた。
そこで初めて、今の祐介との邂逅が夢の中での出来事だったと知るのであった。

 

 

「そうだな、祐さん。楽しかったよな……」
梨樹はやっとベッドから起き上がり、呟いた。
そして、帰らざる日々に思いを馳せながら、在りし日の祐介を偲んだ。
「今度の射撃大会には、出場するぜ。お前に挑戦してやる。お前が持っている大会最高得点と、連続優勝記録をいつか抜いてやるからな」
祐介と手合わせをする約束を果たす方法はそれしか無いのだ。
「待ってろよ。約束はきっと果たすから……」
松田梨樹は急に全身に力が漲って来るような気がした。

 

− 終わり −