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 −りん−

※ この短編は60000hitをGETされた秋枝岐路様からの
  「沖田さんと斎藤さんの友情の話」と言うリクエストにより
  書かせて戴きました。秋枝さん、どうもありがとうございました。

 

凛とした早朝の空気を打ち破るような気合と竹刀の激しく打ち合う音が静寂を破る。
道場の中には気力充実した若者が2人。
眼にも止まらぬ速さで竹刀を振り回している。
広い筈の道場を所狭しと走り回り、激しくぶつかり合う気合。
年の頃も実力も伯仲している印象である。
彼らは小半刻も打ち合い続け、やがて2人同時に面を外すと、そのまま道場の床に大の字にひっくり返った。
「一さんは相変わらず強いなぁ」
月代を剃り、髪を紫の元結で1つに束ねている若者が天井を見詰めたまま笑った。
「何を言ってる?!沖田さんの打ち込みこそ、情け容赦無いじゃないか?」
一さんと呼ばれた若者は同じく月代を剃り、髷を結っている。
2人とも若者らしい清潔感と清々しさで溢れていた。
「はぁ〜。久し振りに思い切り打ち合えましたよ」
「それはこっちも同じ事だ。沖田さん以外の相手では、今ひとつ全力を出し切れないからな」
「最近はお互いに忙しくて、同室だと言うのに擦れ違っていますものね」
沖田総司がクスクスと笑った。
久し振りに時間が合った2人は示し合わせて夜が明けるか否かの内に起床して、道場に直行したのである。
沖田の息はなかなか整わない。
彼の肉体に巣食う物が原因だが、斎藤一はそれを見ても何も言わない。
言わない事が思い遣りであった。
もう今となっては隊士の全てがその事を知っていた。
隊随一の剣客もその肉体を蝕まれ、その病いに少しずつ体力を奪われている。
だが、他の者と同じように巡察に出、変わらぬ働きをし続けていた。
毎日が修羅場だ。
その修羅場を潜り抜ける毎日が、彼に自らの生命について考える余地を与えなかった。
だからこそ隊務により、浪士の生命をいくつも絶って来たのだ。
生命について考えてしまったら最後、一番隊組長・沖田総司は息絶えてしまうかもしれない。
それでも……斎藤は、沖田に自分の生命の事を考えて欲しいと思っていた。
新撰組隊士として死にたいと願っている沖田の気持ちを思えば、その事を口に出す事は出来なかった。
「一さん、また付き合って下さいよ。最近誰も私と本気出して打ち合ってくれないんですから」
沖田は嬉しげに横に寝そべっている斎藤を見た。
「それは沖田さんが強過ぎるからだろう」
斎藤は起き上がった。沖田の真っ直ぐな視線に耐えられなかったのだ。
「違うよ。みんな私を憐れんでいる。病人だから本気で立ち会おうとなんてしないんだ。一さんだけだよ、ちゃんと俺に向き合ってくれるのは……まだ働けるのに。まだ闘えるのに……」
「…………………………………」
「最近では土方さんまでが、寝ていろってうるさいんだ。まだ大丈夫なのに……」
沖田の身体が震えた。泣いているのだろうか?
斎藤は思わず眼を逸らした。
見ていられなかった。
「一さん、お願いがあるんです。私が本当にもう働けなくなった時は、引導を渡してくれないか?私を思い切り叩きのめして、剣士としての自信を喪失する位に」
「沖田さん………」
「その時は潔く諦めるから。隊の足手纏いになるつもりは無いから。だから…一さん、約束して欲しいんだ」
泣いているように見えた沖田の眼には涙は全く見られなかった。
その瞳には強い決意が宿っていた。
やれる処まで絶対に突っ走って見せる。その思いが斎藤の心にまで溶け込んで来た。
「いいだろう。その役目、引き受けた」
斎藤は強く頷いた。

 

 

