試衛館の柿

 

 

「あの柿の木はどうしたかなぁ?」
病床で沖田総司はポツリと呟いた。
「試衛館の裏にあった大きな柿の木………土方さん、私の為にあれに登って……柿の実を取ってくれましたね………」
総司の眼が懐かしそうに和らいだ。
「ああ。そんな、のんびりした時代があったなぁ…」
土方歳三の声も、この部屋では穏やかだ。
総司の枕元で胡座を掻いている。
「私にはどんなに背伸びしても届かなかった………それが土方さんにはいとも簡単に」
「今なら、届くさ。総司にもな。俺よりもでかくなりやがって……」
土方はこの屯所では他の誰にも見せた事の無い優しい笑顔を、総司に向けた。
池田屋で倒れて療養中の総司を、久々に見舞う事が出来た土方は、心の鎧を脱いで此処に座っている。
「何だって、あんな古い柿の木の事なんざ………」
「夢の中で、昔に戻った私は、届かない柿に必死になって手を伸ばしていた………」
「夢か……」
「眠る時間だけはたっぷりありますからね……近藤先生も土方さんもなかなか私を隊務に復帰させてくれないから………」
「何言っていやがる。まだ熱がある癖に」
土方は総司の額の上の手ぬぐいを手に取った。生暖かい。
桶の中の冷たい水に浸して絞り直し、また総司の額にそれを乗せてやる。
「なあ、総司………試衛館に戻ってあの柿の木を見てみねぇか。今なら、軽々と手が届く筈さ。試してみろよ」
「そんな事を言って、私を江戸に帰そうったって、駄目ですよ」
総司は笑った。
「私はまだまだ働けますよ。ちょっと寝ていれば、すぐに今まで通りに活躍出来るようになります。だって、私はまだ若いんですから。そんなに簡単に一生を終える訳には行かないんですよ。解るでしょう?土方さんなら」
「解るさ。一日も早く帰って来い。みんな待っているさ。だが、俺が許すまでは此処で寝ている事だ。な〜に、じきに復帰出来るさ」
土方は総司の枕元から立ち上がった。
「総司。慰めじゃねぇ。解るな。俺の気持ちが………」
「解りました。今しばらく療養して、きっと一番隊に復帰しますよ。驚く程早く回復して見せますから、覚悟しておいて下さいよ」
「待ってるぜ」
土方は言い残して立ち去った。
池田屋の事後処理で忙しい身なのだ。
土方さんこそ、身体を労わって下さい……
総司の眼がそんな思いを込めて、彼の後姿を見送っていた。
いつか一緒に試衛館の柿の実を食べに行きましょう。
それまで、私は生きていなければね、土方さん。
総司は何時の間にか、夢うつつになっていた。
次の朝、昨日までと違って、何か清清しい目覚めの時を迎えた総司は、ふと起き上がって見る気になった。
気が付くと彼の枕元に、何かが書かれた懐紙がある。
土方の手によるものだと言う事はすぐに解った。
下手な俳句と、柿の実らしき絵が描いてある。
土方にしてみれば、きっと本物の柿の実を置いて行きたかったに違いない。
時期的に無理な相談なので、柿の実を描いて洒落たつもりなのか………。
総司はプッと吹き出した。
「相変わらず下手な句だなぁ〜」
そこには、『届かない 柿の実食らうて 本復なれ』 などと、訳の解らない句が書かれている。
届かなかった柿の実にも、今なら手が届く。自分でそれを手に入れられるように早く良くなれ………。
総司には、この表現不足な句に込められた土方の気持ちが理解出来た。
堪え切れずに笑いが洩れて来た。
少し咳き込む。
咳き込みながら、心の中で呟いた。
土方さん、ありがとう………何よりもの薬だよ………。

 

 

因みにこの句が豊玉発句集に収められる事は無かった。
多分、総司が散々に虚仮下ろしたに違いない。

 

− 終わり −