落ち葉の行方

 

 

※この作品は40000hitをGETされたあさみ様よりリクエストを頂戴して書かせて戴きました。
 あさみ様、ありがとうございました。

 

 

「お主は変わった子供だの。今時、新撰組の話を聞かせろだなんて……」
此処は京都・西本願寺の境内。
庭箒で落ち葉を掃きながら元新撰組一番隊伍長・島田魁は懐かしそうにその眼を細めた。
その巨躯が見下ろす下には、14〜5歳の少年がいる。
「それも土方副長の話が聞きたいとは、どう言う事なんだ?」
明治の世になって幾数年。
賊軍と謳われた新撰組の評判が、この明治維新後に生を受けた少年に良く伝わっている筈が無い。
島田はそう思った。
それなのに、この少年は新撰組副長・土方歳三の事を話してくれろ、などと言う。
「私の伯父の憧れの人だったのです。土方副長は」
少年は眼を輝かせて答えた。
「新撰組の隊士だったのか?お主の伯父とは?」
島田は庭を掃く手を止めた。
「はい。新撰組が伏見奉行所に移る少し前に入隊したそうです」
少年はある無名隊士の名を告げた。
だが、その隊士は島田にとっては、懐かしい同志だった。
なぜなら、箱館まで共に転戦し、かの地で戦死した男だったからだ。
「私は伯父上の顔も知りませんが、先日藤田五郎さんと仰る方が家を訪ねて来られたのです」
「藤田……そうか。お主の伯父は三番隊、斎藤一先生の組下だった……彼なら、此処にも訪ねて来たのだ。
 多分、その時に寄ったのだろう」
北風が2人に強く吹きつけた。
島田は集めた落ち葉に火を点けて少年を手招きした。
「こっちへ来い。すぐに暖かくなる」
そう言うと、懐から薩摩芋を2つ取り出した。
「両方私が食うつもりだったが、1つお主にやろうじゃないか」
それを焚き火の中に埋めると、島田はどこからか持って来た茣蓙をその前に敷いた。
「まあ、座れ。話は長くなるぞ」
まずは自分がどっかりと其処に胡座を掻いた。片手には瓢箪を持っている。
酒を飲みながら話をするつもりのようだ。
島田の小鬢は白く染まっている。顔や手にも皺が刻まれ始めている。
しかし、その巨躯は決してたるんではおらず、今でも剣を持たせれば十二分の活躍をしそうだ。
「斎藤から伯父さんの話を聞いたのか?」
向かい合わせに胡座を掻いた少年に向かって、島田は相好を崩し、ごつい顔を優しげに和らげた。
「はい。伯父上は箱館まで土方副長と共にあったと聞きました。斎藤先生は既に本隊と別れていたそうで、その時の事は貴方様から聞いたと仰いました」
「解った…。では、伯父さんの話はもう聞いているのだな?私は土方副長の話をすれば良いのか?」
「はい。伯父上の憧れの方がどんな方だったのか、知りとうございます」
「そうか……。土方副長が鬼と呼ばれていた事は知っておるか?」
「はい。それは周りの大人達から何度も聞いております」
少年は深く頷いた。

 

 

*     *     *     *     *

 

 

それはもう、厳しいお人だったな。
だが、土方副長は本当に鬼だったのかと言えば、私は違うと思っておる。
その実を良く知っていたのが、私の所属する組の組長、沖田さんだった。
子供の頃から土方副長や同門の皆に可愛がられて来た、そんなお人だったが、病気で早死になさったせいか、勘が鋭くてな。
『土方さんはね。無理に心を鬼にしているのですよ。近藤先生と新撰組を盛り立てる為にも、自分が鬼の役を引 き受けなくてどうする?そんな風にいつも自分自身を律している人です。だから、私の前だけでは時々鬼のお面を外させて上げなくちゃ』
……病床に見舞った時、沖田さんはそっと私にそう告げたんだ。
そして、自分がもうその役目を果たせないから、とそう言って私にその役を委ねた。
土方副長は倒幕派の浪士に対しては容赦が無かったし、規律に違背した隊士に対しても、決して妥協は許さなかった。
だから、京都時代の新撰組を知る者は、誰もがその存在を畏怖していたよ。
次から次へと隊士に腹を切らせ、時には斬首と言う武士にとっては恥とも言うペき、とても厳しい扱いで対処した。
でも、それは隊を維持して行く為であり、それ以外の何物でも無かった。
それを沖田さんは一番良く知っていて、時には共に苦しんでいたのだ。
その役目を密かに私が引き受けてから、新撰組は海路を辿り、江戸へと向かった。
そして、箱館まで、各地での転戦が始まったのだった。

 

 

