musician

 

(2)

 

作崎は開演までの時間をどう過ごそうかと、腕を組んで考え込んだ。
その時、中から出て来た者がある。
危うくぶつかりそうになった処を辛うじて避けた時、作崎はその男から声を掛けられた。
「もしかして、ばいと希望の人?」
つば広の帽子を被り、口髭を蓄え、オールバックの髪にサングラスと言うその一風変わった男は、黒い蝶ネクタイを付けた白いワイシャツに、サスペンダー付きのやはり黒いパンツを履いていて、店の中からビールの空き瓶ケースを運び出そうとしていた。
「え?」
怪訝に思って良く見ると、出演者の貼り紙の隣に『アルバイト募集』のチラシが貼られていた。
作崎は思わず彼に手を貸して、ビールのケースを支えた。
「ありがと♪……此処のばいとは結構らいぶも見れて楽しいよ♪」
この男、飄々としている。
初対面の作崎に何の構えも見せずに話し掛けて来る。
「今日はいいらいぶがあるんだよ♪趣味と実益を兼ねたばいとだから、きっと気に入ると思うよ♪とにかく中に 入って!ますたー呼んで来るからね」
作崎がバイトを探しているのだと思い込んでいる。
一方的な相手の話を聞いていた作崎は、やっと言葉を発した。
「坂羅井さんがマスターだと思っていたけど違ったんですか?」
胸の名札から知った名前を呼んだ。なぜかべらんめえ調が消えていた。
「老けて見えるらしいからね。そう思われても仕方ないね♪いくつに見えた?」
坂羅井は特に気にしている風でもなく、無邪気に訊ねた。
「さあ……?」
作崎は首を傾げて見せた。実際には30を超えているかな、と言う印象だったが、それは口に出さなかった。
「こう見えてもわたしは昭和学院大の1年だよ♪」
「えっ?!なんだ、じゃあ、おいらと同期じゃねえかい?」
思わず言葉が元に戻っている。
「そうなの?奇遇だね♪」
坂羅井ははしゃいだ。
「悪いけど、おいらバイトを探しに来た訳じゃねぇんでい」
「あれ?じゃあお客さん?……ごめんね。またどじっちゃった。まだお客さんの来る時間じゃなかったから」
坂羅井は何時の間にか中断していた仕事を再開した。
「最初のらいぶは7時からだから、お客さんが入れるのは6時半頃になるの。悪いけどそれまでどっかで時間を 潰してからもう1度来て♪」
「おいらが見てぇのは9時からなんでい」
「ああ、高根沢くん目当てなんだね♪いいよ〜、彼。絶対にぷろの世界で通用すると思うよ♪まだわたしも此処 に来て3週間ちょっとだから、彼と話した事は無いけど、ますたーのお気に入りみたい。随分前から此処で演ってるんじゃないかなぁ♪此処のますたーは元ぷろで、出演者のおーでぃしょんも凄く厳しいの。それを通った出演者の中で週に1回定期的に演ってるのは彼だけなんだよ♪」
「そんなに凄いのかい?」
「今日が初めてなの?それなら見てのお楽しみって事にしときなよ♪絶対に見て損はしないよ。それだけは言っとくね♪」
坂羅井はいくつ目かのケースを出し終えると、そう言い残してにっこり笑い、店の中に引き上げた……と、見えたが、また作崎の所へ戻って来た。
「高根沢くんのらいぶは常連が多くて、みんな前のらいぶが始まる前からいい席を取ってしまうからね。6時前には此処に来てた方がいいよ♪
坂羅井は作崎が期待してしまうような事ばかり言って、彼の眼の前から姿を消した。
これが作崎と坂羅井の出逢いである。

 

 

