tears for you

 

(3)

 

「観客は全部捌けたようです。『出待ち』の追っ掛けファンも、メンバーはもう既に会場を出たと言ったら、すぐに解散したそうで。手の掛からないファンですね」
沢木が一頻り部下の原からの報告を受けた後に言った。
坂羅井が嬉しそうに答えた。
「そうなんだよ〜ん♪自慢のふぁんなの」
「ところで、犯人が狙っている可能性がありますので、高根沢さんは私と一緒に別行動を取って戴きます。最初にウチの風見が高根沢さんに成り済ましてここから出ます。マネージャー役もウチの刑事がやります。風見は背丈も高根沢さんと同じ位ですし、雰囲気が似ていますので、サングラスをしていれば、気付かれる心配も無いでしょう。風見とマネージャー役の戸田刑事が無事に車まで辿り着き、出発したら、棚の上さんと坂羅井さん、作崎さんは続いて早足でワゴン車に乗り込んで、そのままご帰宅下さい。念の為、原と早瀬が別の車でワゴン車の前後を挟んで同行します。最後に高根沢さんと野槙社長は私と一緒に覆面パトカーでレコーディング・スタジオに向かいます。途中で先に出た風見達が待機していますので、彼と合流して護衛に当たります」
沢木が説明を終えた処で、祐介が胸ポケットから取り出したサングラスを着けた。
周囲から驚きの声と溜息が洩れた。
「本当に似てるね〜♪高根沢は最近、すーつ姿も多いしね。この暗闇なら区別が付かないよ、きっと♪」
「もしかして、高根沢の弟だとか言うんじゃねーの?」
坂羅井と作崎が感心する。
「いえ、俺には家族はいませんから………それより、皆さんまだステージ衣装のままですけど」
祐介が支度を促すと、スタイリストの八木沢が慌てて3人の私服を用意した。
高根沢の服は先程傷んでしまったが、彼は何パターンかの私服を衣装ケースの中に預かっていた。
「ヤギちゃん、今からじゃ、くりーにんぐが間に合わないんじゃな〜い?」
坂羅井が明日のステージ衣装はどうするの?……と心配する。
「明日はビデオカメラが入りますので、別の衣装を用意しています」
八木沢が答えた。
「あ、そっかー。明日はビデオの撮影が入るんでいっ!今日はいろいろあったんで、おいらすっかりそんな事は忘れてたぜい」
「余裕だねぇ、作崎♪」
坂羅井がからかう。
いつもと変わらない楽屋風景が戻って来た。
3人は衝立の向こうで着替えをした。
最後に出て来た高根沢に、何処から調達して来たのか、祐介が松葉杖を手渡した。

 

 

無事、レコーディングスタジオに到着して、来ない筈の高根沢がそこに現われた時、真山由紀は驚きの表情を隠さなかった。
「足を怪我されたので、来れないと聞きましたけど……」
「いや。遅れて申し訳ない。1度引き受けた仕事をキャンセルするのは、性分に合わないんだ」
そう言った高根沢が松葉杖に頼って立っているのを見ると、驚いた事に真山は高根沢の方に手を差し伸べて来た。
拗ねた態度を取られる事を予想していただけに、今度は高根沢の方が戸惑った。
「そんなに無理をしてまで、私のレコーディングに立ち会ってくれるんですか?今日、マネージャーさんから来れないって電話があったと聞いて、今朝の事で怒って来てくれないんだな、って思ってた……歌い手として最低なこ の私に、まだ付き合ってくれるんですか?」
「俺はプロデューサーだ。このアルバムを出来る限りの力を注ぎ込んで、納得の行く物に仕上げたい。君の声はとても魅力的だ。それを十二分に生かして、今までのアルバムとは違う世界を作りたい。いや、作って見せる。その為に君の全てのアルバムを聴き込んだ上で、曲を作り、アレンジを施した。このアルバムを完成させる為には、楽曲に付いて来れる実力のあるヴォーカルが必要不可欠だ。厳しくヴォーカルを鍛え直さなればならない。10年後も歌っていたいだろう?………辛い事もあるだろうと思うけど、俺のやり方に着いて来れるか?」
高根沢は厳しい眼をして、真山を真正面から捉えた。
「………お願いします!」
真山由紀が、初めて見せた素直さだった。
高根沢の真摯な眼が彼女の心を突き動かしたのかもしれない。
棚の上から彼女に関する報告を受けていた野槙は、、そんな感想を持った。
「よし、これからは『出来ない』『歌えない』とは言わせないぞ。それからレコーディングを始める前にみっちりとヴォイス・トレーニングを行なう。早速だけど、ブースの中に入って」
高根沢は先に立ってブースに入り、中にあるピアノの前に座ると、付いて来た野槙に松葉杖を預けた。
少し前までステージでコンサートをやって来た人とは思えないパワーを持つこの人は、即興でメロディーを奏で始めた。
それは巧妙に真山の全ての声域を網羅している。
そして、彼女の耳をより確かな物にする訓練でもある。
彼が弾いたピアノのメロディーをその場で真山に歌わせた。
高根沢はレコーディングよりも、こちらに時間を掛けるつもりだ。
彼女のレコード会社の人間や、事務所の者は余りいい顔をしないだろう。
スタジオの料金が嵩むばかりだからだ。
しかし長い眼で見れば、これは10年後の彼女の財産となり、武器となるだろう。
高根沢は信念を持って、この楽ではない方法を選んだのであった。

