仕掛けられた銃声

 

 

その事件は、渋谷区にあるごく普通のアパートで起こった。
「原さん!新聞の集金です!………何だよ、またいないのか……しょうがねえなぁ。口座振替にして貰わなきゃ溜まらんぜ!」
50代に差し掛かった新聞の集金員はぶつくさと独り言を言いながら、その部屋のドアに口座振替の申込用紙を挟み込もうとした。
少しだけ隙間が開いていた。
「何だよ。いるんじゃねえか。原さ〜ん!開けますよ!!」
彼はドアを引っ張った。
次の瞬間、彼はグッと唸ってドアの外へ弾き飛ばされていた。
腹部を真っ赤に染め、既に息は無かった。

 

 

*     *     *     *     *

 

 

「何か心当たりは無いのか?」
三原署捜査一課の風見祐介は、現場となった部屋の持ち主である相棒の原優(すぐる)に静かな声を掛けた。
思い当たる節の無い原は、黙って首を振る他無かった。
自分が生命を狙われていた、と言う事よりも、その為に何の関わりも無い人の生命が奪われたと言う事実の方が彼には耐え難い事であった。
彼の部屋のドアが開くと同時に、キッチンのテーブルの上にセットされた拳銃の引き金が引かれるように仕掛けられていたのだ。
被害者は既に息絶えており、現場検証の途中で運び出された。
近所の人々が原を胡散臭そうな眼で見ながら、ヒソヒソ話している。
どう考えても、被害者は原の代わりに巻き添えを食って殺されたとしか思われない。
「原、お前が狙われた可能性は否定出来ないが、まだそうと決めるのは、早計だと思う。用心深いお前が鍵を閉 めずに出掛けるとは思えないし、ガイシャが此処の鍵を持っていた筈は無い。とすれば、ホシが意図的に鍵を 開けて行ったとも考えられる」
祐介はいつでも冷静に全ての可能性を脳裡に描き、それに基づいて行動する。
今回も例外ではなく、ショックが大きい相棒の分まで自分が冷静になるように努めていた。
同僚達は既に近所への聞き込みに走り、銃器に造詣の深い祐介は、鑑識の検証に立ち会う為に現場に残されていた。
巡査部長の沢木の指示で、一刻も早く原を一個人としてではなく、刑事としての意識で働けるようにする事、それが彼のもう1つの重大な任務であった。
それは決して楽な仕事では無いが、確かに原とは同期で、他の誰よりも彼との付き合いが長い祐介が一番の適任である事は、沢木でなくとも明白だった。
祐介は、まずは原の自責の念を取り払ってやる事から始めなくてはならなかった。
確かに被害者に対する責任はある。
しかし、犯人を捕らえるまでは忘れる事だ。
犯人逮捕。それ以外に今、原が被害者にしてやれる事は無いのだから。
祐介はそれを言葉ではなく、態度で、行動で、原に示した。
即ち普段の事件以上に捜査に没頭させる事である。
殺人の仕掛けの解明に原を引っ張り出して、とにかく余計な事を考えている暇を与えない。
その仕掛けは単純な物で、拳銃を扱える者なら容易に出来る物だと言う事が解った。
そして、使用された拳銃はモデルガンを改造した物で、そこいらの拳銃ブローカーの扱っている物では無いと言う事も、祐介の知識の範囲にあった。
「………つまり、無差別殺人の可能性も否定出来ないと言う事さ」
祐介の言葉に原は憂い顔を上げた。
「愉快犯と言う奴だ。お前の部屋を選んだのが、意図的な事なのかどうかは予測が付かないけどな」
「………………………………」
「自分の作った改造拳銃の威力試し……だとしたら、全く身も凍るような話だな」
形の良い眉を顰めて、祐介は呟いた。
「だから………いろいろな方面の可能性を、地道に消去法で消して行くしか無いんだ………。お前、最近鍵を落 としたり、合鍵を作ったりしなかったか?」
「今、俺もそれを考えていたんだ。実は2ヶ月位前に合鍵を作った」
原は心ならずも、照れながらそれを言った。
祐介は相棒の顔を見て微笑んだ。
原に合鍵を渡すような女(ひと)がが現われたのを、彼は鋭い勘で既に気付いていた。
今日の事件で綺麗に整頓された部屋の中を見て、その確信を強くしていたのだ。
そして、それを原の為に密かに喜んでいた。
祐介を愛する事以外には盲目な沢木部長刑事の妹・瞳を、この原が愛していた事を彼は知っていたからだ。
「一応、後でその女(ひと)にも事情を訊かなくてはならないが、気を悪くするなよ。俺はお前が選んだ女を信じているから」
「お前にはこんな形で紹介したくなかったな」
原が困った顔をした。
「それは俺も同じ事だ。………とにかく、その合鍵を作った店は何処だ?早速行ってみよう」
現場検証は一段落付いていた。
祐介は原を促して部屋を出掛けたが、フッと振り返って静かに言った。
「お前が狙われている可能性が無くなった訳じゃない。気を付けろよ。2人共拳銃不携帯なんだからな。絶対に勝手な行動はするなよ」
「解ってる。でも、いつもお前に気を揉んでいるから、たまには逆になってみようか………」
笑った見せた原に『バカヤロー』と呟いて、祐介は彼の額を小突いた。