物陰からそれを見ていた影がそっと姿を消した。
その影の正体は、竹刀の音に誘われて覗きに来た副長・土方歳三だった。
自分がすべきだと思っていたその役目を沖田は斎藤に託した。
こんな時まで、自分や局長の近藤勇の手を煩わせないようにと気を遣う沖田。
土方は虚しく溜息をついた。もっと甘えろよ、総司。そうして欲しいんだ。
心で呟きながら、土方は身体の事を言うのは控えようと決意した。
いずれは、何も言わなくても床に就いている時間が眼に見えて増えて行く筈だった。
最近訪れた奥医師・松本良順に言われたばかりである。
だが、先程斎藤と本気で打ち合っていたあの迫力。
まだ総司は大丈夫だ。そう思えた力強さ。
信じていよう。総司の気力を。
そして、きっと絶妙なタイミングで役目を果たすだろう斎藤に心の中で頭を下げた。
その日の晩は近藤とふたり、苦い酒を喉に流し込む土方であった。

 

 

ふたりが、斎藤が、そして新撰組が恐れていたその日は遠くは無かった。

 

 

伊東甲子太郎がその一派を連れて隊を離れる事になった時、沖田はその中に斎藤と藤堂平助の姿を見つけ、愕然とした。
この時、既に沖田の肺はボロボロに冒されており、絶えず微熱が残る身体で隊務をこなしている状態だった。
斎藤は別れの時に、沖田にだけそっと呟いた。
「約束は決して忘れていない。必ず果たしてやるから、その日まで待っていてくれ。きっとだぞ」
沖田には斎藤が伊東と行動を共にする理由が解っていた。
近藤も土方も、そして斎藤自身も、それを口にした訳ではない。
斎藤が戻って来ると言う確信を得た沖田は穏やかな表情になって、
「生きていますよ。きっと働いていますよ。斎藤さんの出番が無いように、私は…きっと……」
そう言いながら咳き込む沖田。
当てた懐紙に血が滲んでいるのが見えた。
「沖田さん、済まん。きっと約束は守る」
斎藤は後ろ髪を引かれる思いを振り切って、沖田に背を向けた。
それが土方の指示である事を悟った沖田は、きっと働き続けて見せる、そう斎藤の後姿に誓っていた。
「斎藤さん……きっとですよ。約束は絶対に果たさなければならないのです。待っていますよ。それまで、絶対に………」
沖田はその言葉を実際に果たした。
斎藤が戻って来るその日まで第一線に立ち続けたのである。
伊東甲子太郎が新撰組の手で闇に葬られたその日、沖田は油小路に立っていた。
その混戦の中、伊東と行動を共にして隊を出た古い付き合いの藤堂平助が死んだ。
永倉と原田が逃がそうとしたその時、別の隊士に斬られたのだ。それもメッタ斬りの状態だった。
騒ぎが収まって、藤堂の遺体を眼にした沖田は急に激しい眩暈を覚えた。
彼と斎藤と藤堂は同い年だった。
袂を分かったとは言え、こんな形での別れがあるなんて………。
突然疲労が彼の全身に襲い掛かった。
先程まで確かに息づいていたこの生命が一瞬の内に絶たれて……藤堂はもう既に屍になっている。
自分はそんな生命を今までいくつ消し去って来たのか……ああ……。
「沖田!大丈夫か?!」
永倉の声が聴こえて来た。

 

 

