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記憶の彼方へ…

 

※この物語は65000HITをGetして下さった佐貴さまからの
リクエストで書かせて戴きました。
オリジナルキャラクターで書いたのは私の判断です。

 

風見祐介はある懸念を残したまま、それを解決出来ずに息を引き取った。
彼が生きている時点で、その懸念された出来事は実際に発生していなかったからである。
それは彼の死後、数年先になって現実となった。

 

 

彼が銃弾に倒れた時、傍にいた少女がいた。
当時4歳。
その少女の眼に焼き付いた血の海。そして血まみれの祐介の姿。
その事が将来、少女にとってのトラウマになるのではないか……。
風見祐介が危惧していた事はそれである。

 

 

少女は10歳に成長していた。
あの時の恐怖と大好きな『おにいちゃん』を失った哀しみは、一見形を顰めているように見えた。
あの日から既に6年。
慕っていた風見祐介が逝って、5年の月日が経過していた。
ママのお手伝いをしたい年頃、ある日の台所でその予兆が始まった。
日曜日の昼食の支度をしている処だった。
「ギャ〜〜〜〜〜っ!!!」
何を見たのだろうか、と思う程の悲鳴を彼女・倉本裕美(ゆみ)が上げた。
異常な程に泣き叫ぶ彼女の視線の先には、誤って包丁で指を切ってしまった母の姿があった。
一筋の血が指から流れている。
出血の量は決して大した物ではない。
少し押さえていれば、止まる筈だ。
「どうしたの?裕美!?」
母親の郁江は自分自身の傷よりも、娘の変貌振りに驚いた。
眼を恐怖で見開いて、全身を震わせている。
「来ないで!触らないで!!」
書斎にいた父親の倉本克哉も娘の異様な悲鳴を聴いて飛んで来た。
どう声を掛けても泣き止まない。
裕美は何かに脅え、膝を抱えたまま石のように動かないでいる。
どうしたと言うのだろう……
まるで両親までを拒絶しているようだ。
「おにい……ちゃ、ん……」
最後に一言だけ、少女が呟いた。
泣き疲れ、脅え続け、やがて少女は静かになった。
疲れて眠ってしまったのである。
それ程のエネルギーを使い果たす程の彼女のトラウマに両親は気付いた。
大好きだった『おにいちゃん』……彼が、あの事件の後、心配して口にしていたあの事……。
倉本の脳裡にはくっきりと、あの時の祐介の苦悩の表情が思い浮かばれた。

 

 

「俺の為に、裕美ちゃんを人質に取られ……巻き込んでしまった。あれだけ怖い思いをさせてしまった俺は、裕美ちゃんの前にはもう顔を出さないでいようと思っています。俺の顔を見てはあの時の事を思い出し、恐らく血を見る事も彼女には多大なる恐怖になると思うんです……。『PTSD』こと『心的外傷後ストレス障害』と言われる状態です。男の俺が言うのも何ですが、彼女は女の子ですから、いずれは初潮があるでしょう。その時、裕美ちゃんに何も起こらなければいいんですが……俺には何もして上げる事が出来ません。せめて……裕美ちゃんの記憶から少しでも早く俺の記憶を消し去る事ぐらいしか……」
退院の挨拶に来た時の祐介の言葉だ。
苦しげに唇を噛み締めていた。
可愛がっていた少女の心から自分の記憶を消し去ろうなどと言う事は、彼自身にとってはどれ程に辛い事か。
彼は確かにあの時、自動小銃の弾雨に晒されようとした裕美の生命を、自らの身を犠牲にして救ったのだが……
こんな風に苦しむ事になろうとは。
自分の為にこの一家を巻き込んだと言う自責の念は、いつまでも彼を苦しめていたのだ。
この時、祐介は自分の生命の限界を知っていた。
自分がいなくなった後の『未来』に起こり得る事態を危惧している。
さすが、勘の良い彼の事だ。
その懸念はこうして、数年後に見事に当たってしまったのである。
祐介はその言葉通りに、その後倉本の家には顔を出さなかった。
季節の挨拶状が届くだけだった。
本当は病み衰えて行くばかりの自分の姿を見せたくなかったのでは…今となってはそうとも思えた。
それにしても彼の言う通り、可哀想だが『大好きなおにいちゃん』の記憶を消すしか、この少女を救う方法は無いのだろうか……
そして、そんな事が実際に出来るのだろうか。
倉本は頭を抱えた。
愛すべき風見祐介をそんな風に娘の記憶から消したくは無かった……。
とにかく、専門医の門を潜る事だ。
倉本は決意した。