 

 

金物屋さんは、原とは顔見知りで、当年70歳の茶目っ気溢れる可愛いおじいさんである。
少し耳が遠いので、嫌いな相手には聴こえない振りをするが、近所の好青年『原くん』には好意を持っているらしく、店の前で掃除をしている時に彼の姿を見付けて、飛びっきり明るい笑顔を見せてくれた。
「やあ、今日はハンサムな友達を連れて来たんだねぇ。儂の若い頃のようだの」
屈託の無い顔で原と祐介を迎えた。
「おじいさん、昔は結構いい男だったんだ」
原は笑って訊ねた。
これにはおじいさん、大いにご不満だったようだ。
「昔は、とは何だね。今も男前じゃろ?」
「ところで、ちょっと訊きたい事があるんだけど、手を休めないでいいから聞いて」
原が改まった顔になった。
「実は2ヶ月位前におじいさんに家の合鍵を作って貰ったんだけど、あの時の金型はどうしました?」
原の言葉が終わるか終わらないかの内に、おじいさんの竹箒を操る年老いた手が止まった。
気丈にも心の動揺を隠し、
「あれはすぐに処分したよ」
とぶっきら棒に答えたが、祐介はおじいさんの一瞬の狼狽を見過ごさなかった。
原と顔を見合わせると、そっとそこから立ち去り、原達の姿を横目で見守りながら、近所の人々への聞き込みを始めた。
原はそのままおじいさんに質問を続けた。
「何処かに捨てたのを誰かに拾われると言う可能性は無いのかな?」
「そんな事はせんよ。大事なよそ様の安全を預かっているんだ。すぐに溶かして処分してしまうよ」
おじいさんは今まで原に見せた事も無い頑固爺いの一面を出した。
「長年この仕事をやっているおじいさんに限って、そんな事は無いと思うんだけどね………」
こんな風に原が降参しそうになった時、祐介が何か収穫を持って戻って来た。
「すみません、ちよっと中で話を聞かせて下さい」
祐介は優しくおじいさんを店の中へ誘(いざな)った。
「実は先々月にあなたがヤクザ風の男に脅されていたのを見ていた人がいるんです」
店の扉を閉めると祐介はすぐに切り出した。
「………その時、何があったのか話しては戴けませんか?」
祐介は真摯な、そして穏やかな瞳でおじいさんを見詰めた。
「ご心配は要りません。悪いようにはしませんから。我々が追っている事件に、多分、重大な関係があるのです。
 事件が解決するまで、あなたの身に危険が及ばないように、特にこの辺のパトロールを強化させます」
金物屋のおじいさんは、しばし黙していた。
祐介の優しい瞳から、原の暖かい瞳に視線を移し、それから、自分が原の部屋の鍵を作った直後に、脅されてもう1つ合鍵を作った事を白状した。
「おじいさん、それで半月位前に逢った時、俺にもう1つ鍵を付けた方がいいよ、だなんて勧めたんだね?」
原は、既にこの悄然としたおじいさんを許している。
「………そのヤクザ風の男の顔、覚えていらっしゃいますか?」
祐介が丁重に訊いた。
「覚えているとも!何度か見掛けた顔だからの。わしゃこう見えても、耳は遠いが眼は良く見えるんだ」
こうして、おじいさんはご自慢の視力を警察で発揮する事になった。

 

 

