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爽 風 〜そうふう〜

 

※この作品は秋枝岐路様のサイト『Branch−road』との相互リンク記念に秋枝様にプレゼントさせて戴きました。
 因みに辞書を引いても『爽風』と言う単語は出て来ませんので、念の為。

 

沖田総司を評するに、『爽やかな風のようだ』と言う形容を使う者がいた。
無欲で無邪気。
まるで穢れを知らない子供のように、邪気の無い笑顔を見せたかと思えば、その反面、不逞浪士に鬼と恐れられる凄腕の剣士でもある。
そのどちらの顔も本当の沖田総司であり、剣を振るえば振るう程、反比例するように彼の心は穏やかなる物を求めるようになって行ったのである。
その様子を一番近くでつぶさに見ていたのが、彼の縁者に当たる井上源三郎であった。
総司は『井上のおじさん』と呼んで慕っていた。
井上は、総司がごく小さい頃から彼の事を知っているので、いつまで経っても総司を子供のようにしか扱わなかった。
総司よりも15歳の年長。
江戸・試衛館には随分昔から出入りしているが、何年経っても剣術は上達せず、目録止まりで全く総司には歯が立たなかった。
だが、どう言う訳か炊事洗濯などに長けていて、何かと周囲の世話を焼いていた。
のんびりした性格で、元々余り剣術には向いていないのかも知れないが、このおじさんは人柄の良さで皆の信望を集めていた。
総司が池田屋で喀血して寝込んだ時も、隊務の合間を見ては、井上が看病に当たっていた。
痒い処に手が届く彼の看病振りの成果もあってか、医師の診立てよりも随分早くに総司は第一線に復帰する事が出来た。
でも……その井上源三郎はもう伏見奉行所の一室に仰臥する総司の枕元にはいなかった。
膝を揃えて、そこに座っているのは、土方歳三。
軍装を解かずに煤けた顔でドカドカと元気な足音を立てて、彼はやって来た。
しかし、持って来た知らせは捗々しい物では無かった。
土方は『その事』を自分自身の口から総司に伝えたかった。
部下達には緘口令を敷き、総司の耳にその話が届かないように配慮していた。
軍議を終えてやっと時間を取って、彼は総司を見舞った。
「負け戦だそうですね……」
総司は起き上がる事も出来ず、床の中で弱々しく微笑った。
此処に運び込まれた時よりも確実に衰弱している、と土方は眼を背けたくなる思いがした。
「でも、土方さんはまだ諦めていない」
「勿論さ。刀剣の時代が終わったと言うのなら、洋式調練をするのみさ。それに敵さんの懐に飛び込んでしまえば、まだまだ新撰組に分があるぞ」
土方は快活に笑った。
井上の事をどう切り出そうかと、その笑顔の裏で考えていた。
だが、その考えが纏まらない内に、総司の方から切り出した。
「井上のおじさん、戦死したのでしょう?」
「だ…誰が言った?!」
土方はつい、うろたえてしまった。
総司は小さく、溜息を衝いた。
「やっぱり……。だって帰って来たら何はさておき此処に駆け付ける人だもの。それに夢に出て来た……」
総司は井上の面影を呼び起こそうとするかのように、瞳を閉じた。
「総司はまだこっちに来ちゃあならないぞ、って」
「井上さんがそんな事を言ったのか……」
土方は辛うじて嗚咽を堪えた。
「あの人は良く私にこう言いました……『総司は爽やかな風のようだ』って。でも、自分が先に風になってしまった……。私の方が先に逝くものだと思っていたのに」
総司が何かに耐え兼ねて掛け布団を噛んだ。
「井上さんはそうは思っちゃいねぇ。勿論、俺もだっ!歳から行きゃあ、おめえが一番最後まで生きていなけりゃあなるめぇ!!」
土方は激しく総司を抱き起こして、感情に任せてそう言った。
「まだ…死にませんよ。土方さんが勝つのを見届けるまで」
総司は微笑して、敢えて土方の腕に身を任せたまま、彼の眼を真っ直ぐに見詰めた。
「馬鹿野郎!それじゃあ、勝てねえじゃねぇか!」
土方が眼を逸らした。瞳から溢れそうな物を総司に見せたくは無かった。
「大丈夫。喧嘩に勝って下さい。私もすぐに行きますから。まだまだ土方さんの為に、1人や2人、一瞬の内に斬って見せますよ」
「約束だぞ。総司」
「約束ですよ、土方さん」
総司の熱を帯びた視線に気付いた土方は、熱くなり過ぎた自分を急に恥じて、総司をそっと寝床に横たえた。
「私はどこまでも着いて行きますよ。置いて行かないで下さいね」
枕に滑った髷が、畳に到達していた。それをそっと掬って布団の上に乗せてやる。
しばしの別れを惜しむ儀式のように、その動作を済ませた土方は、ゆっくりと総司の枕元から立ち上がった。
「総司。悪いが忙しくてな。また来る。早く良くなれよ。一番隊隊長がいてくれないと、士気が下がって困る」
「それはそうだ。こんな所で油を売っているような土方さんじゃ、私も困るな」
総司は屈託の無い笑顔を土方だけに見せた。
最近は、もうこんな笑顔を見せる事は無くなっていた。
いつでも疲れ切った顔をして、仰臥している総司。
今までの彼の笑顔は、何から来る物だったのか?無理をしていたのだろうか?
そうでは無いだろう。
彼は純粋だった。純粋過ぎた。
身体が衰えて来るのと共に、総司には考える時間が否応無しに増えた。
部屋を出て行く土方を見送ってから、総司はまた独りになった。
井上の事を思い出す。いつもそっと自分の事を見守ってくれていた存在がもういない。
夢のようだ。自分のように病いに朽ちて行く者もあれば、志半ばにして残りの人生を突然失ってしまう者もある。
この世の不条理だ。
自分は正しいと思って、今まで命じられるままに人を斬って来た。
しかし、生命と見詰め合うようになって、総司は違う思いを抱くようになり始めた。
これは土方や、尊敬する近藤勇には解るまい。
でも、後悔はしない、と決めていた。
でなければ、自分に斬られた多くの人間が成仏出来まい。
井上だけはそんな総司の気持ちの変化に気付いていたようだ。
総司は感謝の気持ちで胸が一杯になった。
(井上のおじさん、ありがとう……私が逝くまで待っていて下さいね。じきに行きますよ。また竹刀の打ち合いをしましょうよ)
心の内で話し掛けた。
いろいろな出来事が走馬灯のように蘇る。
小さい頃から可愛がってくれた父親のような存在。
京に上ってからも、良く稽古をしろ、と小言を貰った物だ。
正直鬱陶しく思った事もある。
だが、失ってみて解る。そんな井上の小言ももう聞けないと思うと、こんなにも空虚な思いになるのだと言う事が……。
それ程の存在だった井上の死を、他の者に任せず、自分の口から伝えようとしてくれた土方。
総司は周りの暖かさに守られて此処まで来た事を改めて実感した。

 

 

その日の夜、総司は高熱に唸される夢の中で再び遭遇した井上にそっと囁いた。
これからはずっと一緒ですよ。井上さん。

 

− 終わり −