蛍、舞い来て

 

※この短編作品は160000hitをゲットして下さった星 飛竜さまからリクエストを戴き、書き下ろしたものです

 

 

時は慶応3年、初夏。
土方歳三は馬上裃姿。
黒谷の会津藩本陣に沖田総司率いる1番隊を護衛に、局長・近藤勇の代理として出仕した帰りである。
1番隊の隊士達を先に屯所に返し、馬上から飛び降りると、土方は無造作に裃を取り外して、馬の鞍に投げ掛けた。
土方は沖田と2人切りになりたかったのだ。
自ら馬の轡を取って、引き乍ら沖田と薄暗闇の中を並んで歩いた。
「馬なら私が引きますよ」
「構わねぇ。隊士も返した事だし、気を遣う事はねぇだろう。……屯所じゃあ、おめぇとゆっくり話も出来ねぇからな…」
土方はぽつりと呟いた。
「総司よ、河原に下りねぇか?」
言い出した時には沖田の答えを聞くまでもなく、馬を手頃な木に繋ぎ止めると、河原に向けて駆け降りていた。
河原に下りると爽やかな風に迎えられた。
「うわぁ〜気持ちの良い風ですねぇ。見て!星もあんなに沢山瞬いている」
土方に続いて土手を駆け降りた沖田が無邪気な声を上げた。
走った後で少し呼吸が苦しそうだ。
しきりに肩を震わせているが、出来るだけその素振りを見せないようにしている。
土方はそんな沖田を痛まし気な眼でそっと見詰めた。
「ああ、蛍だ!綺麗だなぁ〜」
満天の星空の下、足元には草叢を優雅にふわふわと舞う、仄かな光達。
沖田は蛍を驚かせないようにと静かにしゃがみ込んだ。
蛍は実際の姿は美しいものでは無いが、暗闇迫る河原でこうして見ると、これほど風情があって美しい物はない。
沖田は子供の心を持ったまま大人になったような男だ。
土方は涙さえ出そうな切ない気持ちでそう内心呟いた。
「豊玉宗匠、良い句が出来そうではありませんか?」
振り向いた沖田に俳号で呼び掛けられて、土方は迂闊にも返事が出来なかった。
もうすぐ失われる事になる眼の前の男に向けて、溢れる言葉で頭が一杯になっていたのである。
「土方さんってばっ!もう句作に入っちゃったんですか?」
沖田が呆れ顔で呟いた。
「まあ、殺伐とした毎日ですから、たまには綺麗な物に心を奪われる事も無くちゃね」
「総司っ!」
土方は突然、沖田の右手首を掴んだ。
沖田は剣客の常で、ついその手首を掴まれる前に外そうと動き掛けたのだが、敢えてそれを止めた。
「……何です?」
土方が何を言おうとしているのか、彼にも解っていた。
だから、次の言葉は聞きたくなかった。
ふっと眼を逸らした。
「生命って素晴らしいですね。こんなに精一杯、力一杯輝いて、一瞬一瞬を大切に生きている……そして、その輝く一瞬でこうして私達の心まで和ませてくれる」
「総司、こっちを見ろっ!」
土方が真摯な眼で沖田の顔を覗き込む。
蛍の光などまるで眼に入っていない。
「お前、相当無理をしているだろう?江戸にけえって養生したらどうなんだ?良くなるまで待っているから」
ついに土方は思いを吐き出した。
だが、思わず棒読みになってしまっていた。
眼の前の男を江戸へ返したら、恐らくもう2度と逢えはしまい。
それが解っているからこそ、正直言って彼を手放したくなかった。
「土方さんだけは、それを言わないでくれるかと思っていたのに…」
沖田は寂しげに瞳を閉じた。
「そんな事より見てご覧なさいよ。この生命の輝きを。私はまだまだ剣士としてもう1度輝こうとしているんですよ。いいえ、きっと輝いて見せますよ。だから………もう少し、待っていてくれませんか?」
土方は沖田の言葉に押し黙った。
「見ていて下さい。そして、1番隊隊長として働けないと思った時には、きっと潔く自分で戦列を離れますよ。自分の拘りの為にみんなの足手纏いになるような事は武士の恥ですから。私に取ってそれほど辛い事はありませんよ」
最後の一言が切なく寂しく土方の言葉に響いた。
「解った。総司よ、好きにするがいい。この俺が見ていてやるから」
土方は沖田の余りの真剣さに押された。
何かが彼の中で氷解していた。
「お前の生き様は俺がちゃんと見届けてやる。だから、俺の傍にいろ」
沖田の茶筅に結った頭を乱暴に引き寄せた。
土方は改めて蛍の舞いに眼を細めた。
血生臭い毎日の連続、こんなに澄んだ気持ちになれたのは、随分久し振りの事だった。
「ああ、良い句が出来そうな夜だな。総司が夜風に冷えない内に一句捻るとするか」
「豊玉宗匠、期待していいんでしょうね。駄句は止めて下さいよ。笑い転げて咳が止まらなくなると困るんだから」
「この馬鹿野郎!おめぇのせいだ。出来るまで付き合いやがれ!」
土方は頬を赤く染めて怒鳴った。
周りには誰もいない。
遠慮の要らない兄弟のような2人に戻っていた。
土方の剣幕に沖田はプッと吹き出した。
「いつまででも付き合いますよ。土方さんには必要な時間だもの」
穏やかな風が優しく微笑ましい2人の頬を撫でて行った。

 

− 終わり −