金物屋のおじいさんが協力して出来上がったモンタージュ写真は期待以上の出来だった。
当事者の原ではなく、相棒の祐介の方はその顔に見覚えがあった。
とは言え、、多くの事件を扱う内に被疑者だけではなく、沢山の人に出逢うのだから、それが誰であるのかを容易に思い出す事は出来ない。
前科者リストを調べる内にそれに酷似した顔が出て来て、原にもその記憶を蘇らせた。
「あのモデルガン・マニアか………」
原は苦い顔で呟いた。
それは1年程前のある夜、祐介が宿直に当たっている日の夜だった。
久し振りに高校時代の友人と出逢って、酒を飲みに行った原が、近くのゲームセンターでの喧嘩騒ぎに出くわした。
腰に下げた自慢のモデルガンを酔っ払いのチンピラに馬鹿にされ、熱くなったガンマニアの少年・澤田道也が、自制の出来ない幼稚な怒りに任せて、チンピラに暴行を加えたのだ。
チンピラの傷は大した事が無かったし、どちらもどちらと言う大人気ない事件だったが、騒ぎを聞いて駆け付けた原は少年を署に連れ帰った。
しかし、被害者のチンピラの方が姿を眩ましてしまったので、刑事事件にはならず、少年は厳重注意だけで釈放される事になった。
少年によると、そのチンピラは本物を携帯していたらしく、それをチラチラと見せ付けながら、大人気なく少年に絡んで来たらしい。
それを聞き流せる程、少年は大人では無く、気が付いた時には夢中でその酔っ払いチンピラを殴っていた。
普段はこんなくだらない事件に振り回される事が多い刑事達である。
「なるほど。その男もこんな事で銃刀法違反でしょっ引かれる訳には行かなかった訳だな」
宿直の祐介が、調書を取りながら苦笑した。
彼は末端にはびこる1つ1つの拳銃まで撲滅したいと考えていたので、少年に協力させて、チンピラの顔と名前を割り出した。
勿論、この後、すぐにチンピラは彼に逮捕され、その背後の密輸組織まで暴かれる結果となった。
ところで、この16歳になる少年には、身元引受人になるべく者が居なかった。
幼い頃に親に捨てられ施設で育ったらしいが、数ヶ月前、其処を脱走した。
年齢を誤魔化しながら日雇い労働でその日暮らしをし、悪い遊びを覚えていた。
彼の異常なまでのモデルガン信仰は、どうやら施設の前に捨てられていた3つの時に、『サワダミチヤ』と書かれた半紙と、少ない衣服と共に添えられていたおもちゃのピストルに端を発しているようだ。
彼はそれを大きくなるまで後生大事に持っていた。
それが、復讐心を忘れない為であると言う事は誰にも解らなかった。
少年は頑として、その施設の名は告げなかった。
刑事事件にならない以上、警察に泊める訳には行かず、原が自分のアパートに一晩預かり、新聞配達の仕事を世話してやったのだが、三月と持たずに辞めてしまったと後に聞かされ、ガッカリした物だった。
それきり消息を絶っていたあの少年が、なぜこんな事をしでかしたのか。
歳より大人びて見えた彼は、確かに背伸びをすればヤクザ風に見えるのには違いない。
祐介の分析によれば、1年前の彼のモデルガンに比べて、今回の犯行に使われた改造拳銃は、遥かにグレードアップしていると言う。
何が、彼を理不尽な殺人に走らせたのだろうか………?

 

 

祐介が、殺された新聞集金員・佐和田敏成が、最近幼い時に生き別れた息子と再会したらしい、と言う話を情報屋から仕入れたのは、事件発生から3日が過ぎた頃だった。
祐介には1つ引っ掛かる事があった。
あの少年の名前である。
澤田道也………字こそ違うが、彼の『澤田』は『佐和田』から来ているのではないか?
だとすれば、全ての辻褄が合う。都合が良過ぎる位だ。
原が紹介した新聞販売店には、被害者の佐和田が勤めていた。
そこで出逢った事がふたりの運命を変えたのだ。
幼き日に自分を捨てた父親を許す事など、あの少年には出来る筈が無かった。
やはり、あれは巧妙に仕組まれた計画的殺人だったに違いない。
最初に祐介がその考えを原に告げた時、彼は信じようとはしなかった。
あの少年の拳銃好きは、父親への憧憬による物だったと思いたかった。
それは祐介も同じだった。
「あの子にも一分の良心はあったのだと思いたいな。被害者も、そして彼もお互いの相手にした事は許される事じゃない。でも殺したい程憎んでいたにも拘わらず、実の父親を直接自らの手に掛ける事だけは、彼には出来なかった………そうじゃないかな?」
祐介は静かに言って、刑事部屋の窓からじっと外を見る原の肩を叩いた。
「………そして、お前の部屋を犯行に使ったのは、彼からのお前に対するSOSだったのかもしれない」
原が突然祐介の方に振り返った。
「風見っ!あいつ、死ぬかもしれない!!」
既に近隣の各警察署には手配書を配り、澤田道也の行方を追っている。
「いや、今まで見付からない処を見ると、もう手遅れかも………」
原は握り拳を震わせた。
「馬鹿っ!そんな事を言っている暇があったら、捜すんだっ!手配地域を広げよう!!」
祐介は原を叱咤して無線機を掴んだ。

 

 

澤田少年の捜索は夜半まで行なわれたが、消息すら掴めなかった。
朝まで一旦捜索の手を休める事になり、自宅へ帰った原の眼に、玄関前に飾られた花束が映った。
そして、ハッとする彼の前に1つの影が現われるのである。
影はフラッとよろめくように原の前に飛び出して、消え入りそうな声で、やっと呟いた。
身体中に擦り傷を作り、顔は泥に塗れていた。
「………死のうと思ったんだ。でも、死に切れなかった。気が付いたら、此処にいたんだ。此処しか帰って来る場所が無かった…」
今、思い切り素直に、無垢になったその少年の瞳は潤み、近くを通った車のライトに照らされてキラリと光った。

 

− 終わり −