額に絞られたばかりの冷たい手拭いが乗せられた。
その冷たさでふと眼を覚ますと、枕元に斎藤が端座していた。
「帰って……来たんですね」
「ああ。帰って来たよ」
「お帰りなさい。一さん。待っていましたよ」
沖田が病床から微笑んだ。
思いの外、元気そうに勢い付けて彼は床から起き上がった。
「おいおい、沖田さん、まだ行けないよ」
斎藤が止めた。
「約束は明日の朝、道場で果たそう。それまでにその熱を下げておいてくれ」
そっと沖田を寝かせ、布団を掛けてやる。
「絶対ですよ」
子供っぽく訊ねた沖田は、斎藤が頷くのを見ると安心したかのように眼を閉じた。
斎藤は辛そうに沖田の寝顔を見詰めていたが、何かを断ち切るように脇に置いた太刀を握り締め、立ち上がった。
彼が向かう先は、『其処』しか無い。
明日の朝、沖田に引導を渡すその場所。
手際良く袖に襷を掛けると、斎藤は道場の真中に正座をして、眼を閉じた。
そのまま呼吸を整える。
心が乱れた。ついに約束を果たさなければならない時が来たのだ。
斎藤はやがてカッと眼を見開いて、太刀を鞘走らせた。
一振り、二振り、三振り………。
「相変わらずの切れだな」
ふっと気配を感じた瞬間、その男が現われた。
「ご苦労だったな。斎藤」
「副長……」
「お前も辛い役目を請け負ってしまったものだな」
役者のような整った顔が斎藤には少しだけ歪んで見えた。
「ご存知だったのですか……」
「総司が言ったって訳じゃないぜ。悪いが前にふたりが此処でその約束をしていたのを聞いちまってな」
土方は済まなそうに答えた。
「本当なら引導を渡すのは、俺の役目だ。兄代わりとして、そうすべきだと思っていた。総司がお前にそれを頼んでいるのを聞いた時は複雑な思いがしたぜ。その役目から解放されてホッとした気持ちと、お前にその役目を奪われた寂しさと……。いや、寂しさと言うより嫉妬に近いな。明日はしかと頼んだぞ」
土方は斎藤に背を向けると、静かにその場を去って行った。

 

 

翌朝。沖田総司と斎藤一が面篭手を付けずに向き合い、竹刀を構えていた。
既に沖田が剣道の装備を身に付けるその重さに耐えられない身体になっている事を斎藤は察していたのだ。
沖田の身体からは炎のような物が立ち上っているのが見えた。
それを見た斎藤は決して手加減はすまい、と心に決めた。
気が付くと近藤・土方を始めとした試衛館ゆかりの者達が静かに道場の隅に集結していた。
沖田総司の『最後の闘い』を眼に焼き付けに来たのだろう。
ふたりは1度、膝を付き、竹刀を軽く合わせると、ついに試合を始めた。
審判はいない。ふたりが納得した時が、この試合が終わる時だ。
沖田から攻撃を仕掛けた。時間が長引けばそれだけ疲れが出る自分が不利だ。
彼は体力が残っている今の内に出来る限りの力を振り絞ってしまおうと考えたのだ。
持久力はもう無い。
この試合も、それ程長い時間を要する事はあるまい。
その事を沖田自身が一番良く解っていた。
沖田の一撃を斎藤は上段で受けた。
相変わらずの切れがある。竹刀を支える両手が痺れた。
「私だってまだまだ行けますよ」
沖田がニヤリと笑った。
斎藤は余裕が全く無い自分に気付いた。
「さすがだな、沖田さん」
数ヶ月前の朝が思い出される。
沖田の竹刀は竹刀とは思えない程の重さを持って斎藤に襲い掛かって来た。
とても病人とは思えない、沖田の身体の動き。
さすがに剣の天才である。
見ている者全てが思わず息を呑む。
斎藤は今、間違い無く沖田に押されていた。
竹刀がささらになるまで打ち合った。
斎藤が新しい竹刀に変えようと提案した時、沖田が静かに首を振った。
「一さん、ありがとう。もう……充分、だ……」
言い終わるや否や、沖田の身体がグラリと揺れた。
「沖田さんっ!」
斎藤が抱き起こす。
「約束……守ってくれて…嬉しかった……」
咳き込みながら漸くそれだけを言うと、斎藤の腕の中で沖田は気を失った。
「斎藤、俺達からも礼を言う。これで総司の奴も大人しく療養に専念する筈だ」
土方が無念そうに呟いた。

 

 

沖田の細くなった腕が袖から覗いている。それを見て益々痛ましくなる斎藤だった。
彼を軽々と抱き上げて、斎藤は物思いに耽りながら歩き始めた。

 

− 終わり −