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北の果て〜いのち燃やして

 

※ この作品は125000hitをゲットされた北沢泉様に捧げます

 

「思えば随分遠くまで来たものだな……」
時は明治二年。
赤い液体の入ったグラスを片手に、窓際で夜景を見ている長身痩躯の男が呟いた。
彼を守るかのように後ろにそびえ立つ、屈強な大男が答えた。
「副長、今日は今までに無く穏やかな表情をしておられますな」
窓際の男は洋装・断髪だが、この男は和装に拘り、軍服が支給された時にも袖を通さなかった。
髷も結ったままである。
そんな頑固な処が窓際の男の気に入りだったようだ。
つい本音が出た。
「今朝、見た夢のせいかもしれんな……」
土方歳三は初めて、後ろを振り返った。
「お前も飲むか?」
「いいえ、私は沖田さんにあなたを守るようにと言われていますから、酔う訳には行かんのです」
土方は自嘲的に笑った。
「総司の奴……自分の事よりも人の事ばかり心配しやがって。島田君も厄介な用事を頼まれたものだな」
島田魁は新選組一番隊の伍長だった。
若くして病死した一番隊組長の沖田総司が彼にどんな頼み事をしたのか、弟のように可愛がっていた土方には良く解っている。
「京都の夢を見た……。まだ八木さんの世話になっていた壬生の時代だ。貧乏だったな。『身ぼろ』転じて『壬生狼』(みぶろ)などと蔑まされたものだが。あの頃は新選組も創生期、俺達が一番熱かった頃だな……。新選組が一番勢い付いて、輝いていた。面白い時代だったぜ。総司もいた。近藤さんもだ。源さんも……永倉も原田も、藤堂も……。そして……山南も!!」
島田は土方が涙を零すのでは無いか、と錯覚した。
この人がこれほど素顔を見せた事は今までに無かったからだ。
土方の両の拳が震えているのが見えた。
「今思えば、あの芹沢鴨だって可愛く見えて来るぜ。此処にいる腰抜けどもに比べりゃあ、本当の壮士(おとこ)だった」
土方が窓から見ていた物は五稜郭の外の夜景ではなく、京都の風景だったのだと、島田は悟った。
窓の外にはまだ雪が溶けずに所々残っている。
底冷えのする夜だった。
土方は窓から離れ、洋室のベッドに乱暴に腰掛けた。
「俺も過去の事を『あの頃は…』なんて言うようになるだなんて、ヤキが廻ったものだな」
唇を曲げてフンと笑った。
その表情に往年の新選組・鬼副長を見た島田は、急激に懐かしさを覚えて、ごつい顔に似合わない涙を一粒落とした。
「おいおい、お前には同じ涙でも豪快に号泣する方が似合いだぞ」
土方がグラスに残っていた酒を呷った。
「あの頃は確かに良い時代でしたな。いいじゃないですか。
 それ位の事を思い返したからって、副長の男が廃るって訳ではありませんよ」
島田は今、沖田総司が自分に託した役目を初めて理解したと言えよう。
自分に科されたその役目とは、身を挺して土方の身を守る事よりも、彼の心の支えになる事だったのだ。
そうだ、大体、新選組副長・土方歳三程の兵(つわもの)がそう簡単に倒される筈もなく、沖田総司がそれを心配などする訳も無かったのだ。
沖田さん……やっと解りましたよ、私のすべき事が。
島田は心の中で呟いた。
「今、この部屋の中には貴方と私、ふたりしか居ません。
 新選組の創生期を知る者として、昔話をするのも一興ではありませんか。
 そうと決まったら、副長、私もその赤いものを戴くとしましょう」
島田はおちゃらけて手を出して見せた。
土方は苦笑いをしながらベッドから立ち上がり、
作り付けのサイドボードへとワイングラスを取り出しに行くのだった。

 

 