待つ身には長い時間が過ぎた。
ファーストフードで腹拵えをした作崎は、良い席を確保する為に見たくも無いライヴを1本を見た後、やっと待望の高根沢紀彦の時間を迎えた。
ステージの向かって左後方にグランドピアノがあり、更に左右に1台ずつ大きなスピーカーが置かれ、狭い所をより狭くしている。
中央にスタンドマイクがセットされていて、その斜め後ろのギタースタンドにはアコースティック・ギターが置かれている。
(そう言やあいつが、彼はアコースティックの方も名手だって言ってたな……おいらよりも遥かに巧かったらヤバ イぜぃっ!)
一番ステージに近い席に陣取った作崎は、不安と期待を胸に抱きつつ、ステージの袖を見詰めていた。
そこには先程から既にあの少女漫画の彼がグレコのレスポールモデルを抱いてスタンバイしていた。
学内で見た時と変わらない出で立ち(因みに真っ白な開襟シャツにジーンズの上下と言う姿)でそこにいる。
作崎はさっき坂羅井と言う男がサービスで置いて行ってくれた、訳の解らない名前のカクテルを喉に一口流し込んだ。
飲みつけない物を飲んで噎せ掛けた時、辺りが突然暗くなった。
いきなりエレキギターの派手派手しい音から始まるかと思っていた作崎の予想は見事に裏切られた。
耳に届いたのはピアノの静かな旋律だった。
客から低い歓声と静かな拍手が巻き起こる。
常連には馴染みの曲らしい。自作の曲のようだ。
イントロのピアノアレンジが秀逸である。
高根沢がメロディーを抱き締めるかのように静かに歌い出すのと同時に、少しずつ少しずつステージが明るく照らされ始め、Gジャンの袖を捲り上げた彼の姿が浮かび上がって来た。
ステージの中央のマイクスタンドの前に立っている。
ピアノの音は彼自身が弾いた物をテープで流しているようだが、まるで今此処で弾いている音のようにクリアだ。
作崎は明るくなってから気が付いたのだが、高根沢の足元のモニターの影に最新式のテープレコーダーがあり、それとエレキギターのアンプがあのスピーカーに繋がっているらしい。
エフェクター類のスイッチと一緒にそのレコーダーも足で操れるように接続してあるようだ。
これは高根沢が持ち込んだ物だが、マスターの好意でこの店で預かったままになっている。
それにしても初っ端からバラードで勝負するなんて大したもんでい!
作崎は思わず腕を組んだ。
勿論、歌詞もメロディーもとてもアマチュアのレベルとは比較出来ないような出来だった。
綺麗なだけじゃない。確固たる基礎があり、才能がある。
学友が言っていた通り、透き通った高音のヴォーカルにも若いなりの味がある。
(すげぇや!エレキギターってガンガン掻き鳴らすばかりじゃねぇんだな!)
1コーラス目が終わって、間奏の処から重なった生のエレキギターを聴いて作崎は興奮した。
おいらが作るバンドもこんな音楽をやりてえな。絶対に高根沢を物にするんでぃっ!
その時、作崎は心に決めた。
本当は最初の出逢いの瞬間に一目惚れしていたのだ。
なぜか心を惹かれた、その時から既に気持ちは決まっていたに違い無かった。
高根沢はそんな作崎の思いをよそに、時々淡々とした曲目紹介を交えながら、アコースティック・ギターやピアノだけの弾き語りを聴かせ、その非凡な才能を見事にステージで開花させて見せた。
勿論、ドラムマシーンとテープを使った、1人ロックンロールも聴かせる。
お喋りは殆どしないが、それでもバラエティーに富んだ音楽性と、考え抜かれた曲目構成だけで客の心を掴んで離さない。
楽曲自体が雄弁に語ってくれるのだ。
アコースティック・ギターの腕前については、お世辞抜きで自分と互角だな、と作崎は思った。
エレキのギタリストであそこまでアコースティック・ギターを操れる人間を見たのは、正直言って初めてだった。
感嘆すると共に、凄く妬ける!!
作崎はアコースティック・ギターの腕に自信があった。
(彼とおいらとで、アンサンブルをやったらお互いに巧く溶け合って、すっげー気持ち良さそうでい……)
それにしても、エレキギターを掻き毟る彼は男の作崎の眼から見ても思いっ切りかっこいい!
作崎は周囲の客を見回した。
高根沢のルックス目当ての女の子も多かったが、彼のギタープレイを見にやって来る男も意外に多い事が解って嬉しくなった。
ふと見ると注文が途絶えたのか、あの坂羅井と言う男も壁際でステージを見詰めていた。
サングラスの奥の瞳は見る事が出来ないが、多分自分と同じように輝いているに違いないと作崎には確信出来た。

 

− (3)へ続く −