 

 

翌日、倉本は裕美を心療内科に連れて行った。
倉本と同年輩の40代の医師は彼女を4歳まで退行催眠させ、あの忌まわしい事件の事を語らせる事にした。
「あなたは今、4歳です。何が見えますか?」
医師が訊ねた途端に、裕美は突然泣きじゃくり始めた。
「怖いよう〜!おじちゃんが裕美を撃とうとしてる!痛いのやだよぉ〜っ!!怖いよぉ〜っ!!
 おにいちゃんが……裕美を助けようとしたの……血が一杯出て……動かなくなっちゃった。おにいちゃん!死んじゃいやぁっ!!」
後半は半狂乱になった。
「おにいちゃん!!おにいちゃん!おにいちゃん〜っ!!どこに行ったの?逢いたい!……おにいちゃん!!………裕美を置いて行っちゃ嫌っ!……おにいちゃんが裕美を見て、『良かった……ごめんね』って言った。そのまま動かなくなっちゃった……イヤ〜っ!!血が沢山出て、おにいちゃんが動かなくなっちゃった〜っ!!…………いやっ!触らないで!来ないで!!……もう裕美をいじめないで!………怖いっ!!誰も来ないで〜っ!!」
バタバタと手足を動かして暴れ始めたので、医師はそこで催眠を解く事にした。
そのまま起こしても怖い記憶が頭に残るので、一旦鎮静剤を投与して眠らせた。
「……相当のトラウマになっているようですね」
医師は裕美が眠りに入ると、倉本夫妻に言った。
「故人の言うように、可愛そうですがその方の記憶を消すのが一番良い治療法だと考えます」
倉本が顔を上げた。
出来る事ならその結論を避けて貰いたかった。
「例えば、事件の部分だけ記憶を消す事は出来ないものでしょうか?彼との楽しかった思い出だけは残してやれないものでしょうか?」
「勿論、それは可能です。ですが、その方の記憶を残しておけば、いつかまた事件の事を思い出す事になりますよ。そう、初潮が起こる時、その時が一番危険です。少量でも血を見る事で再び恐怖の記憶を呼び覚まし、彼女自身が壊れてしまう事もあり得ます………その風見さんと仰る方の判断は正しいと思いますよ」
「………………………………………」
倉本は妻の郁江と暗然として顔を見合わせた。
「次回までにお父さんとお母さんとで、しっかりと話し合って来て下さい。大切なお嬢さんの為です。その人の事はご両親が覚えていて上げればいいではありませんか。このままお嬢さんがトラウマを引き摺って生きて行く事は、彼も望んでいないだろうと、そう思います。聡明な方ですな。若くして亡くなったとは言え、いろいろな意味できちんと物事を見て、正確に全てを見抜いている。さぞかし優秀だったのでしょう」
「………惜しい人でした。私よりもずっと若いのに………」
倉本は漸く言葉を吐き出した。
この胸の重さは何だろう。
そのまま重い心を引き摺って、倉本は病院を後にした。

 

 

そして、1週間後、倉本と郁江は娘の為に辛い選択をした。
その治療が行なわれる前、祐介の墓に詣でた。
裕美との最後の別れをさせてやりたかったのだ。
風見家の墓は、綺麗に掃除されていた。
供えられたばかりと見られる白百合の花も飾られていた。
誰からも愛されていた祐介だった。
此処を訪ねて来る者の中には身内は誰ひとりいない。
………いる筈が無かった。
彼の『家族』は全てこの墓の中にいるのだから。
倉本は静かに彼に手を合わせた。
これから行なう裕美の治療の事……。どうか許してくれ。
俺達夫婦は決して君の事を忘れはしないから……裕美の分まできっと覚えているから………。

 

 

やがて、両親の哀しみの想いの中、裕美への治療は行なわれた。
何度かに分けた催眠療法の中で、ゆっくりとその記憶は消されて行き、半年もする頃には裕美の症状は出なくなった。
これで良かったのだろうか?………倉本は今でも思う事がある。
彼ら一家にとって、心から愛すべき存在だった風見祐介。
別の意味でも彼を失ったような気がしていた………
新たな痛手は、倉本にとっては大きいものだった。
せめて生きていてくれれば……違う結末もあっただろうに。
裕美の記憶の彼方に消え去った彼を、倉本はそっと偲んだ。

 

− 終わり −