 

 

高根沢は深夜まで真山由紀のレコーディングに付き合い、1曲を物にすると、久し振りに自宅へ帰り、棚の上が迎えに来るまでひと休みする事にした。
彼の妹で美人女優の誉れ高い高根沢絵理が、オフが取れると兄の部屋を片付けに来てくれるので、留守が多い割には埃ひとつ無い綺麗な状態になっていた。
リビングのソファーのテーブルに『たまにはお父さんとお母さんに顔を見せに来てね!』と言う、妹からのメッセージがあり、高根沢に付き添って一緒にやって来た野槙を微笑ませた。
その野槙は彼のマンションに泊まり込む事になり、祐介達は外で張り込んでいる。
もう既に夜は明けて、一般の人々は通勤・通学で家を後にしている時間であった。
高根沢は自分の為に付いて来てくれている野槙社長に、いつも自分が使っているベッドを勧め、自分はソファーで寝ようとしたが、野槙はそれを断った。
「高根沢は私に気を遣わずに時間までゆっくり眠っておいた方がいい。NKHホールに入る前に昨日の先生の所 に行かなくてはならないしな。棚の上が13時に迎えに来る。余り時間は無いが、少しでも身体を休めろ」
野槙は高根沢の肩を支えて、ベッドに横たえた。
「すみません、社長。迷惑を掛けてしまって……」
高根沢は珍しく弱気な声を出す。
「気遣いはするな。ショックなのは解るがな。お前、心当たりはないんだろ?」
「ええ……全く」
野槙は彼の肩を軽く叩いてから、無理矢理に布団を被せて『さっさと寝ろ』と言った。

 

 

