落 陽 

 

※ この作品は新撰組を扱った漫画、渡辺多恵子先生作『風光る』をお読みになった方を
  対象に書き、秋桜屋さまの『花鬼』サイトに掲載して戴いた物です

 

セイが総司の様子に異変を感じたのは、山南総長が去って間もないある晴れた日だった。
総司は何となく彼女と顔を合わせる事を避けている。
(山南先生の事があったばかりだから、沖田先生が山南先生付きだった私を避けたいのは解らなくも無い……でも、何だろう?この胸騒ぎは……)
やり場の無い焦燥がセイを包んでいた。
「神谷」
いつものように草叢に座り込んでいたセイは、頭上から優しい声が降って来るのを聴いた。
「あっ、あに…いえっ、斎藤先生っ!」
慌てて立ち上がる。
隊に入ってから、少しは上背が伸びたセイであったが、斎藤の眼を見るには、それでも見上げなければならない。
「どうした?」
斎藤はスッとセイの視線を外した。
『彼』の真っ直ぐな視線を受け止めるのが怖い。
そんな彼の真意は計り知れないまま、セイは斎藤の眼を覗き込む。
斎藤にとっては残酷な仕打ち。
なぜ声を掛けてしまったんだろう、と自問する。
そっと見守っているだけで良かったのに………
「斎藤先生。沖田先生の様子がおかしいと思うんですが…」
セイは斎藤の思考を破って、つんのめるように彼に問い質した。
「神谷の事を避けていると言うのだろう?」
斎藤はいつものように、表情も変えずに呟いた。
「そうなんです。斎藤先生もそう思われますか?」
斎藤はセイに気付かれないように、そっと溜息をついた。
(神谷……お前には沖田さんしか見えていないのだな)
ポッカリと空いた心に、川の流れが突然響いて来た。
セイを置いて、川原に向かって降りて行く。どうせ着いて来るだろう。
川の流れを両手に掬う。
小春日和だが、その冷たさが斎藤の身体に染み渡って行く。
ふっと我に返った。
背に感じる気配に向かって話し始める。
「神谷……沖田さんは、山南さんの事だけではなく、何か心にひとりで抱え込んでいるようだな」
「えっ?」
セイは手持ち無沙汰に小石を拾い集めていた手を止めた。
「何故だかは解らない。そう言う事を人に見せる人ではないだろう」
「あっ……」
セイは思い出していた。
今朝から心に引っ掛かっていた「何か」を。
朝が早いセイ。
顔を洗いに出た井戸端で出動から戻った総司に出くわしたのだ。
激闘だったらしく、胸の辺りに返り血を浴びていた。
その時の総司は………顔色が真っ青だった。
「沖田先生。顔色が悪いです。どうしたんですかっ?」
必死で駆け寄り覗き込むセイを、総司は血で汚れていない方の手で押し返した。
「寄らないで下さい。これから食事の支度でしょう?」
押し返しただけではなく、総司の眼には拒絶の色がはっきりと表れていた。
そして、もうセイの事は眼中に無いとばかりに、引き返して行ったのだ。
その時、セイは湿った咳の音を聴いた。
(あの時の咳……ただの風邪じゃない?…まさ、か…あれは返り血じゃなくて……)
「神谷?どうした?」
時が止まってしまったかのように動かないセイを、今度は斎藤が覗き込んでいるが、セイは全く自分の世界に入っていて、気付かない。
(そう、だ……あのような湿った咳は…労咳の症状だと、父上に聴いた事がある……)
「神谷っ!!」
斎藤にしては大きな声でセイを呼んだ。
心ここにあらずの状態であるセイに喝を入れるかのようだ。
だが、それはセイには全く届いていなかった。
「隙ありっ!」
斎藤の扇子が頭上から振り下ろされた。
『ガッ!』
激しい音がし、斎藤の手には、扇子の元の部分が残った。そしてハラリと真っ白な蝶が舞い降りて行った。
本能的に刀の鯉口を切っていたセイ。
「あの人」を守る為にもっと強くなる………
いつしか決意した事が彼女を強くしていた。
セイの瞳に涙は無く………
「武士なら、例え仲間であろうと隙は見せぬ事だ」
斎藤はクルリと身体の向きを変え、去って行く。
セイの心の内部に何かが起きた事を感じながら、彼の心には細波が起こって砕け散って行った。
「………私が沖田先生を守る。どんな事があっても」
セイは小さく呟くと、前を歩く斎藤を追い抜いて総司の元に向けて走り出した。
落陽が西の空を染め始めていた。

 

− 終わり −