土方副長は最後まで、新撰組副長だったよ。
あの人は、頭領になろうとはしなかった。二番手の参謀的役目があの人の領分だったのだ。
天才的な攻略家だったな。
各地を転戦し、その間に断髪して洋装に変えた。
新しい物をどんどん受け入れて、自分の物にする。
そう言う切り替えの早い人だった。それに洋装がとても似合っていたな。
私が言うのも何だが役者のような二枚目だったから、すぐにその不思議な姿も様になっていた。
そして、ついに箱館に渡ったが、そこでも彼は最前線で闘う事を選んだ。
作戦基地に落ち着いていられるような性分では無かった。
新撰組の叩き上げは皆、そうだ。
だが、その頃になると、土方副長はまるでゴツゴツした石が長い時間を掛けて、川の流れに晒されて角が取れ、丸くなって行くように、随分と穏やかな表情を見せるようになった。
そう、会津で闘っていた頃には、白虎隊の子供達に随分と慕われていたし、それ以降の土方副長は闘いの合間でも、優しさを見せるようになっていた。
あれはなぜだったのか?
近藤局長を失い、沖田さんを病いで失った事が原因なのか?
それも一理あるな。でも、新撰組が賊軍扱いになった辺りが原因なのかも知れない。
江戸に戻った後、新撰組は甲陽鎮撫隊と呼ばれ、その実は影も形も無くなってしまっていた。
副長があれだけ固執していた新撰組はもう、『精神だけを残して』消滅していたのだ。
土方副長がその『精神』そのものだった。
その後も従って一緒に着いて来た連中は、彼にとって、本当に可愛い部下であり、同志だった。
もう、切腹切腹と喚き立てる必要など無かったのだろう。
それからの土方副長が、本当の彼だったのだろうと私は思うよ。
沖田さんだけが、それを知っていて、ずっと彼を陰日向から見守って来たのだろう。
土方副長よりは大分若かったが、彼が支えになっていた事は間違いない。
沖田さんから『役目』を引き受けた私だったが、もうその役目は必要無いだろうと、その時感じたのだ。

 

 

*     *     *     *     *

 

 

「新撰組はこの落ち葉のような状態だったよ」
島田は焚き火の中から、1枚の落ち葉を拾い上げた。
「だが、土方副長と彼に従って来た旧隊士達は、榎本達の軍の中では異彩を放っていた。旧新撰組を母体とし た土方隊は、他の隊とは違って、連戦連勝を果たして来た。それが土方副長の力量として認識されて行くの に、さほどの時間は必要としなかった。実績が如実にそれを示していたからね。他の隊が壊滅状態に陥って行く中、土方隊だけが気を吐いていた」
島田の眼に焚き火の火が映って、燃えているように見える。
「………しかし、戦争は土方隊だけでしているのではない。日に日に、敗色が濃くなっていた。そんな中、君の伯父さんが、敵の砲弾により戦死した。土方副長は叫んださ。これ以上、新撰組を死なせる訳には行かんのだ!近藤さんに申し訳が立たねぇっ!」
「………………………………」
「土方副長は、飽くまでも新撰組は近藤局長から預かった物だと言う考えだったのだ。自分は『新撰組副長』として戦死する覚悟をその時決めていた……。沖田さんの心配げな顔が眼に浮かんだよ。土方副長は決して弱い人間ではない。だからこそ、死のうとしているのだと言う事は、我々旧新撰組隊士には痛い程解った」
島田のごつい顔が崩れ、涙が頬に一筋ゆっくりと流れ落ちた。
「副長は闘いに疲れて戦死しようと心に決めたのでは断じて無い。ただただ官軍に投降するのを、副長の美意識が許さなかったのだ。土方副長は自分で新撰組の幕を引こうとなさった。だから、最後の朝、騎馬で敵陣に乗り込み、開口一番叫んだ名乗りは、『新撰組副長・土方歳三』……新撰組此処にあり。それを誇示なさって、死に赴いたのだ。馬上の土方副長は敵の銃弾の恰好の的になり、やがて落馬して絶命なさった……35歳の若さだったよ。でも、見事としか言いようの無い死に際だった。自らの美意識を貫いて、ひとりで逝ってしまった。そして、私達が追って逝く事を許さなかった……榎本達上層部は官軍に投降し、私達も囚われの身となった。僅かだが、土方副長を恨みに思った時期もある。我々も一緒に戦死する事を許さなかったあの人を……。私は沖田さんに頼まれた事を実行出来なかったし、その事が悔しくもあったよ。今となれば全てが遠い思い出だが、未だにあの頃の夢を見る事がある。転戦中に見た土方副長の笑顔の夢だ。京都時代には1度だって、我々に見せた事が無い笑顔だ。あれは心に残って離れない」
島田が立ち上がり、手頃な枝をどこかから拾って来た。
それを使って、焚き火の中から芋を転がし、取り出す。
「ほれ。丁度良い焼け具合だ。これを食ったらもう家路に着け。そろそろ日が翳って来る頃だ」
少年はそれを受け取ると、『あちちちち…!』と声を上げた。
島田の厚い手には応えないのだが、少年にはちと熱かったようである。
島田は懐から懐紙を取り出して、芋を包んでやる。
「持ち帰れ。すぐに冷めるだろう」
「はい…ありがとうございます」
少年は輝いた眼をして答えた。
「お主、将来の夢は何だ?」
その眼を見たら、島田はどうしてもそれを問うてみたくなった。
「伯父上と、その憧れの人のように、剣術をやってみとうなりました。島田先生、教えて下さいますか?」
「私に教えを乞うのは止めて置け。私の場合、剣術よりは怪力が物を言ったのだ」
島田が顔をクシャクシャにして豪快に笑うと、少年はつられて笑顔で返して来た。
その笑顔がふと、沖田総司の顔とダブり、それからゆっくりと土方副長の笑顔に変わった。
自分だけが老いた事に気付いた島田は、少しだけ寂しそうに首を振り、少年に『早く帰れ』と煽った。
そして、去って行く少年の後姿を眺めながら、話に夢中になって飲むのを忘れていた瓢箪の中身を一気に喉へ流し込むのだった。

 

− 終わり −