棚の上が迎えに来た時には、高根沢は既にシャワーを浴びて支度を済ませて待っていた。
かなりの睡眠不足の筈だが、逆に見ていて痛々しく感じる程、元気そうに振舞っている。
彼が眠っている間に、張り込みの刑事が交替していた。
沢木と祐介の代わりに、原、早瀬の両刑事が護衛に付いた。
野槙は棚の上と代わって、坂羅井と作崎を迎えに行き、一足先にNKHホールに入る事になった。
病院に寄ると、宮本医師がすぐに傷の状態を診察してくれた。
今晩のコンサートに備えて、痛み止めの局部注射を打って、包帯を取り替えて貰うと、もう会場に向かわなければならない時間になっていた。
この時間に鎮痛剤を打っておけば、本番の頃には痺れも取れるだろう。
今日はビデオの撮影もあるので、ステージでの動きに支障が出ると困るのだ。
高根沢は宮本に礼を言うと、棚の上の肩を借りて立ち上がった。
最後に宮本が原を呼び、祐介に『早い内に定期検診に来なさい』と伝えるようにと耳打ちしているのが高根沢の耳にも入った。
2人の刑事が念入りに周囲を警戒した上で、楽屋入りは無事に何事も無く済んだ。
坂羅井と作崎はやはり既に楽屋に入っており、作崎のアコースティック・ギター1本でビートルズ・メドレーをやっている処だった。
コンサート前だと言うのに、余裕と言うか、タフな2人である。そして、勿論上手い!
「やっほ〜♪ 高根沢、お・は・よっ♪足、だいじょ〜ぶ?」
「おはようさんでぃっ!大丈夫かい?」
坂羅井と作崎が明るい声を掛けて来た。
「おはよう。今、病院に寄って来たから大丈夫だよ。LIVEまでには痺れも取れるそうだから、昨日よりは動ける筈だ」
高根沢は元気な2人に微笑んだ。彼らと一緒にいると、なぜかホッとする。
もう、高根沢にとっては家族以上の存在になっている2人だった。
まだ、リハーサルまでに少しだけ時間の余裕があったので、坂羅井が
「高根沢、ごはん食べた?まだ食べてないでしょ?弁当でも食べようよ」
と言い出して、スタイリスト(兼・楽屋の雑用係)の八木沢を呼んだ。
作崎が人数を数えた。自分達以外に、野槙と棚の上、そして原と早瀬の数も入れている。
「ヤギちゃん、全部で7個ね」
いつでも弁当は余分に用意されている。肉体労働の裏方達は、弁当が余っても全部分けて食べてしまうのだ。
原達は遠慮をしたが、高根沢は彼らが食事を摂っていない事を知っていたので、更に勧めた。
八木沢がお茶を入れてくれたので、7人は楽屋のソファーに集まって弁当を広げた。
こうしてALPEEの3人は、裏方と同じ弁当を食べるのが常になっていた。
スポットライトを浴びる者も、裏を支える者も、同じステージを作り上げる仲間であると言う考えからだ。
しばしの寛いだ時間。
坂羅井が原と早瀬に向かって、真面目な顔で話し掛けた。
「ねぇ、刑事さん。昨日高根沢に着いてた若い方の刑事さんはどっか悪いんじゃない?みやもっちゃんも変な事を言ってたし、第一、彼の顔色は尋常じゃないよ。私の直感だけどね」
「あいつは片肺なんですよ。去年の秋、ある事件で自動小銃で胸を撃たれて生死の間を彷徨ったんですが、その時に片方を摘出せざるを得なくなって………かなり危険な状態が続いた後、奇跡的に助かってデカに復帰したんです。本人は何も言いませんが、正直な処、俺達が見ていてもきつそうだなぁと思う時はありますね」
原が少し眼を伏せて答えた。彼は祐介が傷を負った件について、自分が戦列を離れた事に責任の一端があると感じているのである。
「余り無理させない方がいいと思うよ。余計なお世話かも知れないけど、わたしには彼がかなり無理をしてるように見えるんだよ〜ん」
坂羅井が祐介の事を話題にしている時に、噂の主が入って来た。
祐介が目顔で原と早瀬を呼んだので、2人は高根沢達に黙礼をして席を立った。
廊下に出ると、原はまじまじと祐介の顔を見てしまった。
確かにいつも傍に居過ぎて気付かなかったが、顔色がいいとはお世辞にも言えない、と原は思った。
この頃は、特に疲れているように見える。
「何だよ、俺の顔に何か付いてるか?」
祐介は迷惑そうに言うと、内ポケットからコピーの書類を2部取り出して2人に手渡した。
「その後の調べで、脅迫状に使われたワープロの機種が特定された。但し、何万台も出ている機種なので、そちらからの調査は難航しそうだ。しかし、事件を目撃していたタクシーの運転手の話から、車の方はかなり絞れて 来た。今、渡した資料がその持ち主のリストだ。車のナンバーが下2桁しか判明していないが、車種と色から、該当する車は87台まで絞られた。今、戸田が交通課に協力を依頼して1台1台を当たっているが、1人、高根沢さんに関わりのある人物がこの中に混じっている。高根沢さんにこのリストを見て貰った後、2人は戸田達に合流するようにと言うデカ長の指示だ」
祐介は言い終わると、先頭に立って楽屋へ戻る。2人も彼に続いた。
高根沢にリストを見せると、彼はある名前の処で眉を顰めた。
祐介がそこですかさず言った。
「リストの中に1人、明らかに高根沢さんと関係のある人物がいますね」
それを聞くと、坂羅井と作崎がどれどれ、とリストを覗き込んだ。
「えっ?玉ちゃん?まさかぁ〜」
2人は顔を見合わせて笑った。

 

− (4)へ続く −