「みんな若かったですなぁ…」
眼の辺りを赤く染めた島田が述懐した。
「随分年を取ったような物の言い方だ」
土方は茶化すような口振りで答えた。
「だが…実際、そうかもしれんな。
 年月にしちゃあ短いものだが、新選組は勢い良く突っ走ったからな。
 時代をあっと言う間に駆け抜けてしまった」
「でも、副長は後悔していないでしょう?それで良いではありませんか」
島田は眼の辺りをほんのり赤く染めて頷いた。
「おめぇはどうだ?俺と一緒にこんな所まで来て、これっぽっちも後悔していねぇのか?」
土方も漸く少し酔いが廻ったのか、べらんめぇ口調が混じり始めていた。
多摩の言葉だ。
近藤や総司と話す時だけはいつも素に戻ってこんな口調で話したものだった。
「後悔なんぞする筈がありませんよ。沖田さんに頼まれたから一緒に来たのではありません。自分の意志で此処まで一緒に来たのですから」
島田は強く否定した。
「そんな大声で言わんでも聴こえているさ。年寄りじゃねぇんだからな。全く、鼓膜が破れちまうぜ」
本気で耳を塞いでいる土方を見て、島田は豪快に笑った。
「副長が私の『誠』を疑ったりなんかなさるからですよ」
「そうかい?そんなつもりは無かったんだが、悪かったな」
土方からも笑みが洩れた。
此処に来てから、とんと見た事の無い土方の笑顔だった。
思えば、京都にいた頃は文字通りの『鬼副長』だった土方は、鳥羽伏見の戦いに破れて江戸へ退き、更に流山で近藤勇と別れた頃から少しずつ変わって行った。
段々と彼を覆っていた面が取れて行き、素を見せるようになったのだ。
それはそれまでも近藤や総司の前だけで日常的に見せていた物だったに違いない。
若い隊士達にまで、笑顔を見せるようになったのは、彼が自ら進んで鬼となり厳しく律して来た『新選組』と言う存在が陽炎(かげろう)のように歪みを生じて行った為か……。
古参隊士は一様に驚いたものだった。
しかし、五稜郭に入ってからと言うもの、彼の笑顔は今日まで全く見た者が無かった。
いつも戦局を頭に浮かべての前向きな輝いた瞳で、厳しい顔付きをして現場の先頭に立っていた。
時にはその瞳には、総裁の榎本武揚ら執行部に対して思い通りにならない激しい怒りや、哀しみや絶望が宿っていた。
今夜の笑顔が何だか、見納めのような、そんな気がして島田は慌てて頭(かぶり)を振った。
「おいおい、そんな事をすると早く酔いが廻るぞ」
土方はそう言うと急に真顔になった。
「おめぇが酔い潰れる前に聞いておく。『誠』の旗は捨てていないな?」
「……? ええ、勿論です。忠助に持たせていますが」
「そうか、それならいい。後で忠助に言っておこう」
「いえ、それなら私が……」
「構わん。気にするな」
島田は急に酔いが全て醒めた気がした。
「『誠』の旗をどうなさるおつもりです?副長……」
「新選組の幕引きは俺がする。その時に連れて行ってやろうと思ってな」
島田の問いに顔色ひとつ変えず、土方は静かに答えた。
彼も酔ってはいなかった。
「副長……貴方は明日の夜、もう此処には居ないつもりですな」
それなら、自分も一緒に逝きます!此処まで一緒に来たのだから!
島田は声を大にして、叫びたかった。
置いてけぼりはごめんですっ!
喉がヒリヒリとして、それ以上声が全く出なかった。
「一緒に来る事は許さん。新選組の隊規を忘れたか?」
土方はそう言い置くと、執務室を出て行ってしまった。
その部屋には2度と戻らなかったと言う。
明治二年五月十日の夜、島田は出来る限り、思いつく限りの神仏に祈った。
この人を連れて行かないでくれ、と。
時の流れよ、自分達からこの人を奪って行かないでくれ……と。

 

 

翌日、馬上単騎で敵陣に飛び込んだ土方歳三は、ついに銃弾を胸に受けて落馬した。
駆け付けた島田魁ら、旧新選組隊士が抱き起こした時には、既に絶命していた。
その軍服の中で、丁寧に折り畳んだ『誠』の旗が一緒に血に塗れていた。
自分の言葉通り、新選組の短い歴史に自ら幕を引いたのだ。
敵陣に乗り込む時の名乗りは、
「新選組副長・土方歳三、罷り通るっ!」
大音声で叫び上げたと言う。

 

 

− 終わり −